今日3本目の日記ビックリマーク


今日の午後3時過ぎ、保育園から電話携帯があり

「お昼寝から起きたら39度の発熱があり

 インフルエンザもはやっているので

 早めにお迎えに来て、病院に行って下さい」

と言われました。


うわー!!この時期になって。

産休に入るまでは、とにかく職場でもらってこないよう、厳重注意。

産休に入ってからも安心して気をぬかなにようにって、すごく気をつけていたんだけれど。


まさか、息子がもらってくるとは。


おじいちゃん、おばあちゃんに車を出してもらい、私も一緒に小児科へ。

発症してまもなくで鼻汁がまだ少なくて検体があまり取れず、結果はA型が気持ちうっすら陽性かな?ぐらいでした。

でも、タミフルは早めに始めた方がいいので、もらってきました。


私は・・・どうしよう。

小児科の先生には

「産婦人科で相談した方がいいね。

今はマスクとうがいで予防するしかないね。」

と言われました。

あさって健診なので、その時相談しよう。


タミフルもリレンザも予防投与が可能ではあるけれど・・・。


妊婦には有益性投与(投与するメリットの方が大きいときのみに使用)となっています。

予防投与することで有益性が上がるってわけでもないし。

(↑これはあくまで私個人の考えですが、発症していないのに飲む必要もないかと。)

発症してからダッシュで病院に行くしかなさそうですね。


今日はおばあちゃんに泊まってもらい、夫にも早く帰宅してもらい、私はなるべく息子のそばに行かないようにしています。


予防接種は受けたので、抗体がまだしっかり残っていることを祈ります。


2回目の流産は、2000年12月。


最初の妊娠がうまくいってたら、今月出産だったのね。

赤ちゃんが帰ってきてくれたのね・・・なんて思ってたら、また流産だった。


2,3日、生理が遅れていた。

仕事中、上司と一緒に作業をしていたら

「ぷりさん、赤ちゃんは欲しくないの?」

と唐突に言われた。

その人は、漢方で有名な企業で営業をしていたことがある人。

産婦人科の先生ともよく会って、不妊症の人の漢方について先生に資料を持って行ったりしていたそうです。

「漢方を使ってみるのもいいかもよ」

とアドバイスをもらった。


翌日の朝、仕事中に出血。

重たいものを持つ仕事だったので、このまま仕事をしていたらやばい、と思って、昨日の上司に相談して早退させてもらった。

病院に行ったら、まだ妊娠反応ははっきり出ていないので、様子を見るしかありませんね、と言われました。


自分の判断で、数日お休みさせてもらった。


翌週、やはり出血が多くなっているので病院へ。

化学流産でしょう」

とのこと。


2日前に夫の両親に会っているのですが、今回もやっぱり話せなかった。

なんて親不孝なんだろう。

早く赤ちゃんを生んで、義父母をよろこばせてあげなくては、と思った。


夫が出勤前に病院に付き合ってくれたのですが、あまりに気持ちがふさぐので

「会社をさぼって、どこかドライブ車に行こうか?」

という話になった。

でも、またおそってくる激しい痛みを想像すると、遠出なんかしてたらいけないビックリマークと思い、

近所の神社に

「今度こそ、かわいい赤ちゃんが来ますように流れ星

とお願いするだけで、家に帰った。


一人でいると、とても心細くなり、誰かに電話したくなってしまいました。

両親とも仕事をしていたので、話し相手がおらず、祖母に電話してしまった。


祖母は後期流産をしたこともあるので、そんなことぐらいじゃ驚かないと言っていたが、悲しい思いをさせてしまったな、とあとで後悔。

そして、祖母の口からこんな言葉が。


「おばあちゃんは、まだまだ長生きするから

 そんなにあわてて赤ちゃんを作らなくていいよ」


明治の女の人は強いな、と思いました。


病院でもらった子宮収縮薬を飲み始めたら、痛みが強くなってきた。

我慢して乗り越えないといけないと、布団の中で耐えました。



化学流産だったので、あっけなく終わりました。


春が来るとどうしても思い出してしまうんだよね・・・桜


これから出産だというのに、こんな話を書いてていいのか、どうか。

でも、時間がある今のうちにしかかけないと思うので、書きます。



最初の流産は、2000年4月。

近所の桜がきれいなところにお花見に行った、その日に出来たらしい。

生理が遅れて1週間。

我慢に我慢した妊娠検査薬を使ったら陽性が出ました。

帰宅した夫と手を取り合ってよろこんだのもつかの間、その日、微量の出血があって、いやな予感がしていた。


いろいろ訳あって、受診したのはその3日後。

仕事が休みにくかったので、午前中だけ出勤し、午後から病院へ。


「結論から言うと『完全流産』です。」


先生が言うには、

「妊娠反応が薄く、子宮の中には何も見えない。

 最終生理からすでに6週たっているので

 妊娠していたとしてもすでに流れてしまったのでしょう」

とのことだった。

また、6週であることから化学流産でもないであろう、とのこと。


「仕事は休んだ方がいいですか?」

なんてアホなことを聞いてしまった。(私のおばかビックリマーク

当然、自宅で安静。


ゴールデンウィークにもかかわらず、夫は仕事が忙しく、私を一人残して出勤する日もあった。

私の両親が助けに来てくれて、ご飯を作ったりしてくれた。

心配性の夫の両親には言えませんでした。

(その後のすべての流産について、話はしていません。)


出血が少しずつ増えて鮮血に。かたまりも出てきた。

ああ、これで本当にだめになったんだ・・・と思った。

腰痛がだんだん尾てい骨のしびれにかわり、もしかして陣痛?と思うような痛さだった雷

今思えば、この時の流産がいちばん痛みが強かった。


痛みが強かったおかげか、流産の手術はしないですんだ。

これだけが救いだった。



1週間仕事を休んで、最初の出勤日、退職を申し出た。


流産以前に、ストレスが多く、いつやめようか・・・って悩んでたぐらいなので。

毎日、職場にいる人同士が喧嘩パンチ!

私は関係ありません!って、その喧嘩には加わらなかったけれど、見苦しかったのでストレスだった。

お腹の子が、

「お母さん、ストレスの多い職場を早く辞めて!」

って言ってる気がしたので、迷いは全くなくなりました。



その後すぐ、次の排卵がありましたが、まだ出血が残っていたので、変な感じだった。

生理もぴったり来たけれど、生理の前後にも出血があり、なかなか止まらなかった。

再び診察に行くと「機能性子宮出血」とのことで、おしりに注射されました。

2週間たつと生理が来ますよ、と言われました。


仕事を辞めて、心を癒すため京都へ旅行。

旅行先でやっとまともな生理が来て、体調は戻りました。