2/24 月曜祝日 午後 29日目 犬鳴村と粗相 | さむの御帰宅日記

さむの御帰宅日記

ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

 

 仕事明け。職場と交渉し、勤務後の昼寝休憩、シャワー利用を申し込んでみる。もし了解が出れば、ネカフェ代が浮くので有難い。とはいえ、本日は、よく寝ているのでスッキリはしている。タクシーアプリ導入クーポンで安く乗ろうと思ったが、来週の周年イベで使うので、それまで待つことにした。晴れているのに傘を持っているのは辛い。

 13時頃には御帰宅。昨日の興奮さめやらぬ、かつ皆全力出したのか、人もまばらである。ホッティらがいたのでご挨拶。その後、昨日かった古本を検める。さすがに勤務中には開く余裕がないのだ。

 

 並べたのを見た、えみさんから「犬鳴村みました?」と聞かれた。もし、えみさんの感想が絶賛や「好き」だった場合、けなすわけにはいかないので、どちらだろうかと訝った。どうやら、ぼくと同じだったらしい。うん、あの映画、そんなに怖くなかったよね...。

 

 ということで、以下「犬鳴村」感想※ネタバレ有! を挟む。未見の方は、そっ閉じ推奨である。

 

 

 

 ぼくが覚えている限りでは、犬鳴村は、オカ板やらシャレ怖、コピペから発生した都市伝説である。このあたり、ニコニコにも書かれているので、こちらを参照して頂きたい。初出は、1999~2000年頃という説がある。たしかに2ちゃんねるが有名になる頃には、もう多くの人が知っている話だったように思う。

 

 

2ちゃんねる「犬鳴峠」スレ

「犬鳴峠」 日時 2000 年 5 月 18 日 23:56:34
 

ニコニコ百科を参照すると上掲リンクと、以下の概要が出てくる。

いくつかバリエーションがあるものの、大まかに共通する話は以下のようなもの。

犬鳴峠のトンネルの脇道に入ると、「これより先日本国憲法が適用されません」というような文が書かれた看板がある。無視して先に進むと、斧を持った非常に足の速い住民に襲われてしまう。

 

 ぼくも覚えてる限りでは、このような話だった。あとは、実際に近くに犬鳴谷村というダムに沈んだ村がある「事実」くらいだった。まあ、多くの人が覚えているのは、これくらいだろう。「これより先日本国憲法が適用されません」の看板が、なかなかのインパクトで、記憶に残る。

 

 興味深いので、少し調べてみると、いろいろと面白いことがわかる。ぼくは事実上、学者になりつつあるので、やはり最初に気になるのは学術論文の有無である。ぱっと検索すると面白いものが出てきた。

 

 

 鳥飼氏による「犬鳴村」研究(立教大学リポジトリ)

同じく鳥飼氏による、

 エッセイ「福岡県の犬鳴山の中にある幕末期の「旅人墓(どじんばか)」を調べてみた」

 論考PDF「「筑豊」という「場所」から考える、都市伝説「犬鳴村」のイメージ生成について」

である。

  論考を要約しておこう。

 

 インターネット上の「新名所」の特徴は、実在の地域にありながら「消された」「存在しない」場所である。それは、岡山県の「津山三十人殺し」を描いた「八つ墓村」のようなもので、まさにそのイメージの続きに「杉沢村」「犬鳴村」「きさらぎ駅」が来る。

 

 論考によれば、1970年代から80年代にかけて、当時の犬鳴峠周辺の農家が暴走族対策で「ケモノワナ仕掛中 事故責任は負いません」「ゴミを捨てて帰ると霊が家についてくる」等の看板を立てたとの証言もある。

 

 また「犬鳴村」が、憲法が通用しない場=治外法権であることから、柳田民俗学における「山人」「サンカ」論を参照して、それらが筑豊地方の「泥棒部落」と重ねて語られた事実を確認している。

 

 この泥棒部落は、福岡県のある町で検索すればすぐにわかる。論考によれば、これら筑豊炭鉱地帯と福岡の市街地をつなぐのが「犬鳴峠」であり、さらに「地獄谷」と呼ばれる場所があった。

 この「地獄谷」が、別名「アリラン部落/アリラン峠」で、28箇所を数えるも「地図には載っていない」場所だ。論考によれば、これら地獄谷=アリラン峠は、大正時代に日本へ来た朝鮮炭鉱夫らが帰国できないままスラム化したもの。

 

 従って「地獄谷=アリラン峠」は全国に、無数に存在していたことになる。論考は、これらの事実を指摘して、インターネット上の都市伝説「犬鳴村」が、「中心と周縁」という差別の再生産につながる可能性を示唆して終わっている。

 

