とある公園の秋色  | nao-sの撮りん歩ブログ

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今宵は11月後半に撮ったトーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園の秋色を♪

 

 

いつものようにペタペタ貼り付けてしまうんよ♪

 

 

 

メタセコイアの和名って、あけぼの杉って云うんですね (詳細は下の方にコピペしました)

 

 

こちらの公園のフェイスブックで「あけぼの杉」と書いてあるのを読むまで知らんかった(>_<)

 

 

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新型コロナウイルス感染予防と云う事で、建物内に入れるのは子ども劇場だけでしたよ。。。。。

 

 

キノコの家に入れないと、訪れる子ども少ないような?

 

 

子どもよりもワンコ連れの方が多かったかな(;´∀`)

 

 

ちなみに我が家のワンコロはモデルにはなってくれないので、ここでは一枚も撮れた事が無いんよ(-_-)

 

 

 

明日からは12月に撮った秋色編です♪

 

って、まだ秋色を続けるのかと言われそう(>_<)

 

 

 

和名:曙杉(あけぼのすぎ)

メタセコイア(Metasequoia glyptostroboides )はスギ科の落葉性の針葉樹で、

「生きた化石」として有名ですが、これを発見したのは、香川大学農学部の前身である香川県立農林学校を

大正7年(1918)に卒業された三木町出身の三木茂博士です。

 

 京都大学で古代のフロラについて研究しておられた三木博士は、

和歌山県橋本市などの第三紀の粘土層から新種の植物遺体(化石)を発見、

メタセコイアと昭和16年に命名されました。北米西岸に生育するセコイア属と比べて、

葉、枝、球果等に多くの変異を認め、総合的に検証してメタセコイア属を新たに設立されたのです。

300万年から100万年前頃までは、日本にもたくさん自生していたそうです。

 

 この絶滅したと考えられていたメタセコイアの生存木が、昭和21年に中国湖北省利川市磨刀渓で発見され、

「化石が生きていた」として世界的ニュースになりました。

 

化石の研究から類推して論文に記載した姿と寸分違わなかったことから、

三木博士の観察力、洞察力、着眼点のすばらしさが、あらためて高く称賛されました。

 

 昭和24年には、中国で見つかったメタセコイアから米国で繁殖した苗木の第1号が、

生物学者でもあられた昭和天皇に献上され、吹上御所に植付けられました。

すくすくと成長するこの木を陛下はたいへんに好まれ、戦後日本の復興の喜びとともに

昭和62年の歌会始で詠まれたのが次の御製です。

なお、曙杉(あけぼのすぎ)はメタセコイアの和名です。

 

「わが国のたちなほり

()年々

(としどし)に あけぼのすぎの木はのびにけり」

 

香川大学農学部サイトより。。。。。。。。

 

 

 

 

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