仁義なき戦い 広島仁義なき戦い 広島死闘篇(菅原文太,1973年東映)は篇(菅原文太,1973年東映)は-
 о菅原文太(174cm,O型,1933年-2014年(81歳没))
 -主演。
 о千葉真一(176cm,O型,1939年-2021年(82歳没))
 о梶芽衣子(163cm,1947年3月24日(74歳))
 о北大路欣也(174cm,A型,1943年2月23日(78歳))
 -出演。
★仁義なき戦い 広島死闘篇(菅原文太,1973年東映)
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仁義なき戦い 広島死闘篇
Battles Without Honor and Humanity:
Deadly Fight in Hiroshima
監督:深作欣二
脚本:笠原和夫
原作:飯干晃一
出演者:菅原文太
千葉真一
梶芽衣子
北大路欣也
音楽:津島利章
撮影:吉田貞次
編集:宮本信太郎
製作会社:1973年東映
配給:日本 東映
公開:日本 1973年4月28日
上映時間:100分
製作国:日本
言語:日本語
前作:仁義なき戦い
次作:仁義なき戦い 代理戦争
『仁義なき戦い 広島死闘篇』(じんぎなきたたかい ひろしましとうへん、Battles Without Honor and Humanity: Deadly Fight in Hiroshima)は、1973年の日本映画。『仁義なき戦いシリーズ』の第二部で、製作は東映
解説
第一部撮影中に第二部の公開が決定されたが、週刊サンケイでの連載が追いつかなかったため、脚本を担当した笠原和夫は第一部と重なる1950年(昭和25年) - 1953年(昭和28年)の第一次広島抗争を舞台に、実在した二人のヤクザである山上光治(劇中:山中正治)と村上正明(劇中:大友勝利)をモデルにして、彼らにフォーカスした内容を執筆した。山中と大友という対照的な男の軌跡を描いていることから第一部のような群像劇ではなく、シリーズの主人公である広能昌三(菅原文太)も狂言廻し的役割である
深作は唯一人キャスティング会議で、「千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる」と主張していた。大友はシリーズ中1、2を争う名キャラクターとして人気が高く、千葉自身も忘れられない役柄として挙げており、後のやくざ映画でも「仁義なき戦いの千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている
本作で菅原文太の出番が少ないことに笠原和夫は菅原から了解を得ていたが、1週間たったら菅原が「出番が少ないなら出られない」と言い出した。菅原は第一部のプロデューサー・俊藤浩滋の息がかかっていたからである。大喧嘩となって笠原は菅原に「お前、表に出てやるか!」と言うと「そっちがやる気なら、やってもいいです」と菅原は言うので笠原は「ふざけるんじゃない。俺がガラスの瓶、パンと割ってお前の顔を傷つけたら、もう役者としてやっていけないんだぞ。それでもやる気があるのか!」と言うと、深作欣二が間に入ってその場は収まり、二部以降は菅原なしでやると決まっていた。そうしたら菅原が「出させていただきたい」と侘びを入れ、続投となった。菅原はこれを機に俊藤と別れたというが、菅原のいないシリーズになっていた可能性もあったわけである。初公開時には主役の菅原文太がチョロっとしか出てこない展開に映画ファンは驚いた。
大友勝利が口にした「オメコ」は、日本映画で初めて使われた。
あらすじ
1950年(昭和25年)、広島市。帰国直後に傷害事件で服役し出所した復員兵の山中正治は、村岡組組長・村岡常夫の姪で未亡人である上原靖子が働く食堂で無銭飲食を働き、大友連合会会長の大友長次の息子で愚連隊を率いる大友勝利のリンチを受ける。勝利の狙いは村岡のショバ荒らしだったこともあり、長次が山中に詫び、その紹介で山中は村岡組組員となる。ふとした事から靖子と男女の関係となった山中は村岡の逆鱗に触れ、若頭・松永の指示で九州へ逃れる。そこで山中は滞在先の組の対立者だった和田組組長を射殺したことから、裏社会で大きく名が轟くこととなり、山中は広島への帰参を許され、靖子との交際も村岡の認める所となった。
