レベッカ(ジョーン・フォンテイン,1940年映画)は-
 оジョーン・フォンテイン(160cm,1917年-2013年(96歳没))
 -主演。
★レベッカ(ジョーン・フォンテイン,1940年映画)
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レベッカ
Rebecca
監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:ロバート・E・シャーウッド
ジョーン・ハリソン
原案:フィリップ・マクドナルド
マイケル・ホーガン
原作:ダフニ・デュ・モーリエ
製作:デヴィッド・O・セルズニック
出演者:ジョーン・フォンテイン
ローレンス・オリヴィエ
ジョージ・サンダース
音楽:フランツ・ワックスマン
撮影:ジョージ・バーンズ
編集:W・ドン・ヘイズ
製作会社:セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズ
配給:アメリカ合衆国 ユナイテッド・アーティスツ
日本 東和
公開:アメリカ合衆国 1940年3月22日
日本 1951年4月7日
上映時間:130分
製作国:アメリカ合衆国
言語:英語
製作費:$1,288,000
興行収入:アメリカ合衆国 $6,000,000
ジュディス・アンダーソン(左)とジョーン・フォンテイン
『レベッカ』(Rebecca)は、1940年のアメリカ合衆国のサイコスリラー映画。ダフニ・デュ・モーリエの『レベッカ』を原作とした、アルフレッド・ヒッチコックの監督作品英国で活躍していたヒッチコックの渡米第一作となったゴシック・ロマン。制作はセルズニック・プロ、米国内配給はユナイテッド・アーティスツが担当した。第13回アカデミー賞にてアカデミー賞最優秀作品賞・撮影賞(白黒部門)の2部門を獲得した。
1940年にアメリカ合衆国で制作・公開。日本での公開は1951年4月。オリジナル上映時間は130分。
目次
1 ストーリー
2 スタッフ
3 キャスト
4 日本語吹替
5 主な受賞歴
5.1 アカデミー賞
6 製作
7 DVD
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
ストーリー
ヴァン・ホッパー夫人の付き人(レディズ・コンパニオン)としてモンテカルロのホテルにやってきた「わたし」は、そこでイギリスの大金持ちであるマキシムと出会い、2人は恋に落ちる。マキシムは1年前にヨット事故で前妻レベッカを亡くしていたのだが、彼女はマキシムの後妻として、イギリスの彼の大邸宅マンダレイへ行く決意をする。多くの使用人がいる邸宅の女主人として、控えめながらやっていこうとする彼女だったが、かつてのレベッカづきの使用人で、邸宅を取り仕切るダンヴァース夫人にはなかなか受け入れてもらえない。次第に「わたし」は前妻レベッカの見えない影に精神的に追いつめられていき、遂にはダンヴァース夫人に言われるまま、窓から身を投げようとしてしまう。そのとき、偶然に上がった花火の音で「わたし」は正気を取り戻すが、その花火は難破船が見つかったことを知らせるものであった。見つかった船はレベッカのヨットで、船内からレベッカの死体が見つかる。レベッカは嵐の夜にヨットで遭難し、流れ着いた死体をマキシムが確認して既に葬られていたことから、改めてレベッカの死因が調べられることになる。レベッカの「従兄(cousin)」と称する愛人だったジャックはマキシムによる殺害の可能性を主張する。疑心暗鬼に陥った「わたし」にマキシムはレベッカの死の真相を語る。その日、かねてよりレベッカの放蕩に悩まされ続けていたマキシムは、彼を罵倒するレベッカに詰め寄ったところ、彼女が倒れて頭を打って死んでしまったために、その遺体を運び入れたヨットごと沈めたのである。一方、死の当日にレベッカと面会した医師が、レベッカが不治の癌に冒されていたことを証言したことから、レベッカの死は自殺によるものと断定される。実は、自殺を決めたレベッカは自らの病を隠したままマキシムに自分を殺させようとしていたのである。レベッカによる呪縛からようやく解き放たれた2人だったが、屋敷は狂ったダンヴァース夫人によって火をつけられ、彼女とともに焼け落ちて行った
