こんばんは


私側の弁護士になりうる可能性のある弁護士さんと話し合いでした



そこで気付いた




私の希望は
謝罪でもなく、
慰謝料でもなく、
賠償でも
 

人一人の心を壊してしまった事に
自分たちで気付いてもらいたいんだ、ということ


これまた綺麗事と言われればそうかもしれない


まだ希望なんて持ってるのかと思われても仕方ない



けど気付いてもらいたいのよ
自分たちの言動で人の心を壊してしまったという事実を。



100万、200万のお金が欲しいわけじゃない

私が裁判に勝ったら
きっと今後あちらさんは私を恨むだろう



そんなビクビクとおびえながら過ごすなんて
到底無理だし、
そうなると引越しを考えなければ安心して生きていけない



こんな理不尽ってある?と思ってしまう


心を壊された側が企業の正当な言葉にやり込められて、心という立証できない物がもっと壊される



やりこめられたら
『もっと何かないか』と深掘りをした上で
壊された側の勝訴へ持っていく
そこで勝てる確率は低い
だって『心』は立証出来ないんだもん



この流れに何か意味がある?
私は見出せなかった



心って形がないから立証するの難しい

日記があっても勝てる見込みはあまり無い

日記は有力だよ
ないよりあった方がいい



ただ私の場合は12年分の日記から
ひとつひとつを箇条書きにして
尚且つ、その内部を裁判官が判断する


これ、ほとんど認められないんだって
なぜなら『言った言わないの感情論』だから、


『心の問題』で『感情』だから
交通事故等で体の一部が無くなりました、とは違うから。


これは私のパターンだから
他の人は裁判で勝てる確率も違ってくる


私も勝てる確率はあるけど
私の希望はお金じゃなかったってこと


お金を獲得する為に
裁判という心を擦り減らす事の意味が見出せなかった


もちろん弁護士さんには連絡をしなきゃいけない
その時に勝算の確率を確認しようと思う



そんなことするよりも
最後の挨拶で思ってる事を素直に言って
『20年間ありがとうございました』
って言うのが一番いいのかもしれないな



言うとしても
まだまだ心が少しでも良くならない限り
傷病休暇手当てはもらいます



今日話した弁護士さんはとても良い人でした
2時間ほど話したのに相談料も取らなかった
おまけに
『弁護すれば結果がどんなでも自分は儲けがあります、でも、私は必ず勝てると言い切れる裁判しかしません。だってクライアントさんが損するだけだから。だから、きちんと考えてください』
と言ってくれました



やれば自分の儲けはあるのにね

私から最低でも100万は稼げるのにね


だから、
私も帰ってきてから
本当は私はどうしたいのか、何を希望してるのか
をゆっくり考えたわけです


心は内臓みたいに形はないけど
身体にとっては一番大切に大事にしないといけない『空臓』なのかもね