LOVE先日、文芸春秋3月号に芥川賞の受賞作の2作品掲載されていたので買ってみた。

「苦役列車」西村賢太と「きことわ」の朝吹真理子。

西村賢太さんは、実際、30年ほど前に父親が強姦で逮捕されたり、本人も2度の逮捕歴がある人物。

かたや、朝吹真理子さんは、慶応大学大学院生であり、父親がフランス文学の権威で教授だったり、おばさまが有名な詩人だったり、おじいさんも、どこだかの名士である、セレブなお嬢様。

この2人の作家にも作品、格差受賞とか色々いわれてたけど、そういう意味では、文学の世界は平等なのかもしれない。


まず、苦役列車を読んでみた。作者自身が19歳だったころのことを書いた作品。

社会の底辺で生きる主人公の孤独感や、劣等感、嫉妬深さそういった感情が臨場感あふれる文体ながらも、なにか、さばさばした感じを与え、読んだあとに、それほ暗澹とした気持になることもなく、人生って結構そんなものだよね、と。しかしながら、社会の底辺とは言いながらも作者が19歳のころは、まだ1990年代初めころだし、バブルの名残が残るころだから、日雇いの仕事も今よりたくさんあった時代。そのせいか、気が向いたら日雇いの仕事に出かける主人公の生活にそこまで社会の底辺で生きている人だなあという感じもしなかったことが逆に、ある意味ちょっと怖かった。(今は、真面目に働きたい人にも仕事がない時代なのだから)

句読点も少ない作品なので、一気にだーっと読めるので、文学っていうより日記みたい。

この苦役列車を読んでみて正直、私は、ちょっとがっかりした感あり。私が期待しすぎていたということも否めないんだけど。

私には、大好きな作家がいて、「家族に対する動かし難いコンプレックスと自身への劣等感」、日雇い仕事で生計をたてていた点など、西村賢太さんと似通っている部分が多かった。だから、現代版の・・・かと心躍らせた。

だけど、実際は、その作家の作品と西村賢太さんの作品では全然違っていた(しょぼーん)。



中上健次は昭和を生きた作家(1946年~1992年)。

和歌山県の被差別部落に育ち、その自分の育った町を路地と呼び、その独特な昇華された性描写で「赤髪の女」という短編小説が神代監督のもとピンク映画の金字塔とされながらも、純文学的な心の機微と独特な宇宙を感じさせるような自然の描写に20代の私はメロメロに。

3年ほど前に彼の故郷である和歌山県の熊野にも行き、彼の作品のタイトルともなっている「火祭」の舞台となった神社にも行ってきた。熊野川の荘厳さや、古代の時代からの日本人の自然崇拝の土地でもあり、熊野古道の最終地点でもある熊野神社という神聖な気持ちにさせてくれる場所で、中上作品の中の神聖さや、空気の張りつめた匂いを感じる理由がわかった気がした。


本でも映画でも音楽でも、シュールなものであっても私小説やドキュメントであっても、この慢性うつ病のような今の日本の状況を「すこーん」と突き抜けるような宇宙を感じられるような清々しいものに出会いたいし、そういうものを自分も作りたいなと思う今日この頃である。



ところで、最近見たくて見たくて仕方がなかったのにずっと近所のツタヤでレンタル中で借りられなかった映画「インスタント沼」をダンナさんの大親友K君からもらった。

[人間には、人に迷惑をかけてでも、知らなきゃいけないことがあるのよ]って母親役の松坂慶子が麻生久美子演じる娘に言うセリフがやけに耳に残った。タイトルの「人生、人は笑ってる時間のほうが長いのだ」っていうのも劇中の麻生久美子のセリフ。

荒唐無稽で笑えてゆるくて、最後は超常現象が起きてびっくりしたにもかかわらず、結構じーんときた。

すっごく楽しくて、素敵な映画だった。

ちなみにダンナさんの大親友K君は、私も出会ってからもう20年くらいの友達だけど、哲学者みたいな人だスナフキン

大学のときに、精神年齢の幼かった私は、よくK君からアドバイスをもらった。本人は忘れてるだろうけど。

だけど、その昔もらった言葉の本当の意味が分かったのは、それから10年くらいしてからだえ゛!

今は少しは彼に追いついてきたんじゃないかと自分の成長を信じ切っている私である。あくまでも思いこみである。



今一番気になってる映画は、4月にレンタルにもなり行きつけの(?)小さな映画でリバイバル上映する「ミックマック」きらきら!!「アメリ」の監督。フランス独特のダークでポップな色と大人の童話的な毒々しいけどファンタジー要素満載の映画。まだ見てないけどね。


色々なことがあるけど、できるだけ笑って行きたいなー。