三日前のステント手術の成功に気を良くした僕は、この日も足取り軽く母の病室に入りました。

 

母はぐったりと眠ってました。

 

いつものように「母さん おはようさん どない?」って声かけて、手を握ってあげました。

 

母の手を握った瞬間にドキッとしました。母の手がとても熱かったからです。昨夜まで、数時間前まではこんなに熱くなかったんです。情けないですがもう異変が起きてるんだと思って、お見舞いのパンや紅茶を机において、ナースステーションへ走っていきました。

 

「すいません、母が熱をだしてるみたいなんです。なんとかなりませんか?」と言ったら、「担当者がお熱を計りに行きますね」と言われてもう一度母の病室に戻りました。

 

ぐったりと眠ってる母の顔を見ながら「パンと卵焼き買ってきたで。どっち食べたい?」と声をかけたんですが、応答がありませんでした。『三日前にステント手術成功したやんか。年末に一時帰宅する予定やって言うたんやんか。医者、何やってるねんな』と頭の中で悪いこと悪いことを考えるようになってました。

 

ほどなくして看護士さんが来て熱を計ってくれました。

「夜中から40℃近い熱をだしてました。腫瘍が悪さしてるんだと思います。点滴にお薬もいれてるんで、熱は下がると思います」と言ってくれたんで、ひとまずホッとしてソファにへたりこみました。

 

更に担当医がお見えになって看護士さんと同じお話をされました。

「気分転換にテレビやラジオをかけてあげてください」と言われたました。それを聞いて慌てて病院から近いJoshinで簡単なラジオを買いました。

もうほんのちょっとでも良いから、母に良いことをしてあげたいとの一心でした。

 

ラジオを持って病室に入って母に声をかけたら、うっすら目をあけてこちらを見てました。「あ、起きたん? ラジオ買ってきたから、かけるわな」というと、黙って頷いてくれました。

 

ラジオで適当な番組を流して、お昼頃になるとケアの方がお昼ごはんを持ってきてくれました。

ケアの方が「息子さんが食べさせてあげますか?」と聞いてくれたんで、「はい、僕が食べさせます」といって、お昼ご飯を預かって母のベッドを起こしました。

 

うっすら目を開けてる母に「病院食よりパンの方がええやろ?」と聞くと、頷いてくれたんでパンを千切って口にいれました。

思ったより沢山たべてくれたんで嬉しくなって、吸い飲みに入れた「紅茶ものむやろ?」って飲ませたらゴクゴクと飲んでくれました。

 

眠り始めた母のベッドを倒しながら、『良かった食べてくれて。末期癌という恐ろしい病気と戦ってるんやから、一喜一憂したらあかんな。』と考えました。

 

お昼ご飯の後しばらくして、母のリハビリ用のコルセットの採寸が始まりました。採寸の様子を見ながら『あぁー、一時的に体調が悪くなっても、これでリハビリして年末には自宅に戻れるんやなー』って考えると、また明るい希望が湧いてきました。

 

その日は母の調子は前日程ではなかったものの、熱も下がったと聞いて、ひとまずは胸をなでおろしました。

 

今、当時に日記を見直してるんですが、この日を境に母の容態は急激に悪化していきます。