学校の課題に関連して、ヘレン・ケラーの自伝と、関連の障害についての本を読みました。


障害そのものに加え、障害があることによる生活の厳しい局面に、果敢に挑んでこられた方々のお話を読んで、何か、新鮮な美しい水で心を洗ったような感覚がします。こういった方々のように美しい心の人間になるためには、まだまだ私は沢山努力が必要だと思います・・・あせる


アメリカのどこかに、聾の方が多いため、住民が手話を自然に使える島があるとどこかで読みました。そこでは聾であるからと言って、だれも不自由を感じないのでした。学校で習ったのに全く覚えてない微分積分とか、化学の実験より、手話習った方が何倍も良かったな、なんて今思ってるところです。


聞こえないことの不自由が環境によって作られている場合も多くあり、制度を整える、ということに加えて、障害があってもなくても、一緒に生きる中で互いに配慮できる心の余裕というものがある社会になったらいいのにカメ