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 なぜ【排日】なのか?
 かれらホワイト・ピッグは、このイエロー・モンキー〈ジャップ(便器)〉に、お国を乗っ取られかねないと思った・思わせたのだろう。
 だとえば、ある有為の人物が治天の君の世継ぎとなった時、かれに必要な条件は何だろうか?
 ( 1) スキャンダルの無いこと。
 ( 2) 目立たないこと(縁の下の力持ちで名声に結び付けない力を見せること)
 ( 3) 治天の君の威勢を脅かさないこと
 ( 4) 治天の君との意思疎通を欠かさないこと
 ( 5) 不条理でも治天の君の意思には逆らわないこと
 -これだろうか?
 〈日系人〉は、なぜ〈アメリカ〉という外国に来て…この程度の心得を守れなかったのだろうか?
 たとえば、助っ人としてわが国のプロ野球へ買われる。かれはタイトルを争うことぐらいは役に立ってもいいが、たとえば長島茂雄とかの連続タイトルを奪ってしまうようでは何年も日本国ではプレイできないだろう。三冠王を連続して獲ってしまったランディ・バースなどは、さっさと〈アメリカ〉メジャー・リーグへ昇格して、そこで大金を得るか…永くやりたかったら二番手のままに甘んじることだ。他人(ひと)の国へ来てまで、タイトル総なめにすることはないのだ。おそらく、このようなことがわが〈日系人〉の〈アメリカ〉生活で起こったのであろう。支那人は、その点は心得ていて〈ホワイト〉には極めて従順に応対した。この支那人ように、〈ホワイト〉の尻も舐めかねない、へりくだった様を見せないで〈アメリカ〉に居るということは難しかったに違いない?
■日系人@木庵先生の独り言
http://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/4935415.html
いわゆる〈従軍慰安婦〉問題について
大まかに言って、二つの要因がある。一つは、近頃多くの日系人が反日になりつつあるという状況があり、その代表がホンダ議員であるという観点。二つ目は、日系人がアメリカの主流に乗りたいという願望からきているという観点。ではそれぞれについて述べる。

 わが国のネット右翼が-
 о反支那
 о親台湾
 о侮(南)朝鮮
 о嫌(南)朝鮮
 -この定型的対応が、〈ネット右翼〉の条件を満たすらしい。このようなことが何とアメリカ合州国の在米日系人に起こっていると木庵先生は言われる。それは在米日系人の、
 о〈反日〉
 -だそうだ。俺は日系人だが〈日本人〉ではない〈アメリカ人〉だと言わんばかりの米国迎合ぶりである。だが、ふつうはこうした祖国の否定は、とてつもない自己の存在証明の危機なのだ。だが、この〈アメリカ〉にしてこのようなことが生起しているならば、これは〈日系人〉のみに留まるまい。〈アメリカ〉はどこへ放浪するのだろうか?
〈(在米)日系人〉の歴史
1893年、サンフランシスコ市教育委員会、日本人生徒の入学を拒否。
1913年、カリフォルニア州が、外国人土地法を立法化した。内容は、『アメリカ市民権を持たない外国人の土地所有または3年以上の借地を禁止する』というもの。俗に『ウエップ法案』と呼ばれ、実質的に日系人を狙い打ちしたもので、別名『排日土地法』と呼ばれる。
排日移民法
1921年、アメリカ議会は『移民割当法』を通過させた。この法案は、現アメリカ在住者の国別人口をわり出し、それぞれの範囲内で毎年の移民数を決めるというもの。これは居住者の少ないアジア系の移民を制限するもの。これは巧妙なレトリックによる人種差別であった。
大統領令9066号(1942年1月29日)
忠誠登録(1943年1月28日)
第442連隊(1943年1月28日)

 よくぞ、まとめてくれました。この〈(在米)日系人〉の歴史すなわち排日政策への歴史は是非ともやりたかったものでした。ありがとうございました。
 この『人種差別』法案が成立したアメリカ合州国は、後のナチス・ドイツ(何とF・ローズベルトと同期して成る)のヒトラーとともに世界史有数の『人種差別』主義者F・ローズヴェルトとヒトラーの両雄が白人優位を誇ったのだ。ローズヴェルトは〈オランダ系〉の名前であり出自だという。〈オランダ人〉は190cmを越す大男ぞろいであり、その体躯の割には敏捷で、わたしが知っている〈オランダ人〉は『空飛ぶ〈オランダ人〉(フライング・ダッチマン)』と言われた稀代の名遊撃手ホーナス・ワグナーであろうか。ほかに『ダッチ・ワイフ』は蔑称であって、おそらく感度が鈍く反応が無いのであろうか。このような出自であるF・ローズヴェルトは、かのマフィア(コーサ・ノストラ)イタリア人(シチリア人)と同じく白人仲間では最下層の僻みを有していたのだろうと推測される。
