衝撃を受けた考え方は、学力は地頭でほぼ決まる(地頭論)。
学習で学力をあげられるのは地頭+1ランク(恐らく偏差値5 程度)というお話

私の中で、勉強=マラソンであり、早く学習させれば早くゴール地点まで到達できる競技と認識してました。
そのため、娘には分かりそうな勉強を教えてあげてました。

しかし、うーたんさんのブログや中学受験経験者の経験談を読むとマラソン的な単純な話では無いと思いはじめました。

リブログを読んで、今までの自分の経験を思い返すと、地頭の違いとしか説明できないと感じるエピソード(後述)がいくつも思い当たります。

  大学受験時代の成績(高3後半)

物理・数学75
化学70
英語65
国語55

  主要合格判定

東大判定D or C 
東工大・旧帝の理工 常にA (高2の4月以降)
河合の模試だと、東工大・旧帝は第一志望者で1桁でした。

大学受験本番では、数学・物理で解き方が分からない問題はありませんでした(国立2次、早稲田、慶応)。もちろん計算ミスはあります。

塾は全く行っておらず独学
高校は、地方の偏差値52の自称進学校

通信教育も取っておらず教科書と書店で売られてる参考書のみで勉強してました。

そんな私のエピソードを紹介しますが、
私は地頭=遺伝ではないと思っています(と思いたい)。

地頭も後天的に底上げすることはできるが、それは受験勉強ではないだけだと思いたいです。

エピソード①遊び呆けてた中3の春まで

私は中学二年が終わるまで宿題以外の勉強はあまりしてません。勉強につまずくことはありませんでした。

しかし、中学校の中間テストは130人中20番、上位15%(偏差値60)程度でした。
テスト勉強は、前日に1時間ぐらいしてました。

中3の春に仲の良かった友達(A君)が高校受験の勉強をはじめました(A君も上位15%の成績)。
A君は、次の中間テストで学年1位になります。

その後、私も受験勉強をやりはじめました。
翌月の1学期の期末テストの結果は、A君が1位、私が2位

いま思えば、これが地頭だった。

当時中1から1桁の順位をキープしてきた人たちは10位あたりに転落してました。
1桁をキープしていた人たちの勉強量は、僕らが1ヶ月勉強しただけで追い越せる量ではないと思います。

いま思えば、勉強する前の成績が悪かったのは、テストの時間が足りてなかったと思います。

解けるけど時間が無い状態(上位15%)
→勉強により解く速度が上がり最後まで解答できる(上位1%)

エピソード②偏差値だけ上がっていく高校時代

高校に入ると理系で言えば物理・化学・数学が難しくなるものだと思います。しかし、私は難易度の変化を感じられてませんでした(読めば分かる難易度)。


勉強すれば理解できるという状況で、教科書に書いてあるレベルは読めば(数Ⅲ、物Ⅱ、化Ⅱ)まで理解できました。


そんな中、私は回りの人たちがどんどん落ちぶれていく様に感じていました。


記述模試(たしか河合塾の模試)の結果は、

高1は数英で偏差値60弱(高1模試は理科なし)

高2春の模試で、理数英の偏差値が60代後半まで上昇(物理・化学が得意だったという理由もあります)


そこから理数英は偏差値70あたりを受験終了までキープしていました(英語が若干伸びた)。


これは自分が追いかける側だから楽しめてました。

しかし、追われる側だったら恐怖しかないなと感じます。


全く伸びない国語と多少伸びた英語

勉強時間は、数:理:英:国=1:1:3:5 くらいの配分でやってました。

・英語については偏差値60→70弱

・国語については、偏差値50→55(漢文ができるようになった)


いくら勉強をやっても、国語はほとんど伸びない。

当時有名だった現代文の先生の参考書をたくさん読んで問題を解いてましたが全く伸びませんでした。


これは、国語の地頭が無いと言われた方がしっくりきます。


そんな中、何もしないのにセンター国語満点(200点)を取る友人がいました。

彼は国語の教師を上回っていて、中間テストの国語の正解が友人の指摘で何度も変わるぐらい国語ができました。


  地頭とは何か?

ここまで自慢みたいな話をして何が言いたいかというと、勉強はマラソンとはかけはなれた競技かもしれない ということです。


そう思わされるエピソードが自分の中にもあることに気づきました。


学力は、受験勉強以外の地頭に大きく作用されることには納得ですが、地頭が何か?という点はこれから考えていきたいと思います。


しかし、地頭=遺伝子

決まったものとは、思いたくありません。