列島縦断 鉄道乗りつくしの旅〜JR20000km全線走破〜(関口知宏,2005年)は-  о関口知宏(183cm,A型,1972年7月1日(49歳))  -主演。 ★列島縦断 鉄道乗りつくしの旅〜JR20000km全線走破〜(関口知宏,2005年) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「列島縦断 鉄道乗りつくしの旅〜JR20000km全線走破〜」(れっとうじゅうだん てつどうのりつくしのたび)は、NHKBShiで2004年に放送された15周年企画「列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜」の続編として、BShiで2005年に放送されたテレビ番組である。今回は「春編」と「秋編」の2部構成となっている。 番組概要 旅人は今回も引き続き俳優の関口知宏。前回同様、JR線を走破していく関口の様子や途中の駅の様子などを送る。 制作はNHKと「えふぶんの壱」。 番組本編 日曜日を除く期間中、毎朝15分間の番組をBShiで駅から生中継し、合わせて前日までの行程のビデオも放送されている。この様子は同日夜にBS2で再放送されている。また、海外向けのNHKワールドでも放送された。 今回は「春編」「秋編」の2部に分けられている。「春編」では2005年3月21日に鹿児島県・枕崎駅を出発し4月30日に福井県・九頭竜湖駅に到着した。又「秋編」は同年9月26日に再び「春編」の終着駅・九頭竜湖駅から出発し11月3日に北海道・根室駅に到着した(BSハイビジョンでは根室駅到着の瞬間が生中継で放送された)。 ただし、「春編」の放送については、編成上の理由により放送延期が生じている(後述)。 関口は前回の旅で最長片道切符を用い、既にJR線のうち12000Km近くを走破しているので、今回は残り約8000Kmを乗車すれば足りることになるが、未走破部分には盲腸線や最長片道切符の「一筆書きで、同じ駅を二度通らず、より長い距離を旅する」というルール上1駅 - 数駅のみ乗り残した区間が多いため、今回の旅の総乗車距離は約15000Kmに及んだJR全線を効率よく乗りつくすため、私鉄・第三セクターの鉄道路線、バス、船、タクシーなども利用し旅を行った。 この旅の中で、稚内駅を除く全ての終着駅を巡ったが、その時に「駅名看板で証拠写真を撮り、さらに駅のスタンプを押す」が関口オリジナルルールとされた(スタンプに関しては、無人駅もあったため、全駅で押したわけではない)。 特番・ダイジェスト 本放送のほか、いくつかの特番及びダイジェストが放送されている。 春編 放送開始前日の2005年3月20日には「関口知宏・JR全線走破へ出発進行!」として事前特番が生放送され、始点の枕崎駅からの生中継も行われた。又毎週土曜深夜(時間上は日曜未明)に総合テレビにてウィークリーダイジェストが放映された。さらに、春編終了後には「NHK春のふれあい広場 渋谷DEど〜も'05」のイベントのひとつとしてNHK放送センターで収録された「関口知宏・春編を振り返る」も録画放映された。 いずれも編成上の理由により当初の放送予定から延期が生じている(後述)。 秋編 放送開始3日前の9月23日には「関口知宏・JR全線走破へ出発進行!」として事前特番を放送した。また秋編終了後の11月3日には、「関口知宏・ついにJR全線走破達成!」としてこれまでの旅を振り返った。関口も根室駅から東京・渋谷のNHK放送センターへ移動し、生放送に出演した。 放送休止に伴う延期 編成上の理由により、BShiの生中継及びBS2の再放送の延期が発生した。その後5月9日から録画で放送することとした。これに伴い総合テレビのウィークリーダイジェストも4月30日、5月7日(5月1日、5月8日未明)放送予定分がそれぞれ5月14日、5月21日(5月15日、5月22日未明)に延期された。また、NHK放送センターより5月5日にBShiで生放送予定だった「関口知宏・春編を振り返る」も、5月14日に録画で放映された。 放送休止に伴う延期 5月9日(月) BShi 4/26分 大前 BS2 4/25分 日光 :5月10日(火) BShi 4/27分 横川 BS2 4/26分 大前 :5月11日(水) BShi 4/28分 奥多摩 BS2 4/27分 横川 :5月12日(木) BShi 4/29分 新所原 BS2 4/28分 奥多摩 :5月13日(金) BShi 4/30分 九頭竜湖 5月16日(月) BS2 4/29分 新所原 :5月17日(火) BS2 4/30分 九頭竜湖 放送時刻 :BShi:7:45 - 8:00(録画) BS2:19:45 - 20:00(録画) BS2で4月29日に放送予定だった新所原駅の放送は5月16日に加えて5月13日(金)の18:30 - 18:45に、4月30日に放送予定だった九頭竜湖駅の放送は5月17日に加えて5月15日(日)の7:40 - 7:55にもそれぞれ放送された(BS2では5月15日放送の「春編を振り返る」に対応したものとみられる)。 