 とまあ、かなり委細に調べられている。で、この都市伝説「犬鳴村」が映画になったのだ。trailerをみた限り、何か怖そうな印象で、おお、これはおもしろいのでは!と期待していった。が、個人的な感想としては、えっ...いや全然怖くなかった...、つか冗長で眠くなってあくびも出たし、さらに3回くらい爆笑してしまった... ホラー映画として、それでいいんですかね...という感じ。貞子が恥じらって井戸に戻るレベルである。

 

 たまたま批評家と一緒に行ったので、鑑賞後、喫茶店にて反省会。まず「ホラー映画」というジャンルについて。

 

 そもそも、ホラー映画というのは映像作家たちにとって、前衛的な手法を試す場所になっているらしい。たとえば、カメラを持つyoutuberが見ている映像をスクリーンに映し出す。それをみる僕らは、劇中のyoutuberの目線を共有する。しかし、突然、カメラが切り替わって、youtuberを含む場所を映す。つまり、映像の「人称」が切り替わる。たとえば、このような手法は、モキュメンタリとして有名な『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』などにもよく見られる。
 

 つまり「ホラー映画」とは、映像表現のお約束が大量にある中で、それを継承しながらもズラすことで、新しい表現を目指す実験的な分野である。だから、メタ・フィクション(一歩さがって外部から全体を見るような視点)性が強くなる。ギレルモ・デル・トロ、Jホラーの白石晃士、高橋洋、黒沢清もそうだという。

 

 これらの意味で、今回、もっとも新しい表現が一つあった。それは、主人公の女性が一族の過去を亡霊によって知らされる際、彼女の白いブラウスをスクリーンとして過去の犬鳴村が映しだされ、そこから亡霊たちが出てくる場面である。たしかに、この場面は批評・現代アートなど、素人でしかない僕がみていても、おもしろい仕掛けだなとは思った。でも、怖くなかったし、笑ってしまった.ZE... AHAHAHAHA...

 また批評家氏によれば、通常、ホラーとは「見せられることの暴力性」が前提となっている。すなわち、モンスターなり亡霊なり、悪魔なりが、必ず誰かの目を無理やりこじ開けて、目が合えば呪われる、死んでしまう、というお約束がある。

 

 しかし、映画「犬鳴村」では、そうではなかった。むしろ主人公が目を合わせることで、亡霊たちの救いの物語が始まるのだ。その意味で、今回の映画は「見者の主体性による家父長制の解体」映画だったという。

 

 簡単にいえば、ホラー映画とは、つねに男性にとっての他者、究極的には抑圧され周縁化された女の問題を描いてきた歴史がある。しかし、それゆえ、ホラーにおける恐怖の対象であるモンスターや亡霊は、いつも男の目を無理やり見開かせて来た。

 

 しかし、「犬鳴村」では、女性が目を開き、心を開くことで、モンスターと見なされ、恐怖のレッテルを貼られた存在の救済が始まり、最後には、主人公の女性自身が、身体レベルで生成変化する。この意味において、「犬鳴村」は、正当かつ新しいフェミニズムの映画である、とのこと。

 

 なるほど、すげえ...と思った。爆笑している場合ではないのかもしれない...。とはいえ、怖くなかったじゃん...。

 

 と、まあ、そんなことを、えみさん、せなさんと話してみたいと思っていたが、御給仕の邪魔になってもアレがアレでアレなので、ここに書いた。

 

 ということで、話は、僕の2月24日(月)、29日目の御帰宅に戻る。

 

 買った古本を一通り、眺めてみて、とりあえず面白かったのが、光源氏が須磨海岸でヘラってる話と兼好法師の文章。あと「日本語の起原」をアラビアとした珍説本。ちょっと、ニヤニヤが止まらなかった。それと交換ノートに再びコメントを追加。旦那様方も書いて良いらしいので、みな書けば良いのに。メイドさんも喜ぶと思う。

 

 食べて読むと眠くなってきたので、一度ネカフェにて横になった。40分ほど寝て、御帰宅。モカショートケーキを食べて、ぐえーちゃんと喋ろうとして、こぼした挙句コップを落として割ってしまった。粗相である。

 やはり二泊三日、38時間拘束のあとなので疲れているのは否めないが、やってしまった。ちょっと凹んでいたが、ぐえーちゃんと話す中で思い通ずる事業の話なども聞けて元気になった。とはいえ、御屋敷にはご迷惑をおかけしました。また横に座っておられた旦那様には、申し訳ありませんの一言に尽きる。伏してお詫びいたします。

 ということで、19時の電車にのって帰洛。連休のせいか人がいない。車内でおにぎりとパンを食べた。ツイキャスを久しぶりに触ってのち、ネトフリを見て1時には寝た。

 

【ぼくが視認したお給仕ズ】

えみ
えな
ほとり
鈴蘭
るりか
める
のん
みさ
妖精さん
(敬称略・順不同)