一方、それぞれ博徒と的屋上がりで、かつては友好関係にあった村岡組と大友組であったが、村岡組は広島競輪場の警備を請け負うなど日に日に資金力・組織力の差が広がりつつあった。これに不満を持つ勝利は、博徒と的屋の縄張りを頑なに守る長次を無視し、競輪場のトイレをダイナマイトで爆破するなど行動を起こす。そして父と完全に袂を分かった勝利は、村岡の兄弟分の時森勘市を抱き込んで彼の跡目を受けるという形で博徒大友組を結成すると、自ら村岡組に乗り込んで村岡の命を狙い、失敗する。
村岡組に命を狙われることとなった時森は呉の山守を頼り、これを利用して広島に顔を立てたい山守は今は無関係の広能に時森の身柄を預けようとする。最初は断る広能であったが、組の資金が乏しいことから渋々引き受ける。しばらくすると時森の命を狙う山中が広能の元を訪れる。山中は刑務所時代に広能に目をかけられた恩義があるため強引には動かず、広能も広島の争いに呉や自分が巻き込まれることに嫌気がさし、時森を広島で引き渡すことで穏便に片付けようとする。ところが時森がこの動きを事前に察知して広能と距離を置き、また大友にも知られてしまったため、広能は配下の島田に時森を殺させることで広島の抗争が呉に飛び火するのを未然に防ぐ。
時森の死により、後ろ盾を失くした勝利は広島から追放されることとなったが、寺田啓一ら3人を密かに留め置き、村岡組襲撃の計画を立てていた。しかし、計画を事前に察知した村岡は山中をヒットマンとして差し向け、山中は寺田ら3名を射殺する。だが、事件直後に山中は警察に逮捕され、無期懲役の判決を受け服役することとなる。それを見届けた村岡は、靖子を元の婚家に戻し、死んだ亭主の弟と再婚させようとする。刑務所で叔父貴にあたる高梨国松からこの事を聞いた山中は騙されたことを知り、村岡に復讐するために脱獄する。
山中の脱獄を知った村岡は即座に松永に指示し、靖子を婚家から連れ戻させ、何食わぬ顔をして山中と対面する。靖子が広島にいるのを見て高梨の話は嘘だったと思い、山中は村岡を疑ったことを恥じる。松永は山中に自首するよう進めるが、そこに広島に舞い戻った大友が村岡の組員を襲ったという連絡が届き、山中は汚名を返上するべく姿を消すと単身で大友の命を狙い始める。大友による村岡を狙った抗争が激化する中、山中は大友の居所を見つけ出して襲撃するが、左足を撃ち抜くも命まで奪えずに失敗する。しかし、この傷が元で大友組の若衆である中原敬助が村岡組に和解を持ちかけたところから大友の居場所が村岡組にばれ、密告により大友は警察に検挙され、抗争は村岡組の勝利で終わる。
全国指名手配の身で、呉の広能の元に身を寄せていた山中は、村岡から脱獄のきっかけとなった高梨が仮出所したことを知らされる。広島に戻って高梨を射殺し、松永の家に逃げ込んだ山中であったが、そこで松永より高梨の話が事実で、村岡はずっと山中を騙していたことを打ち明けられる。松永の家を飛び出し、再び逃走しようとする山中であったが、警察の包囲網を抜けることはできず、最後は誰も信じられなくなり、独り拳銃自殺をする。
後日、山中の葬儀が村岡組長によって大々的に営まれる。弔問に訪れた広能は、山中を「任侠の鑑」と褒め称えて高笑いする村岡や山守を醜く感じ、悲しく死んでいった山中を偲ぶのであった。
キャスト
広能組(モデル・美能組)
広能昌三 - 菅原文太:広能組組長。山守組を離縁(正式な破門ではない)。山中とは刑務所で懇意に。野良犬の肉で晩酌させられる。美能幸三がモデルとなった。
島田幸一 - 前田吟:広能組若衆。広能組長晩酌用の肉を調達。時森を射殺。村岡組長からビールを1杯ご馳走になった後に自首。
岩見益夫 - 野口貴史:広能組若衆。島田とともに広能組長晩酌用の肉を調達。
弓野修 - 司裕介:広能組若衆。
山守組(モデル・山村組)
