朝井リョウの「正欲」の個人的な備忘も含めた記録です。

今年読んだ本では、小説で一番面白かったです。
今まで感じていた一つの疑問が解けたので、記憶に残り続ける小説かなと思いました。



一番好きなシーンは、佐々木佳道が世の中の人は、自分が多数派に所属しているのかという不安の中を生きているということに気づくシーンです。

p429
「正しいのか。合っているのか。多数派なのか。まともなのか。....みんなこの不安の中を生きていたのだ」

佐々木佳道は、水道から吹き出す水などの水流に興奮して、一般的な性欲を持って居ない人物。自分のことを間違った生き物だと認識していました。

自分は間違っていると認識しているから、わざわざ誰かと正しさを確かめ合う必要が無かった。
そのため、同調を求められたり、噂を流す行為の意味が全く分かっていなかったのです。

しかし、気づきます。
同調を求めるのは自分が多数派、すなわち正しい側であることを確かめる行為。
噂を流すのも異物を排除する行為で、異物と感じる自分の感覚が多数派であること、すなわち正しい側であることを確かめる行為。

p428
「まともって、不安なんだ。佳道は思う。正解の中にいるって、怖いんだ。
この世なんて分からないことだらけだ。だけど、まとも側の岸に居続けるには、わからないということを明かしてはならない」

自分が変な人とは思われずに、多数側にいることを確かめるというのは、確かに難しいことです。

会社や今まで関わった人にもいますが、「○○するのが正しいことだ。」とか言う人、同調圧力が強い人、噂好きな人もみんな多数派に所属するために必死だったんだと府に落ちました。

SNSで一斉に誰かを叩いたり、ニュースで芸能人の不祥事を異常に放送したり、子供たちのいじめも自分達が多数派で居続けるための必死の行動だったのかと感じます。


この本の「正欲」というタイトルの意味も「正しさを求める欲、正しい側に所属する欲」というニュアンスで感じました。


小説内の正しい側として登場する人たちは、正しい=多数派として描かれます。
世間一般でも正しい≒多数派という認識かもしれません。
しかし、正しい≠多数派という意識を持って生きようと感じました。