衝撃を受けた考え方は、学力は地頭でほぼ決まる(地頭論)。
大学受験時代の成績(高3後半)
主要合格判定
エピソード①遊び呆けてた中3の春まで
私は中学二年が終わるまで宿題以外の勉強はあまりしてません。勉強につまずくことはありませんでした。エピソード②偏差値だけ上がっていく高校時代
高校に入ると理系で言えば物理・化学・数学が難しくなるものだと思います。しかし、私は難易度の変化を感じられてませんでした(読めば分かる難易度)。
勉強すれば理解できるという状況で、教科書に書いてあるレベルは読めば(数Ⅲ、物Ⅱ、化Ⅱ)まで理解できました。
そんな中、私は回りの人たちがどんどん落ちぶれていく様に感じていました。
記述模試(たしか河合塾の模試)の結果は、
高1は数英で偏差値60弱(高1模試は理科なし)
高2春の模試で、理数英の偏差値が60代後半まで上昇(物理・化学が得意だったという理由もあります)
そこから理数英は偏差値70あたりを受験終了までキープしていました(英語が若干伸びた)。
これは自分が追いかける側だから楽しめてました。
しかし、追われる側だったら恐怖しかないなと感じます。
全く伸びない国語と多少伸びた英語
勉強時間は、数:理:英:国=1:1:3:5 くらいの配分でやってました。
・英語については偏差値60→70弱・国語については、偏差値50→55(漢文ができるようになった)
いくら勉強をやっても、国語はほとんど伸びない。
当時有名だった現代文の先生の参考書をたくさん読んで問題を解いてましたが全く伸びませんでした。
これは、国語の地頭が無いと言われた方がしっくりきます。
そんな中、何もしないのにセンター国語満点(200点)を取る友人がいました。
彼は国語の教師を上回っていて、中間テストの国語の正解が友人の指摘で何度も変わるぐらい国語ができました。
地頭とは何か?
ここまで自慢みたいな話をして何が言いたいかというと、勉強はマラソンとはかけはなれた競技かもしれない ということです。そう思わされるエピソードが自分の中にもあることに気づきました。
学力は、受験勉強以外の地頭に大きく作用されることには納得ですが、地頭が何か?という点はこれから考えていきたいと思います。
しかし、地頭=遺伝子
決まったものとは、思いたくありません。