山守義雄 - 金子信雄:山守組組長。山村辰雄がモデルとなった。
山守利香 - 木村俊恵:山守義雄の妻。山村邦香がモデルとなった。
山守の部下 - 古閑達則
村岡組(モデル・岡組)
山中正治 - 北大路欣也:村岡組若衆。物語の主人公。”殺人鬼”と呼ばれた山上光治がモデルとなった。
村岡常夫 - 名和宏:村岡組組長。岡敏夫がモデルとなった。
高梨国松 - 小池朝雄:村岡組長の舎弟。愛人と同衾中に山中によって射殺される。高橋国穂がモデルとみられる。
松永弘 - 成田三樹夫:村岡組若衆頭。網野光三郎がモデルとなった。
江田省三 - 山城新伍:村岡組若衆(幹部)。原田昭三がモデルとなった。
岩下光男 - 川谷拓三:村岡組若衆。大友組に凄惨なリンチを受けて死亡。吉兼悟がモデルとなった。
上原靖子 - 梶芽衣子:村岡組組長の姪。未亡人。のちに山中の女。
野中雄二郎 - 宇崎尚韶:村岡組若衆
助藤信之 - 白川浩二郎:村岡組若衆
友田孝 - 笹木俊志:村岡組若衆
下条章一 - 木谷邦臣:村岡組若衆
片倉克己 - 藤沢徹夫:村岡組若衆
村岡組組員 - 松本泰郎
上原美代 - 広瀬登美子:靖子の娘
大友連合会(モデル・村上組)
大友長次 - 加藤嘉:テキヤ大友連合会会長。村上三次がモデルとなった。
倉光俊男 - 中村錦司:大友連合会二代目会長。のちに村岡組の盃を受けて傘下に。
大友組(モデル・村上組)
大友勝利 - 千葉真一:大友組組長。長次の息子。物語のもう一人の主人公。大友連合会を破門され時森のノレンを継いで博徒大友組を結成。村岡組と抗争。村上正明がモデルとなった。
中原敬助 - 室田日出男:大友組若衆(幹部)。指を詰めて村岡組若衆頭の松永へ和解を申し入れるが、松永の指示によって村岡組組員に刺殺される。中本敬造がモデルとなった。
池野卓也 - 八名信夫:大友組若衆。
寺田啓一 - 志賀勝:大友組若衆。山中に襲われ死亡。
須賀政男 - 大木晤郎:大友組幹部
神谷英司 - 広瀬義宣:大友組幹部
三上善輝 - 北川俊夫:大友組幹部
国貞清次 - 北十学:大友組組員
川口芳夫 - 片桐竜次:大友組組員。山中に襲われ死亡。
組員 - 福本清三:山中に襲われ死亡。
博打場の組員:大矢敬典
その他
景浦辰次郎 - 堀正夫:広島の大親分。大友組組員によって電車内で刺殺される。清岡吉五郎がモデルとなった。
竹原 - 矢奈木邦二朗:九州竹原一家親分
植木 - 岩尾正隆 :竹原一家子分
竹原一家子分 - 西山清孝、大城泰
時森勘市 - 遠藤辰雄:景浦の舎弟。村岡に対抗して大友に跡目を譲る。島田に狙撃され死亡。
南良坂誠 - 小松方正:広島市会議員。公安委員。競輪場の理事。
石田栄輔 - 北村英三:広島県警。
和田 - 鈴木康弘:九州和田組組長。山中に狙撃され死亡。
バーのホステス - 松平純子、美川玲子、穂積かや
佐野刑事 - 宮城幸生
浜田隆吉 - 国一太郎:時森の若衆
壺振り - 秋山勝俊
壺振り - 西田良 、西村泰治
お灸をする坊さん - 汐路章
弔問客 - 熊谷武、浪花五郎
競輪場職員 - 小坂和之
看守 - 小田真士、松田利夫
刑事 - 森源太郎、波多野博
記者 - 唐沢民賢 、前川良三、和田昌也
高梨の女 - 高木亜紀
ホステス - 橋本房枝
キャバレーのホステス - 高石郁子
囚人 - 細川純一
警官- 大林一三、鳥巣哲生
ナレーター - 酒井哲
スタッフ
企画:日下部五朗
原作:飯干晃一
脚本:笠原和夫
監督:深作欣二
撮影:吉田貞次
音楽:津島利章
録音:溝口正義
照明:中山治雄
美術:吉村晟
編集:宮本信太郎
助監督:清水彰
スチル:中山健司
進行:渡辺操
逸話
作品