 そのような虐げられ傷ついた心を持った人々が、イエローモンキーたちをさらにターゲットにした様子は想像に難くはない。イエローモンキーたちの中でモグラ叩きのモグラのように出張る〈日系人〉が目の仇にされたのだ。わが国は、やつらにとっては丁度いい獲物・出物であった。
大統領令とは、日系人を強制収容所に隔離する政令である。パールハーバー以降、アメリカは日本を母国とする日系人を警戒しだした。特にアメリカ西海岸に居住する日系人は日本と密通し、スパイ活動をおこなうのではないかという懸念があった。日系人はアメリカに入植しても、日本の文化を守り、アメリカ社会に溶け込もうとしない不気味な存在として映った。また、パールハーバーを宣戦布告なく壊滅させた卑怯な日本人と同じ血を引く憎き奴と見た。それに、パールハーバーに憤慨したアメリカ人が日系人に危害を与えるのを防ぐという大義名分で、内陸部の砂漠に日系人を隔離した。これが、ルーズベルト大統領令である。
 оリトル・チャイナ
 оリトル・トーキョー(リトル・コリアはあり得ない)
 -コリアンは〈日本人〉と見做されたはずだ。この時代、多くのイエローモンキーの悪さが(おそらく支那人の分も)〈日本人〉のせいとされたと思われる。
当時の日系人の間に、反日の気運など無い。むしろ、反米感情の方が多かっただろう。『ノーノーボーイ』のように、アメリカ市民でありながら自由を奪われたことに対する憤慨を反米という行動に表した一部の若者もいたが、殆どの日系人は運命に逆らわず、アメリカ政府の命令に従順に従い、キャンプ生活を送った。そして、キャンプの中から、このような虐げられた日系人社会の起死回生と、アメリカに忠誠を誓い、ヨーロッパ戦線で、武勇を馳せ、また散っていった若者がたくさんいた。たとえ彼らがアメリカのために戦おうと、精神は大和魂であった。だから、彼らも、反日ではない。
 当時の在米〈日本人〉の『反米感情』とは、今日の在日〈南北朝鮮人〉とか【反日】のようなものだったのでしょうか?
ではいつごろから反日の日系人が現れたのだろうか?それは、恐らくバルブ時代からであろう。戦後日本の企業は、日系人を頼りにアメリカに進出してきた。日系人も母国のため、心から協力した。ところが、日本の企業が、アメリカに基盤をつくり、もはや日系人の力を借りずとも(実際は日系人よりアメリカ政府が援助しているが)、充分にやって行けるようになった時から、日系人に対して、恩をあだで返す仕打ちをしたのである。ただ単なる、アメリカでの便利屋的な存在として、軽くあしらうようになった。
 つまり〈利権〉ですか?
私の知っている日系人は強烈な反日である。彼の父親は東部の有名大学の教授であったし、彼も西海岸の有名大学の工学部卒業というアメリカ社会でもエリートの人間であった。彼は日本の大手電気メーカーに就職した。両親の生まれた国の会社に親しみを感じたためだろう。ところが、会社では彼の実力を発揮させるポジションにつけなかった。給料も日本から派遣された日本人より格段低かった。それだけでない。派遣日本人は、彼の心情など無視し、日本の上司にはぺこぺこするが、彼には横柄な態度をとった。
 これは海外〈派遣〉すなわち【赴任】〈日本人〉の【心情】のことですね(笑)。
 わが国のエリートならずとも【赴任】〈日本人〉の【心情】は-
 о一番に本社勤務で〈重役〉(可能なら社長を目指す)になること
 о〈地方〉支社長とかは一時的なもの
 о持ち家も最期の本社勤務を想定
 -ということで、海外勤務なども〈地方〉勤務と変わらない本社勤務の前哨戦に過ぎない。だから本社勤務に早く戻ることが、かれの第一の意思であり…そのためには本社に実績を示すこと以外には無いのだ。
 …ということで、たまたま〈地方〉採用の高学歴社員が居たとしても、そんな者には構っておれないのが普通だろう。彼の【実力】がいかばかりか知る由も無いが…わたしの経験では一〈地方〉のそれも外国育ちでは、その人脈もまったくなく〈日本人〉経営者の企業では、のし上がるに足りるような【実力】を示すチャンスは皆無であろう。
 そもそも【現地採用】者などは上記の『便利屋的な存在』として期待されたに過ぎない。それも多分、彼の育った国の語学力に過ぎない。こんなものは高校卒の女性でも十分だろう。
 (つづく)