仕事あけ。昼過ぎには御帰宅。そばが食べたいと思ったが閉まっていて、どうしようかと迷ったら、目の前に有名なしゅうまい屋があったので入った。
出てすぐ向かいには、なんと偶然にも御屋敷があったので、そのまま御帰宅。
座って、古本で買った『裸のサル』を少し読む。るりかちゃんが注文に来てくれて、えみさんがさくらジャスミン茶とチョコバーを配膳してくれた。チョコうまい。
畏友作家氏、Jrさんが来てブラックホールの生成と消滅についてなど楽しく雑談し、えなさんのチェキを一枚。ずっと自粛されてたようで、お久しぶりである。たとえば、高齢の家族がいたり等、人によって様々な理由で自粛の度合いは変わる。
ぼくの場合はそもそも福祉の仕事であり、独身男性でもあるので、注意しながら経済的に守りたい場所を守ることを選んだ。
とにかく、このまま収束してほしいものである。それはそれとして、疲れと眠気で、えなさんを見ながら、直前に見た「えみさん」が口を付いた。中々、自分でも驚くが加齢のせいである。
えなさんと久しぶりのチェキ。うれしい。
眠くなったので一度ネカフェにて昼寝。お出かけの際、かれんさんが挨拶してくれた。ネカフェが開いていることも有り難い。15時半前から17時まで寝て、再び御帰宅。
Jr氏、せいにゃ師匠と楽しく談笑のち、オーナー氏も一瞬加わって『裸のサル』第1章を読了。サラダさんも復帰され、御屋敷内もいい感じ。
18時過ぎ、ファニーティアーズへ、のあさんのケーキを食べるために立ち寄って、ねおんちゃんの翆髪をおがんで、お父さんさんと出発。
腹も減ったので、再び御屋敷にすわり、夕食。うなぎ氏の声、せなさんの立ち姿、ゆゆさんの気さくな笑顔が日常を取り戻す。りりさんがホールにおられたので、読了した怪談本を差し上げた。
会計はせなちゃん。あまりに眠いので、値段を間違え、カバンも忘れそうになった。さすがに眠いのだ。とはいえ、仕事明けの楽しい一日である。
友人らや常連方、メイドさんたちに会って癒やされたし、『裸のサル』第1章を読むことで、「なぜ人が裸のサルなのか」についての主要な仮説を知ることができた。
要約していえば、ヒトは果実や虫を食べる森での競争に負けてサバンナへと降り立ち、直立二足歩行、道具を使うようになった。結果、道具を使って獲物を追うようになった。
つまり、捕食性の哺乳類へと、おそらく百万年はかけて自らを進化させた。結果、オオカミやライオンなどの大型肉食獣でも、雑食性なりベジタリアンの他の類人猿(ヒトニザル)でもない、肉食型・捕食性のサルとなった。
他の哺乳類のように「毛がない」理由は、ネオテニー進化、性的記号、水棲化、種族の識別記号など、いろいろ考えられるが、どれも一長一短であるらしい。
誰もが思いつく「体温調節」や「保護」は、実は説明にならないそうだ。なぜならライオンであれウマであれ、ハゲワシであれ、毛皮を捨てることはなかったからだ。
体毛数がおなじでも、なぜ人類のそれは「毛皮」とは呼べないものなのか。なぜ「裸のサル」なのか。体温調節も保護も他の動物と比べて考察すると弱い説明になってしまう。
一方、ロマンチックで説得的な仮説もある。「人類の祖先が一度水棲化した」というものだ。説明可能な部分が多い仮説ながら、証拠がまったくない。たしか、この説は岩井俊二が映画化してたような気がする。小説も読み、個人的に大変記憶に残っている。
結局、蓋然性の高い説が残る。道具を持って獲物を追跡する際に獲得した「汗腺」と「皮下脂肪」と毛皮を交換した、という説である。
これも厳密にはツッコミどころがあると思うが、まだ1章を読んだばかり。そのうち、より説得的に理解できるのかもしれない。
ということで、人類とチンパンジーは、約700万年ほど前に分岐して、ヒトは「裸のサル」となり、この50万年で火の使用に始まって、狩猟採集から農耕へと移行し、富とカロリーを蓄積して、それを守り奪うために、いよいよ戦争と国家を必然的な文化として開発し、ついには宇宙空間へと到達したのだ。
そう思うと、絵画の残る数万年、文字記録のある数千年、そして「歴史」としての21世紀までというのは、本当に儚い、僅かな煌めきなんだなと思った。
先週の読書「ヒトはなぜヒトを食べたか」や、言語の発生など、これらを進化論的な時系列として聖書に合致させてみようと思ったが、すでに心身ともに疲れていたので、諦めた。記憶に残るのはスモークチキンの塩味と白飯のハーモーニーだった。うまい。
ということで、仕事明けの月曜午後。週の後半には梅雨入りらしいから、この初夏の陽気もそろそろ終わりとなるのだろう。少なくとも毛皮でないことは、これからの季節、梅雨と夏には良いことかもしれない。
【お給仕ズ】
えなえみ
るりか
かれん
うなぎ
せな
ゆゆ
りり