なお、放送休止の期間中はBShi、BS2ともに通常編成の定時番組を放送した。BShiでは「さわやか自然百景」、「名曲アルバム」など。BS2では「BS大すき」、「BSシネマの贈りもの」など番組案内を中心に放送した。 テーマ曲など テーマソング:「空のコトバ」 福島邦子 春編:シングルヴァージョン 秋編:アルバムヴァージョン 挿入歌:「ひとやすみの丘」 福島邦子 春編・秋編 挿入歌ではないが、春編では「空のコトバ(ハンドベルヴァージョン)」、秋編では「旅のうた」・「勇者タミトの冒険(スタジオ・ライヴ)」・「結(ゆい)(スタジオ・ライヴ)」・「夢をつなぐ時」・「銀の月」・「箸蔵山」・「START」・「水の旅人」が使われていた。 中継駅 所在地の括弧内斜字は放送当時の(合併前)市町村名。 春編 月/日 :駅名(読み):所在地 乗車路線 秋編 月/日 :駅名(読み):所在地 乗車路線 備考 2005年4月6日の日本へそ公園駅からの中継は、前日に谷川駅から乗る予定だった加古川線が急遽運休となったため、タクシーで日本へそ公園駅へ向かった。そのため中継終了後タクシーで谷川駅まで戻り、改めて加古川線を乗りつくした2005年4月27日の横川駅からの中継は、生放送から録画に変わったため、8時ちょうどに本番を開始せず、オープニングで列車が出発するところを撮影できる時刻まで待った2005年10月20日の木造駅からの中継では番組の最後に駅舎上部にある“しゃこちゃん”の目から“いらっしゃいビーム”が点灯された(2006年現在、通常時“子どもが怖がる”等の理由で点灯していない)2005年10月21日の三厩駅からの中継において本番前に当駅の“旅の思い出ノート”に書いた内容が拡大コピーされ、当面の期間、改札口左側に展示されていた。なお、この日の中継で、「最長片道切符…」から通算して100駅目となった2005年11月1日の美瑛駅からの中継は、第3次小泉改造内閣に関するニュースによりBShiでの放送時間が急遽15分繰り下げとなったため、中継開始と同時に移動開始となった。そのため、関口がリポーターに「前日の移動のキーワード」を書いたパネルを渡しただけで出演しなかった。また、美瑛駅は「最長片道切符」と「乗りつくし」双方でその日の移動の終点となった唯一の駅である2005年11月3日の根室駅からの中継は、関口が8:12根室着の列車で到着するのに合わせるため、BShiでは通常より25分繰り下げ8:10から放送開始となった越美北線では平成16年7月福井豪雨による区間不通で代行バスに乗車している2006年10月19日の「ニッポン旅×旅ショー」で、峠駅の力餅を紹介する際、関口が当番組で立ち寄ったときの写真が紹介され、父の関口宏がこの番組に言及する場面が見られた2010年1月15日の「BS20周年ベストセレクション」で、枕崎駅、女川駅、木造駅の中継が再放送され、関口本人を招いてこの旅の思い出を語った。2010年2月10日深夜と2月27日に再放送された。 2011年1月24日の「人生が変わる1分間の深イイ話」で島田紳助が、自宅では(他のタレントの活躍を見ると淋しくなるので)BSしか見ず、当番組を7割方見たと発言。番組の写真が使われた。 関連項目 街道てくてく旅 実質的な後継企画。しかし2007年の関口知宏の支那鉄道大紀行 〜最長片道ルート36000kmをゆく〜は、計約3カ月間、街道てくてく旅と同時に放送された。 カテゴリ: NHK BShiの番組 NHK BSのミニ番組 NHK BSの紀行・旅番組 テレビの鉄道番組 2005年のテレビ番組(日本) 日本一周を題材とした作品 放送文化基金賞・放送文化  -列島縦断 鉄道乗りつくしの旅〜JR20000km全線走破〜(関口知宏,2005年)は、  о“NHKBShiで2004年に放送された15周年企画「列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜」の続編として、BShiで2005年に放送されたテレビ番組である。今回は「春編」と「秋編」の2部構成となっている”  о“旅人は今回も引き続き俳優の関口知宏。