月夜のサーファーガール その三
前々回にも書いたが、印象的に覚えている情景、多分そんな会話をしたであろうコトを繋ぎ合わせた。
理由は分からないが、僕はいつまでもその場面を切り取ったかのように克明に覚えている事がある。
その時の声、会話、衣服、景色など、時にはニオイまで・・・何十年前の事でも。
それは誰にでもある事なのか?
このブログの内容とは関係ないが、そう言った事が僕には少々しんどい時がある。
---------続き---------
一通り話が終わると、「忘れられない事があるの」と彼女が言った。
それは、彼女の大学受験日の事だった。
受験当日、大学の門近くには普段目にしない光景が広がっていた。
そこには、受験生にビラを渡そうとする大学生達と、受験生の通路を確保しようとする警察官の壁が続いていた。
新たに燻りかけた学生運動だったのだろうけど、彼女はタイムスリップしたかのようなその光景に唖然としたと言う。
いずれにしても、大学は社会に出るまでのモラトリアムだと考えていた彼女には、衝撃的な出来事だったようだ。
なぜ、彼女が急にそんな話をしたのか分かる気がした。
僕は大学時代、将来の事なんて少しも考えていなかった。いや、考えられなかった。社会情勢なんて、尚更だった。
「取り合えず、バイトを探す」と僕は言った。
「元のバイト先は?」と彼女は言った。
僕は「戻っても、しっくりこないと思う」と答えた。
彼女は「そうよね。少しゆっくりしたら?」と言った。
窓から差し込む夕陽が、薄らと彼女を照らしていた。
少し髪型を変えた彼女は、学生時代の彼女とは違う人のように見えた。
夕陽の中にキラキラと揺れる彼女を見ていると、今こうしてここにいる彼女は、現なのだろうか? と思った。
別れ際に彼女は「私の勤務先は分かるよね。いつでも訪ねて来たらいい」と言った。
そこには、もう迷う事なく歩いて行く彼女がいた。
僕たちバイト仲間の溜まり場だったこの喫茶店は、小さなビルの二階にあった。
歩くと軋むような、古い木の床。
静かな音量で流れるジャズ。勿論、チャーリー・パーカーのアルト・サックスも。
腰高窓から差し込む夕陽。
燻る煙草の煙り。
カウンターの向こうから漂う珈琲の香り。
物静かなマスター。
それは、そのまま映画のセットにでもなりそうだった。
本当に遠い遠い昔の話だ。
森田童子の「ぼくたちの失敗」というナンバーを聴くと、この喫茶店での思い出たちが、ゆらゆらと舞い上がっては静かに沈んでいく。
何年か前、僕はそのビルの前を通り掛かった。
そこには既に喫茶店の看板はなく、バーだかスナックだかの看板が上がっていた。
時は淡々と流れ、全てのものはこうして移り変わって行くのだろう。
この話にはまだ続きがあるが、このような粗原稿ではなく、いつか違った場所で、違ったカタチで書く事が出来れば良いと思う。
結末のない話だったが、これで完結という事にしよう。
最後に、かつて月夜のサーファーガールと呼ばれた彼女は、その髪をショートカットにし、今も大学の教壇に立っている。
僕はものの怪が物陰から覗いているような店で、今日もグダグダと過ごしている。