山中のモデル・山上光治は銃口をくわえて自殺したが、笠原和夫はこのシーンを「こめかみに銃口に当てて自殺する」と書いていた。しかし深作欣二は脚本通りではなく、山上の自殺と同じようにした。その理由を「僕は戦争に行った世代ではないが、学校では毎日軍事教練だった。戦地に行ったら『捕虜になるぐらいなら自決しろ』と言われ、戦場での兵隊さんの死に方をいつも教えられていた。日本軍の銃は三八式銃といって、銃身が長く、肩に担いで行進する銃。だから自決するといっても、こめかみに当てて引き金を引くことはできない。みんな銃口をこう…口にくわえて銃身を両手で握り、(靴を脱ぎ)足指で引き金を引くというか…押す形だね。そうやって戦場で散ったのです。山中は特攻隊の生き残りです。だから戦地での自決をやらせたかった」と語っている。この変更について笠原は「常に間近な『死』がそこにあって『自分で決めたことだ。これから先はどういうことが起きても、後悔はすまい』と考えていた戦時の思いを、山中の自決でやりたかったんで、3歳年下の深作にはうまく伝達出来なかったようだ。戦時中の体験は、僅かな年齢差でも受け止め方が違ってしまうものである」と述べている。
その山中が警官に追われるクライマックスシーンの夜間撮影は16mmの高感度フィルムで撮影したものにさらに増感処理を施し、ドキュメンタリー的な迫力をたたえた名場面となった。
仁義なき戦いシリーズの大半の撮影は京都市内で行われたが、深作が『広島死闘篇』のロケをどうしても広島で撮りたいと希望。しかし「まだ抗争が燻っているので広島には来てくれるな」と断られた。これを聞いた広島出身の岡田茂東映社長が公安に掛け合い、県警に警備をしっかりやってくれと頼んでやっと撮影許可が降りた。ロケの時には私服警官が現場に来てくれたが、暴担当の二課の刑事はごっつい体格に角刈りでヤクザとの見分けはつかず、ヤクザに囲まれて撮影しているみたいだったという。
山中と上原靖子(梶芽衣子)の哀しい恋物語は本来は被差別部落の問題が入っていて、笠原も自身が本作でやりたかった主題で「もっと二人の悲しみが伝えられたのにと思ったが、出来ずに口惜しかった」と述べている。
出演者
当時の千葉真一はブロマイドの売上げが4年連続No.1であり、大友勝利の言動は「オメコの汁でメシ食うとるんで」など過激なものばかりであった。そのため千葉は悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、サングラスを常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した。金玉を掻くシーンでは、深作から「やれ!」と強制されて行った後に、勢い余って臭いを嗅いだら「やりすぎ」と言われた。映画の後半に「山中に銃口を向けられるシーンでは、慌てふためきダンボールで自分の顔を隠すように掲げる」という台本にないアドリブをやった。「相手に自分の顔が見えると撃たれてしまう」と人間のとった、とっさのバカげた行動が、よりリアリティを生んだ瞬間だった。千葉は「こういうのは役者冥利に尽きる」、「大友を演じたことにより、脇役や悪役にも興味を持ち始めた。私の中で大きな転機となった」と語っている( ⇒ #解説、千葉真一#転機、仁義なき戦い#出演者)。
カテゴリ:
仁義なき戦い
1973年の映画
千葉真一
脱獄を題材とした映画作品

 -仁義なき戦い 広島死闘篇(菅原文太,1973年東映)は、仁義なき戦い 広島死闘篇(菅原文太,1973年東映)は、
 о“1973年の日本映画。『仁義なき戦いシリーズ』の第二部で、製作は東映”
 о“脚本を担当した笠原和夫は第一部と重なる1950年(昭和25年) - 1953年(昭和28年)の第一次広島抗争を舞台に、実在した二人のヤクザである山上光治(劇中:山中正治)と村上正明(劇中:大友勝利)をモデルにして、彼らにフォーカスした内容を執筆した。山中と大友という対照的な男の軌跡を描いていることから第一部のような群像劇ではなく、シリーズの主人公である広能昌三(菅原文太)も狂言廻し的役割である”
 о“大友はシリーズ中1、2を争う名キャラクターとして人気が高く、千葉自身も忘れられない役柄として挙げており、後のやくざ映画でも「仁義なき戦いの千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている”
 -という。(つづく)<記2021年12月18日>〈13,403Byte〉