スタッフ
監督:アルフレッド・ヒッチコック
製作:デヴィッド・O・セルズニック
原作:ダフニ・デュ・モーリエ
脚色:ロバート・E・シャーウッド、ジョーン・ハリソン
撮影:ジョージ・バーンズ
音楽:フランツ・ワックスマン
キャスト
わたし - ジョーン・フォンテイン:ド・ウィンター夫人となった女性。
マキシム・ド・ウィンター - ローレンス・オリヴィエ:マンダレイの主人。
ダンヴァース夫人 - ジュディス・アンダーソン:マンダレイの家政婦長。
ジャック・ファヴェル - ジョージ・サンダース:レベッカの従兄であり愛人。
フランク・クローリー - レジナルド・デニー:マキシムの不動産管理人で友人。
ベアトリス・レイシー - グラディス・クーパー:マキシムの姉。
ジャイルズ・レイシー少佐 - ナイジェル・ブルース:ベアトリスの夫。
ジュリアン大佐 - C・オーブリー・スミス
ベン - レオナルド・キャリー
タブス - ラムスデン・ヘイア
フリッツ - エドワード・フィールディング
イーディス・ヴァン・ホッパー夫人 - フローレンス・ベイツ:「わたし」の雇い主。
ベイカー医師 - レオ・G・キャロル:レベッカの主治医。
日本語吹替
役名 :俳優 :日本語吹替
NETテレビ版 :PDDVD版 :N.E.M.版
わたし :ジョーン・フォンテイン :武藤礼子 :本田貴子 :早見沙織
マキシム :ローレンス・オリヴィエ :家弓家正 :小山力也 :三木眞一郎
ダンヴァース夫人 :ジュディス・アンダーソン :加藤道子 :紗ゆり :宮村優子
ジャック :ジョージ・サンダース :川久保潔 :後藤敦 :江頭宏哉
フランク :レジナルド・デニー :島宇志夫 :中村浩太郎 :佐々木義人
ベアトリス :グラディス・クーパー ::島宗りつこ :濱口綾乃
ジャイルズ :ナイジェル・ブルース ::をはり万造 :菊池達弘
ベン :レオナルド・キャリー :槐柳二 :山内勉 :篠原孝太朗
タブス :ラムスデン・ヘイア :緑川稔 :武虎
フリッツ :エドワード・フィールディング :北村弘一 :佐々木睦 :虎島貴明
ロバート :フィリップ・ウィンター ::澤田将考 :三好翼
ホッパー夫人 :フローレンス・ベイン ::竹口安芸子 :八百屋杏
ベイカー医師 :レオ・G・キャロル :真木恭介
主な受賞歴
アカデミー賞
受賞
アカデミー作品賞:デヴィッド・O・セルズニック
アカデミー撮影賞(白黒部門):ジョージ・バーンズ
ノミネート
アカデミー監督賞:アルフレッド・ヒッチコック
アカデミー主演男優賞:ローレンス・オリヴィエ
アカデミー主演女優賞:ジョーン・フォンテイン
アカデミー助演女優賞:ジュディス・アンダーソン
アカデミー脚色賞:ロバート・E・シャーウッド、ジョーン・ハリソン
アカデミー美術賞(白黒部門):ライル・R・ウィーラー
アカデミー作曲賞:フランツ・ワックスマン
アカデミー編集賞:ハル・C・カーン
アカデミー特殊効果賞:ジャック・コスグローブ(写真部門)、アーサー・ジョーンズ(音響部門)
製作
ヒッチコックは制作の数年前に「レベッカ」の映画化を検討したが、版権が取れずに断念した経緯があったため、この作品を手がけることには乗り気だったと思われる。しかし、それまで常に自作の脚本に関与してきたのに「レベッカ」のシナリオには参加できず、しかも制作中にプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックから多くの横やりが入っており、ヒッチコックにとってはおおいに不本意な制作環境であったという。
セルズニックは配役にあたってオリヴィア・デ・ハヴィランドを主人公にと考えていたが、彼女はすでにサミュエル・ゴールドウィンの作品の出演が決まっていたので諦めた。その後彼女の妹のジョーン・フォンテインに打診したが、彼女のエージェントは全く別の女優を推薦してきた。結局ロレッタ・ヤング、ヴィヴィアン・リー、アン・バクスター(彼女はヒッチコックのお気に入りで後に『私は告発する』(1953)で出演させている)なども選択肢になったが、特に役作りの上でヤングとリーは間違った選択になると思い、結局ジョーン・フォンテインに落ち着いた。しかし、当時のフォンテインは大スターではなかったため、スタジオ側は彼女が主演と聞いて落胆したと伝えられる。
