7/1月曜日(入院2日目)
長い初日の夜が明けた。
病院は6時に動き出す。
朝食は8時。食パン、マーガリン、牛乳、オレンジ、プリン。
食欲もなくオレンジとプリンしか食べられず。
それでも歯磨きをさせてもらい、幾分気持ちがすっきり。うがいの仕方がわからず、我が家から救急隊に運ばれ一晩私を支えてくれた肌布団に盛大に溢してしまったけど。仕方ないのでこれは今日娘に持って帰ってもらおう。
朝食後すぐ、初めましての主治医がレントゲンのコピーを、記念にどうぞ、と持って来てくれた。
眉毛を整え腕毛ゼロの今時ルックスの若いお兄さん。
以前の私なら、こんな若くて大丈夫かな?と警戒したかもしれないが医学部1年生の我が娘も近い将来通る道。見た目は今時の若者やけどちゃんとしてるなあと思いながら話を聞く。
主治医の提案する手術方法は二通り。
①折れた骨を金属で繋ぐ。これなら今日できる。ただし股関節は血流が悪く上手くつかない可能性があり、その場合は再度人工関節の手術になる。また、術後4週間は寝たきり。
②人工関節をいれる。
人工股関節が20-30年しか持たないので、75-80歳くらいで再手術が必要。こちらは水曜日か木曜日の手術になり、主治医とは別の人工関節専門の先生が執刀する。
50歳という年齢は本当に微妙で主治医自身も決めきれず、どうします?ときた。人工関節専門の先生にも相談したけど、本人に説明して決めて貰えと言われたと。そうか。この若手主治医だけじゃなくベテラン医師も迷うところなのか。でも私素人だから決めろと言われましても難しいです、と言うと、そうですよねえ、と唸る主治医。
私としてはなるべく早く手術して欲しい気持ちがあるので、人工股関節だと後3日もまたなければいけないのがしんどいと言うと、逆に人工股関節だと術後すぐリハビリに入れるが、骨継ぎだと術後4週間は寝たきりになる。高齢者はそんなに長期間寝たきりになると復帰がほぼできないので人工股関節一択、人工股関節再手術が必須になる40代までは骨継ぎ一択なんだそう。なるほどね。
更に私は以前から長距離を歩くと股関節痛があり、11年前に整形外科でAcetabular head index(A.H.I.)右79、左74臼蓋形成不全の診断を受けていた。つまり股関節の受け皿が小さいため負担がかかっていて、痛みが出ているらしい。もともと受け皿が小さいのに人工股関節にすると脱臼の可能性が上がるのでは?と聞いたら、それは逆で、骨盤を削ってお皿を深くしてから入れるのでむしろ人工関節の方が良い。レントゲンを改めて見ると確かに少々浅い。既に股関節痛もあるのであれば、将来的には左も人工股関節になるだろうし、人工股関節にしましょう、と一転。
今日にも手術と思っていたが、水曜日までこの状態で待つことになった。全人工股関節置換術についての説明をしてもらい、手術承諾書やら諸々にサイン。
後3日、このままか…。
そして入院は1.5ヶ月、片道2時間通勤の職場復帰は2ヶ月の見込みとの連絡を改めて職場に伝える。母が2ヶ月入院してもヨチヨチあるきだったことを考えると2ヶ月で職場復帰できるだろうかという不安もあるが、上司的には想定外の長期離脱に驚いたと返信があった。申し訳ないが病気休暇の手続きを進めていただくようお願いした。
その後、担当になるという看護師さんが挨拶に来てくれた。今日から3日間日勤だから宜しくね、と頼もしい。
ご飯は食べれてる?と聞かれたので、晩御飯は食べるのが難しかったと伝えると、起き上がらなくても食べやすい串刺し食というメニューがあるのでそれに変えましょうか?ご飯も大きいおにぎり二つか小さい俵型をいくつかに変えられますよ?と提案してくれたので、俵型にしていただく。
