SFの父、H・G・ウェルズを読む
信じられない早さで、師走に突入した。
ちょっと、待っておくれと言おうがどうしようが、時は経つ。
果たして、時間というのは、
万物に対して常に一定に流れていくものなのだろうか?
と、考え込んでしまう。
僕たちが普段意識している時間というものは、
自然時間ではなく、絶対的な観念を持つ人工的時間なのだろう。
それが、正しいとか間違っているとかではなく、
もはや、その基準がないとあらゆるものに支障をきたす。
「ゾウの時間、ネズミの時間」という本(以前にも載せた)があるが、
ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)/中央公論社

¥714
Amazon.co.jp
それによると、感じる時間の速さは、個体によりまちまちだという。
どうやら鼓動の速さに比例するらしい。
僕はそういった考え方のほうがしっくりくる。
はたまた、時は過去から未来に向かって流れるものだというものに対して、
時は未来から過去へと流れているという考え方もあるようだ。
前者は、過去の積み重ねが、現在をつくる。
常に自分は因果により、流れていく。
後者は、自分は現在という一点に立ち、
未来から流れてくるものを拾ったり拾わなかったりする。
そこには、因果はない。
うまく両者間の考えを行き来すると、
良心に従い前向きに物事を考えていけそうな気がする。
明後日の方向から書き出した為、書くつもりだった事が飛んでいた。
子供の頃、TVで「タイムマシン」という海外映画を観た。
その「時」を行き来できるマシンに、
ものすごい憧れをもったような記憶がある。
10年ほど前、リメイク版タイムマシンを観て、
原作ってどんなのだろう?と思いながらも、
いつの間にやら忘れていた。
先日、店の棚整理をしている時に、その翻訳文庫を見つけた。
S41年発行角川文庫「タイムマシン」

わざわざ、ビニール袋に入れて保管してある所をみると、
いつか読もうと思って棚に置いていたのであろう。
早速、読み始めているが、ぐいぐい引き込まれる。
H・G・ウェルズ(1866年生まれ)著 1895年発行。
この本にはタイムマシンの他、6篇が載せられている。
117年も前の作品なのに、
時空の観念は現代とさほど変わらないのではないかと思う。
さらに1898年には「宇宙戦争」が発行されている。
「インデペンデンス・デイ」などもそうである。
まさにSFの父である。
こういった本が、唐突に目の前に現れる。
自分でいうのも何だが、
これが古本屋の醍醐味というものではなかろうか。

ちょっと、待っておくれと言おうがどうしようが、時は経つ。
果たして、時間というのは、
万物に対して常に一定に流れていくものなのだろうか?
と、考え込んでしまう。
僕たちが普段意識している時間というものは、
自然時間ではなく、絶対的な観念を持つ人工的時間なのだろう。
それが、正しいとか間違っているとかではなく、
もはや、その基準がないとあらゆるものに支障をきたす。
「ゾウの時間、ネズミの時間」という本(以前にも載せた)があるが、
ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)/中央公論社

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それによると、感じる時間の速さは、個体によりまちまちだという。
どうやら鼓動の速さに比例するらしい。
僕はそういった考え方のほうがしっくりくる。
はたまた、時は過去から未来に向かって流れるものだというものに対して、
時は未来から過去へと流れているという考え方もあるようだ。
前者は、過去の積み重ねが、現在をつくる。
常に自分は因果により、流れていく。
後者は、自分は現在という一点に立ち、
未来から流れてくるものを拾ったり拾わなかったりする。
そこには、因果はない。
うまく両者間の考えを行き来すると、
良心に従い前向きに物事を考えていけそうな気がする。
明後日の方向から書き出した為、書くつもりだった事が飛んでいた。
子供の頃、TVで「タイムマシン」という海外映画を観た。
その「時」を行き来できるマシンに、
ものすごい憧れをもったような記憶がある。
10年ほど前、リメイク版タイムマシンを観て、
原作ってどんなのだろう?と思いながらも、
いつの間にやら忘れていた。
先日、店の棚整理をしている時に、その翻訳文庫を見つけた。
S41年発行角川文庫「タイムマシン」

わざわざ、ビニール袋に入れて保管してある所をみると、
いつか読もうと思って棚に置いていたのであろう。
早速、読み始めているが、ぐいぐい引き込まれる。
H・G・ウェルズ(1866年生まれ)著 1895年発行。
この本にはタイムマシンの他、6篇が載せられている。
117年も前の作品なのに、
時空の観念は現代とさほど変わらないのではないかと思う。
さらに1898年には「宇宙戦争」が発行されている。
「インデペンデンス・デイ」などもそうである。
まさにSFの父である。
こういった本が、唐突に目の前に現れる。
自分でいうのも何だが、
これが古本屋の醍醐味というものではなかろうか。
