三年前と三年後のあとで | さむの御帰宅日記

さむの御帰宅日記

ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

 

 いまから6年前、2015年5月8日の金曜日。ぼくは初めて「天使の別荘VillAnge」に御帰宅した。紆余曲折のはてに京都に漂着して、二度目の大学院に入り直したところだった。日記をみる限り、その後、月に一度くらいは友人を誘ったりして行くようになっている。11月にはイベントをさせてもらい、その際にポイントカードが満了となって会員となっていた。会員番号239。この日については中々忘れないと思う。

 

 いま思えば、奇妙な喫茶店だった。後にも先にも、仏教とキリスト教を対決させたり、怪談会をしたりするようなメイド喫茶はなかなかないのではないか。

 

 転機は、2016年1月16日(土)に突如訪れる。転職した友人をさそってVillAnge一周年記念に参加した。そこでぼくは自らが学んできた理論知をメイド喫茶に適用しても成立することに気付いたのだ。

 

 

 結局、2016年は二週に一度くらいは通うようになり、新たな友人たちも徐々に増えていった。そして2017年、修士論文の突貫工事の最中、いろいろあって連続で御帰宅し、ちぃさんに驚かれた。だからというわけではないが、その年「今年はVillAngeに通ってみよう」と思ったのを覚えている。

 

 こうして2017年は少なくとも週に一度は御帰宅するようになり、イベントにも参加するようになった。そして一年が過ぎて2018年となった。VillAngeに通う交通費節約のために、大阪で仕事をすればいいと思いついたぼくは必要もあって、いまに続く宿直の仕事もし始めていた。

 

 ところが故あってVillAngeは閉館の運びとなった。事前にその話を聞いた日、夜は眠れなかった。そして5月20日が来て、6月18日に最後の貸し切りイベントさせてもらい、おそらく、ぼくが最後にVillAngeの扉を出て「お気をつけていってらっしゃいませ」と言われた者となった。今でも、あの時の景色を鮮明に覚えている。

 

 あれから三年が経った。三年間を過ごした御屋敷のあと、その統合先のemaidで三年間を過ごした。そう思うと、行き場をなくしたぼくを迎えてくれたemaidには、そして、今も迎えてくれるemaidには感謝しかない。これからemaidとの時間が少しずつ長くなっていく。

 

 地元を離れて関西で過ごした時間が、故郷での時間よりも長くなっていくように、VillAngeで過ごした時間よりもemaidでの時間が長く深く広く高くなっていく。「場所」への甘くてほろ苦い初恋は過ぎ去ってしまった。しかし、その場所を引き継ぐ要素、その本質を同じくする人々と場所が、emaidが、そこにある。

 

 行きて帰りし物語、寄せては返す波のように去来する思いは言葉にならない。だから、あとは日記においていた写真を貼ることでごまかしたい。

 

 あれから三年たって、みなが元気で健やかに暮らしているならそれでいい。どうか幸せになって、幸せであってほしいなと思う。同時に、いまemaidを切り盛りしてくれるえみさんやりりさん始め、メイドの皆さんには深い感謝を述べたい。本当にありがとうございます。

 

 今晩、兵庫、大阪から京都を抜けていく大雨が何をどこに流していくのは判らない。しかし、きっと疫病と異常気象の雲が晴れる日がくるだろう。そんな日がくることを、そして、そんな日が来たら御屋敷でそれを祝うことを待ち望みたい。そう思って、ここで筆を置く。

 

 以下、時系列は少しずれているかもしれないが、写真を載せておく。静かな雨音のように優しく懐かしい、大切な記憶。三年前の記憶、あれから三年後の今までの記憶、同じように大切な日々です。ありがとう。