日曜日は娘と両親を連れて隣県の温泉まで日帰り旅行の予定をしているので、娘には期日前投票をしておくよう勧めていた。
大学1年生18歳の娘にとって、今回が初めての選挙になる。
新聞もテレビも見ない娘がどうやって選挙の情報を得てどのように選んだのか聞いてみたところ、情報源は主にXだった。
各党の公式アカウントではなく、どの政党がどんな公約を掲げているかということをまとめたアカウントや、政治について呟くアカウントが多数存在し、それを見ているらしい。
大学でも軽い会話として、選挙に行くか、どの政党を支持しているか、それは何故か、どの政党がどういう公約を掲げているかなど話し合ったとか。
若者の政治離れと言うけど、娘の周りはそうでも無いらしい。
選挙前、政治関連情報をSNSで見るようになった娘は『お母さんの世代ってほんまに可哀想よな。子どもは多いし不景気やし。日本人が真面目じゃなくなったて言うけど、日本人が真面目やったんは真面目に働いたら報われてたからであって、お母さんらの世代を粗末に扱ってきたから日本はこんな少子高齢化が進んであかんようになったんよな。』と言い出した。
やっと気づいたか。
今の高齢者は学生運動も盛んな時期を当事者として過ごし、日本の高度経済成長を体感しているだけに政治に対して関心が強く、積極的に選挙にも参加する。
一方、団塊ジュニアと呼ばれる私世代は子どもの数が最も多かったので厳しい受験戦争を経験した上、学生時代にバブルが崩壊したので就職氷河期と呼ばれるほど正社員の採用が無い超買い手市場だった。
私は大学で教育学を専攻したけど、私の年齢をピークに子どもの数は減少していたので教員採用もほぼなく、どうしても教員になりたい人は北海道や地方の採用試験を受験していたし、浪人して国立の教育大に進学した友人ですら正期教員の道には進めず非常勤講師になった。
私の同級生で志望通りの道に進めた人はほぼおらず、旧帝大にストレートで進んだ優秀な友人さえ就職浪人したほどだった。
当時はインターネットもなく、就職先は会社四季報や新聞の求人欄などを読んで資料希望のハガキを書き、先方から送られて来て初めて応募できたが、三流私大の私は100枚ほどハガキを書いたが資料すらほとんど届かない始末。
男女雇用機会均等法が施行されたばかりで、男女募集と記載があってもいざ面接に行くと『うちは男子しかとらないから』と言われたこともあった。
大学まで行かせてもらったのにちっとも就職先が決まらず親に申し訳ないと思い、やりたくもない生保の営業職に決めたのはすっかり涼しくなった四年生の秋。
誰もが知っている超大手企業である一方、めちゃくちゃブラック企業で、20-30人入職した同期は次々に辞めて行き、それに焦った課長の締め付けはますます激しくなり、最終的に私は課長に面と向かって反目し、辞められない同期の拍手を浴びながら、羨ましがられながら6月のボーナス前日に退職。しかし入金の手続きが取られていたため口座に入金され、そのたった50,000円を取り返すため、課長は毎日嫌がらせの電話をかけて来た。
退職前、どう考えても駅前でティッシュを配る方が時給良いよね、と同期と話し合っていた私は、時給千円のパートで教育関連企業に転職することを決めていたが、転職先を調べてお前の悪口を言ってやる、というような内容だった。
私はそれを録音して会社の人事部に電話し、労働基準監督署に訴えると通告したところ、部長が課長を連れて10,000円の商品券を持って謝罪に来た。
心機一転働きたかったので、商品券と50,000円、課長と部長も返し、手打ちにした。
時給千円のパートもサービス残業が横行していたけど、やりたい仕事だったから頑張れた。
その職場もバブル崩壊の煽りを受け、私が就活をした年から数年間、正社員の募集が無く、殆どが契約社員だった。
私は2年半時給千円のパートを経験した後、契約社員になって、3年目に結婚。正社員はパートや契約社員の比じゃないほどサービス残業があり、また全国転勤もあったので、8年余り働いたけど正社員にはならなかった。
退職後数ヶ月で妊娠、無職の状態で出産したが娘が一歳三ヶ月の時にやむを得ない事情で突然離婚。
一切の収入が無くなり途方にくれて役所に相談に行ったところ、経理はどんな小さなお店でも会社でも必ず必要だから、と勉強を勧められた。
まずは娘を保育園で預かってもらわない事には働くこともできないので、保活に有利そうだと思った公の職業訓練校の入学を目指し、娘を寝かせたあと、毎晩入学試験の勉強をした。その甲斐あって主席合格。『こども預けて学校とはええ身分やな』と園長に嫌味を言われながらも娘は一歳五ヶ月で保育園に入ることができ、私は全く興味のない経理の勉強と並行し、子持ちシングルという就活に不利な条件を少しでも補填するため、社会人経験を形に表せる秘書検定準一級を取得した。
職業訓練校では日商簿記3級と全経簿記2級しか取れないので、日商簿記2級も取ろうと学校に行き始めたが、そもそも経理に興味がないだけでなく本来嫌いな分野なので流石にパンクし、断念した。
それでも職業訓練校に在籍している間に就職を決めないと保育園を追い出されると焦り、卒業目前に小さな税理士事務所に入職したもののとてつもないブラックで1週間で退職。給料は1円も貰わずじまいだった。今思うとちょうど確定申告直前の最繁忙期で殺伐としていたんだだろうけど、ヤクザのような所長の顔をボンヤリ覚えているだけで、何がそんなに辛かったのかは記憶から抹消されている。
とにかく保育園のために仕事を見つけなければ、と以前働いていた教育関連企業で働いている先輩に紹介してもらい、本部の事務職時短パートとして復帰。正社員で探している繋ぎである事を公にした状態で、仕事をしながら就活もした。
3ヶ月ほどそんな生活をしながら、癖が強い所長の税理士事務所と工場の営業事務から同時に合格の返事をもらい、友人に相談した上で税理士事務所に正社員として入職。癖の強い所長にやられて円形脱毛症を発症しながらも優しい先輩のお陰で、2歳の娘が四年生になるまで、今の職場(大学事務)への転職を目指しながら働いた。
最終試験まで進んだものの、役員面接で税理士事務所の総務職と大学事務との乖離を指摘され、不合格。
教育出身のシングルマザーにとって地元の大学職員はめちゃくちゃ魅力的で諦めきれず、また全く興味のない経理や総務をあと20年続けると思うとカッパほど禿げそうだったので、40歳になった時、ラストチャンスだと思って大学に授業を売る企業へ転職。ここもワンマン社長で恐ろしくブラックだったので、娘との時間を大切にするため一年で退職。非常勤として大学で働きながら勉強をし、正規職員の試験を受け続け、2年目でついに合格。今の職を得た。
長い自分語りになってしまったが、そんな経験から学んだことは『努力は必ず報われるものでは無いが、結局は努力するしかない』ということ。
娘に対しては長い自分語りは全部省略し、『努力は…』の部分のみ伝えた。
政治に期待しない人生を長らく送ってきたが、娘は最高裁判官についてもきちんと調べてから投票に行ったらしい。若者が政治に興味を持っているなら日本の未来はまだ救いがある。
今日は期日前投票に行こうか。