セルズニックはキャロル・ロンバードを主演させるために5万ドルの映画権料を支払い、男性側の主演にロナルド・コールマンを考えていた。しかし、近年発見されたセルズニックのメモによると、これではロンバードに引っ張られて殺人の陰謀に加わったような印象を受けるとして、コールマンは役を降りた。次の選択にはローレンス・オリヴィエやウィリアム・パウエル、レスリー・ハワードなども候補に挙がったが、結局オリヴィエがパウエルより少ない10万ドルのギャラで同意したため、決定となった
ヒッチコックはセルズニックがセットに押しかけるのを拒んだ。その結果、ラッシュを見たセルズニックから膨大なメモを受け取るようになった。そのメモの指摘の中には、オリヴィエの演技のペースが遅いことも指摘してあった。
オリヴィエとしては、当時の恋人ヴィヴィアン・リーとの共演を望んでいたため、撮影中ジョーン・フォンテインには冷たい態度をとった。オリヴィエの態度にフォンテインが恐れを抱いたのに気付いたヒッチコックは、スタジオにいる全員に対して、フォンテインに対してつらく当たるように伝えたこれによって、フォンテインから恥ずかしがりで打ち解けられないという演技を引き出したのであった
劇中、フォンテイン演じる主人公のファーストネームは一度も語られることはない。原作者のデュ・モーリアは撮影中セルズニックに「ダフネ」と名前を付けるように頼んだが断られた。
ダンヴァース夫人は登場する際に歩く描写はほとんどなく、気付くと主人公の近くに立っている。これはもちろんヒッチコックの演出である。幽霊のように突如現れるイメージを繰り返すことで、ダンヴァース夫人が亡きレベッカ(とその屋敷)に取り憑かれた、主人公と対峙する側の存在であることをヒッチコックは強調している
セルズニックはロケ地としてニューイングランド地方を中心に米国中を捜させたが、ぴったり条件に合う場所がなかった。そこで、遠景はミニチュアで作られたが、この世ならぬ雰囲気をかもし出すためにはかえって効果的であった。またヒッチコックは屋敷の立地を示すような映像を意図的に描かず、屋敷の存在をさらに神秘的なものにしている。
セルズニックは燃えさかる家の煙突から「R」の文字の煙を出させたかったが、ヒッチコックは技術上の困難さを理由に断った。代わりに枕の上で「R」の文字を炎が作ることにした。
『レベッカ』は1940年のアカデミー作品賞を受賞。ヒッチコックは監督賞にもノミネートされていたが、結局監督賞は『怒りの葡萄』のジョン・フォードが受賞した。ヒッチコックにとっては生涯唯一の最優秀作品賞であるが、フランソワ・トリュフォーとの対談では「あれ(作品賞)はセルズニックに与えられた賞だ」と語り、実際にオスカー像もヒッチコックには与えられなかった(ヒッチコックはその後4度も監督賞にノミネートされたが結局受賞することはなく、壇上でオスカーを手にしたのは1967年、アーヴィング・タールバーグ記念賞(功労賞)の一度きりであった)。
アルフレッド・ヒッチコック
アカデミー作品賞
カテゴリ:
アメリカ合衆国のサイコスリラー映画
アメリカ合衆国のサスペンス映画
1940年の映画
アルフレッド・ヒッチコックの監督映画
フランツ・ワックスマンの作曲映画
アカデミー賞作品賞受賞作
小説を原作とする映画
配偶者と死別した人物に関する映画作品
豪邸を舞台とした映画作品
身分違いの恋愛を扱った映画作品
アメリカ合衆国の白黒映画
ユナイテッド・アーティスツの作品
アメリカ国立フィルム登録簿に登録された作品

 -レベッカ(ジョーン・フォンテイン,1940年映画)は、
 о“製作費:$1,288,000”
 о“興行収入:アメリカ合衆国 $6,000,000”
 о“1940年のアメリカ合衆国のサイコスリラー映画”
 о“アルフレッド・ヒッチコックの監督作品”
 о“英国で活躍していたヒッチコックの渡米第一作となったゴシック・ロマン”
 о“1940年にアメリカ合衆国で制作・公開”