朝ごはんはプリンとオレンジしか食べられなかったと言うと、食パンは菓子パンor惣菜パンに、牛乳はジュースに変更可能とのことで、翌朝からは惣菜パンとジュースにしてもらえることになった。なんとありがたい。
あと3日頑張って乗り切ろう。
娘は朝から大荷物を抱えて大学に行き、面会時間の二時きっかりに入院グッズ一式を届けてくれた。
タオルやパジャマなどは昨日レンタルセットを申し込んだが、下着や洗剤、ベッドにつるすかご、リハビリに使えそうな、もしくは退院時にきて帰るTシャツとズボン、靴など大きなボストンバッグいっぱいに持ってきてくれた。
大学の帰り道なのでとても重くて大変だったようで申し訳ない。
今日手術の可能性があったのでバイトを休んで来てくれたが手術は水曜日になった。日曜日の選考会を抜けて来ていて水曜日のクラブは絶対休めないとのことなので、立ち会いは不要と伝える。
私の母は病弱で、私が中1の時を皮切りにしょっちゅう入院していた。
中1の時は週末ごとに父と2人で病院へ行き面会時間の最初から最後まで母の側にいたかったが、そのうちすっかり慣れ、大学生の頃にはまたかと思っていた。中1の時の手術の影響で内臓が癒着したらしく母は酷い便秘持ちになっていたが、私が大学生か社会人かの頃に糞石という奇妙な病気になった。溜まりに溜まった便にカルシウムが巻きつきソフトボール大になり、開腹手術をして取り出すしか無いという。その手術に父が付き添ったのだが、わたしが行かなかったことに母は激怒していた。
命に関わる手術でもなく、父が付き添っているのだから充分だろうと思っていたが、親が手術をしている時に自分の都合を優先するとは何事か、と手術後の母から怒りのメールが届き、慌てて会いに行った。
そんな自分の経験もあり、またコロナ禍で付き添い制限もあるので、娘には無理して来てくれなくて良いよと伝えた。
主治医からも、高齢者は急変の可能性があるので立ち合いが必要だが、連絡さえつくようにしておいてもらえば立ち合い不要と確認済み。
コロナ療養中の両親は立ち合いを希望してくれたが、病院的には立ち合い不可。木曜日から来院可能とのことだが、とりあえず症状が治るまで病院には来ないで、と伝えた。
ところで入院時、体調や服用している薬など日常生活も確認されたが、その中で、便秘気味でたぶん2、3日は出ていないという話をしていたら、体調確認のたびに便意を確認される。頑張れば出るかもしれないが、この状態ではちょっと頑張れないと言うと、坐薬を入れられオムツをされた。ひえー!
ちょうど娘が大荷物を持って面会に来てくれたが、タイミング悪く坐薬が効いてきた。
娘はお母さんがうんこしてるとこ見たくないと言うが、私だって見られたくない。
荷物を受け取り少し話をしたら早々に帰って貰った。
オムツでうんことかほんまに無理と嘆いていると、半年前に同じ状態に陥った母から差し込み便座を入れてもらえとアドバイス。
ナースにお願いすると、患部が痛むよとしぶられたが背に腹は変えられない。人間の尊厳の問題がかかっている。大丈夫と押し切り、痛みに震えながら腰を持ち上げ差し込み便座を入れて貰った。
ベッドの上で仰向けでいきんで思い出す18年前の出産。
やればできるもので痛みに耐えながら無事出産。個室で良かった、コロナ濃厚接触で良かったとつくづく思った。
そして看護師さんへの感謝の念を強くする。本当にありがとうございます。
そうこうしているうちに夕食の時間に。串刺し食がやってきた。
一つ一つ串に刺してくれ、させないものは持ちやすい小さなカップに入れてくれている。多謝。
夕方、薬剤師さんが湿布を持ってきてくれたので、寝る前に腰に貼って貰った。これで今夜は眠れそう。
2日目終了。