前回同様、JR線を走破していく関口の様子や途中の駅の様子などを送る”  о“日曜日を除く期間中、毎朝15分間の番組をBShiで駅から生中継し、合わせて前日までの行程のビデオも放送されている。この様子は同日夜にBS2で再放送されている。また、海外向けのNHKワールドでも放送された”  о“「春編」では2005年3月21日に鹿児島県・枕崎駅を出発し4月30日に福井県・九頭竜湖駅に到着した”  о“「秋編」は同年9月26日に再び「春編」の終着駅・九頭竜湖駅から出発し11月3日に北海道・根室駅に到着した(BSハイビジョンでは根室駅到着の瞬間が生中継で放送された)”  о“関口は前回の旅で最長片道切符を用い、既にJR線のうち12000Km近くを走破しているので、今回は残り約8000Kmを乗車すれば足りることになるが、未走破部分には盲腸線や最長片道切符の「一筆書きで、同じ駅を二度通らず、より長い距離を旅する」というルール上1駅 - 数駅のみ乗り残した区間が多いため、今回の旅の総乗車距離は約15000Kmに及んだ”  о“JR全線を効率よく乗りつくすため、私鉄・第三セクターの鉄道路線、バス、船、タクシーなども利用し旅を行った”  о“稚内駅を除く全ての終着駅を巡ったが、その時に「駅名看板で証拠写真を撮り、さらに駅のスタンプを押す」が関口オリジナルルールとされた(スタンプに関しては、無人駅もあったため、全駅で押したわけではない)”  о“放送開始前日の2005年3月20日には「関口知宏・JR全線走破へ出発進行!」として事前特番が生放送され、始点の枕崎駅からの生中継も行われた。又毎週土曜深夜(時間上は日曜未明)に総合テレビにてウィークリーダイジェストが放映された。さらに、春編終了後には「NHK春のふれあい広場 渋谷DEど〜も'05」のイベントのひとつとしてNHK放送センターで収録された「関口知宏・春編を振り返る」も録画放映された。 いずれも編成上の理由により当初の放送予定から延期が生じている”  о“放送開始3日前の9月23日には「関口知宏・JR全線走破へ出発進行!」として事前特番を放送した。また秋編終了後の11月3日には、「関口知宏・ついにJR全線走破達成!」としてこれまでの旅を振り返った。関口も根室駅から東京・渋谷のNHK放送センターへ移動し、生放送に出演した”  о“2005年4月6日の日本へそ公園駅からの中継は、前日に谷川駅から乗る予定だった加古川線が急遽運休となったため、タクシーで日本へそ公園駅へ向かった。そのため中継終了後タクシーで谷川駅まで戻り、改めて加古川線を乗りつくした”  о“2005年4月27日の横川駅からの中継は、生放送から録画に変わったため、8時ちょうどに本番を開始せず、オープニングで列車が出発するところを撮影できる時刻まで待った”  о“2005年10月20日の木造駅からの中継では番組の最後に駅舎上部にある“しゃこちゃん”の目から“いらっしゃいビーム”が点灯された(2006年現在、通常時“子どもが怖がる”等の理由で点灯していない)”  о“2005年10月21日の三厩駅からの中継において本番前に当駅の“旅の思い出ノート”に書いた内容が拡大コピーされ、当面の期間、改札口左側に展示されていた。なお、この日の中継で、「最長片道切符…」から通算して100駅目となった”  о“2005年11月1日の美瑛駅からの中継は、第3次小泉改造内閣に関するニュースによりBShiでの放送時間が急遽15分繰り下げとなったため、中継開始と同時に移動開始となった。そのため、関口がリポーターに「前日の移動のキーワード」を書いたパネルを渡しただけで出演しなかった。また、美瑛駅は「最長片道切符」と「乗りつくし」双方でその日の移動の終点となった唯一の駅である”  о“2005年11月3日の根室駅からの中継は、関口が8:12根室着の列車で到着するのに合わせるため、BShiでは通常より25分繰り下げ8:10から放送開始となった”  о“越美北線では平成16年7月福井豪雨による区間不通で代行バスに乗車している”  о“2006年10月19日の「ニッポン旅×旅ショー」で、峠駅の力餅を紹介する際、関口が当番組で立ち寄ったときの写真が紹介され、父の関口宏がこの番組に言及する場面が見られた”  о“2010年1月15日の「BS20周年ベストセレクション」で、枕崎駅、女川駅、木造駅の中継が再放送され、関口本人を招いてこの旅の思い出を語った。2010年2月10日深夜と2月27日に再放送された”  -という。(つづく)<記2022年2月22日>〈11,840Byte〉