 о“多くの使用人がいる邸宅の女主人として、控えめながらやっていこうとする彼女だったが、かつてのレベッカづきの使用人で、邸宅を取り仕切るダンヴァース夫人にはなかなか受け入れてもらえない。次第に「わたし」は前妻レベッカの見えない影に精神的に追いつめられていき、遂にはダンヴァース夫人に言われるまま、窓から身を投げようとしてしまう”
 о“見つかった船はレベッカのヨットで、船内からレベッカの死体が見つかる。レベッカは嵐の夜にヨットで遭難し、流れ着いた死体をマキシムが確認して既に葬られていたことから、改めてレベッカの死因が調べられることになる”
 о“かねてよりレベッカの放蕩に悩まされ続けていたマキシムは、彼を罵倒するレベッカに詰め寄ったところ、彼女が倒れて頭を打って死んでしまったために、その遺体を運び入れたヨットごと沈めた”
 о“自殺を決めたレベッカは自らの病を隠したままマキシムに自分を殺させようとしていた”
 о“レベッカによる呪縛からようやく解き放たれた2人だったが、屋敷は狂ったダンヴァース夫人によって火をつけられ、彼女とともに焼け落ちて行った”
 о“ヒッチコックは制作の数年前に「レベッカ」の映画化を検討したが、版権が取れずに断念した経緯があったため、この作品を手がけることには乗り気だったと思われる。しかし、それまで常に自作の脚本に関与してきたのに「レベッカ」のシナリオには参加できず、しかも制作中にプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックから多くの横やりが入っており、ヒッチコックにとってはおおいに不本意な制作環境であった”
 о“セルズニックは配役にあたってオリヴィア・デ・ハヴィランドを主人公にと考えていたが、彼女はすでにサミュエル・ゴールドウィンの作品の出演が決まっていたので諦めた。その後彼女の妹のジョーン・フォンテインに打診したが、彼女のエージェントは全く別の女優を推薦してきた。結局ロレッタ・ヤング、ヴィヴィアン・リー、アン・バクスター(彼女はヒッチコックのお気に入りで後に『私は告発する』(1953)で出演させている)なども選択肢になったが、特に役作りの上でヤングとリーは間違った選択になると思い、結局ジョーン・フォンテインに落ち着いた”
 о“当時のフォンテインは大スターではなかったため、スタジオ側は彼女が主演と聞いて落胆した”
 о“セルズニックはキャロル・ロンバードを主演させるために5万ドルの映画権料を支払い、男性側の主演にロナルド・コールマンを考えていた。しかし、近年発見されたセルズニックのメモによると、これではロンバードに引っ張られて殺人の陰謀に加わったような印象を受けるとして、コールマンは役を降りた。次の選択にはローレンス・オリヴィエやウィリアム・パウエル、レスリー・ハワードなども候補に挙がったが、結局オリヴィエがパウエルより少ない10万ドルのギャラで同意したため、決定となった”
 о“オリヴィエとしては、当時の恋人ヴィヴィアン・リーとの共演を望んでいたため、撮影中ジョーン・フォンテインには冷たい態度をとった。オリヴィエの態度にフォンテインが恐れを抱いたのに気付いたヒッチコックは、スタジオにいる全員に対して、フォンテインに対してつらく当たるように伝えた”
 о“これによって、フォンテインから恥ずかしがりで打ち解けられないという演技を引き出したのであった”
 о“ダンヴァース夫人は登場する際に歩く描写はほとんどなく、気付くと主人公の近くに立っている。これはもちろんヒッチコックの演出である。幽霊のように突如現れるイメージを繰り返すことで、ダンヴァース夫人が亡きレベッカ(とその屋敷)に取り憑かれた、主人公と対峙する側の存在であることをヒッチコックは強調している”
 о“『レベッカ』は1940年のアカデミー作品賞を受賞”
 о“ヒッチコックにとっては生涯唯一の最優秀作品賞であるが、フランソワ・トリュフォーとの対談では「あれ(作品賞)はセルズニックに与えられた賞だ」と語り、実際にオスカー像もヒッチコックには与えられなかった”
 о“ヒッチコックはその後4度も監督賞にノミネートされたが結局受賞することはなく、壇上でオスカーを手にしたのは1967年、アーヴィング・タールバーグ記念賞(功労賞)の一度きりであった”
 -という。(つづく)<記2021年9月9日>〈14,647Byte〉