
息子の事で心の整理がついたせいか、一昨夜はようやく久しぶりに所属している団体のインターネット会議にも出席出来て、依頼されているパソコンのマニュアル作りも大分進みました。
今日は、プリンの難病発病前のことを書きたいと思います。
プリンは、群馬県の田舎町に、2人兄妹の末っ子として産まれました。
兄は小さい頃から出来が良く、プリン家代々の血を素直に受け継いで、教師をしています。
プリンはヤンチャで親の言うことを聞かなかった父に顔も性格もソックリで、代々の血の継承など無視…(笑)
子供も好きだし教えることも大好きだったけれど、学校の教師になるのが嫌で、22歳の頃からインテリアコーディネーターとして建築会社に勤め、自分の勉強の為に現場監督も兼任しながら、モータースポーツやスキーをメインに趣味 も積極的にこなす、活動的な人でした。
仕事と趣味が忙しく、眠る時間は毎日3-4時間…。
二級建築士もインテリアコーディネーターの資格も学校に通う時間が無く、全て独学、しかも勉強期間は両方共3カ月以内…という短期間で一発合格…と、毎日時間に追われる生活を送っていました。
そんなプリンのもうひとつの趣味が、パソコン。(多趣味なのも、父親譲り…)
当時、パソコンが趣味な女子も少なくて、現在でいう完全会員制のイントラネットという古いシステム上での、SNSの掲示板で知り合ったのが今の主人。
男勝りで女子力の無かったプリンは、結婚前提で付き合いすぐに結婚→アメリカ駐在と、あまり恋愛を楽しむ時間もありませんでした。
じゃあどうして主人と結婚したか?って…⁉︎
たまたま2回目のデートの帰りの車の中で、手相や手の大きさの話しになり、プリンは「手の平が厚くて大きい男性フェチ」なのですが、身長も小柄な主人の手の平が想像以上に大きく分厚くて(車のメカだから、余計にゴツかった!)(笑)、触った瞬間に「あっ!この人だっ‼️」という不思議な感覚になり、3回目のデートでプロポーズをされた時にはアッサリOKしていました(笑)
どんだけ「手フェチ?」って思われるかもしれませんが、実は人間の手の平の真ん中と足の裏の真ん中には「気」を吸ったり吐いたりする「穴」があり、その頃は自分では気付いていなかったのですが、その「手の平」で懐の広さや深さを感じていたんだと思います。
そして、今でも立派な「手フェチ」です(笑)
(あっ、プリン自身の手も小学生みたいに小さいですが、手の平は分厚くて大きいです笑)
普段は私は基本的に自立しているし、束縛されるのも、するのも大嫌いだけど…、だからこそ何かあった時にお互いを支え合える「懐の広さと深さ」は重要です

あっ、話しがズレましたね…^^;
で、アメリカ駐在を終えて帰国し、ようやく息子を出産した後は、子供代わりのラブラドール犬のメロディーと、息子の育児に4年間没頭した後息子の保育園入園を機に、建築会社の社長さんからのスカウトでアルバイトで図面を描きに行った事がキッカケとなり、遂に念願だったフリーランスのインテリアコーディネーター、インテリアデザイナーとして独立しました。
そして、それから仕事も育児も家庭も何とか頑張り、ようやく有名な会社からも仕事の依頼が舞い込む様になった頃、この病気を発症してしまいました。
まあ、最初に立てた夢の頂点まで、ある意味登りきったのですが、本当はこれから…という時で、仕事もたくさん断らなくてはならず、たくさんの期待していてくださった方々にもご迷惑をお掛けして、本当に本当に申し訳なく、悔しかったです。
やはり、あんまり丈夫ではない身体で、色んな事を欲張り過ぎ、頑張り過ぎた結果…だと思っていました。
(主人からも、時々心配されていましたから…)
でも、最初は凄く早かった進行がピタッと止まった時から、私が本当にやらなくてはならない事への気付きの為の第二の人生が始まったみたいなんです…。
新しいたくさんの素晴らしい方々との出逢いがあり、私は大切なその方々の事を「ソウルメイト」と呼ばせて戴いています。
その「ソウルメイト」に導かれる様に、今の「ヒヨッコ・ヒーラー・プリン」が居ます。
先日の気功講座では、師匠から「もう凄い力がついているよ…」と言って戴いきましたが、まだまだ修業の身。
インテリアデザイナーだった頃の様に、いつまでも初心を忘れず「謙虚」な心を大切にしていきたいと思います。
今回はプリンの発病前について、簡単にお話ししました。
次回は、発病後、どんな気持ちで病気をどう乗り越えてきたか…について、お話ししたいと思います。
いつも長いブログを読んでくださって、本当に有難う御座います。
それでは、また

プリン