西田憲正社長■経歴
1946/08/25 富山県生まれ その後東京へ
大田区蒲田育ち
日大付属高校入学
在学中にパーティ券販売で脱税
日大桜ヶ丘高校に転校
昭和44年(23) 日本大学商学部経営学科卒業
昭和44年(23) 大阪の冷房空調会社・大冷工業株式会社入社
昭和47年(26) 父の経営する電気工事会社・聖徳電気システム株式会社入社
(32) 父親が急死し取締役に-
父親が生きていたら?
知人「何ていうかな?
生きていたら、やらせねぇだろうね」
昭和54年(33) 配線工事会社・聖徳電気システム株式会社代表取締役就任
電気の「で」の字もわからなかった
何もわかっていなかった
オイルショックで-会社はビルの配線工事の依頼は激減し苦境に立たされた
その時、一週間に及ぶ「内観研修」を受けた
埼玉市狢腟榮盍儻修所畧樟醂悉蠶
-「内観」というのは?
西川亮所長「ひと言で言うと『本当の自分を知るということ』
保育園、スーパー、旅行会社、インターネット製作会社などを起業するも失敗
保育園開業9ヶ月で廃業
北朝鮮への旅行をプロデュース(北朝鮮ツアーのプロデュース会社設立)
名古屋-北朝鮮への直行便を飛ばしたという-
自ら添乗員を勤めた
何度も北朝鮮を訪れるうちに
北朝鮮に「飽きた」の理由で廃業・飽きてしまい撤退-
プライスサーカス 約2億6000万円の借金をつくり廃業
インターネットコンテンツの制作パソコンが普及していない時代で廃業
約30ほどの事業を手がけるも、その多くが失敗-
-借金まみれ
そして-
副業として考えていたホテル経営を本業としてシフト-
西田憲正社長「バブル崩壊後、ビルが建たなくなってしまったから
工事の仕事がぱったりなくなってしまった
本業(電気工事会社)のほうが苦しくなっていったんです
幸い、ホテルのほうが好調だったので-
それじゃ
ホテルへ本腰をいれてみるかということになったわけです」
プレジデント 02/03/18号
そして徐々にビジネスホテル業界のトップへと-
昭和61年(40) 株式会社東横イン代表取締役就任現在に至る
1986 一号店オープン〈土地建物貸借方式〉
旅館を経営していた友人から土地と建物を借り、西田氏はホテルの運営だけを担当
土地と建物はオーナーが所有
東横インは賃料を払いホテルを運営
「駅前旅館の鉄筋版」がコンセプト
レストランや宴会場はなく客室のみで
宿泊料は朝食込み(新聞・インターネット・朝食無料)で\5000前後の庶民価格
バブル崩壊で各企業の出張旅費を抑えられた時に
だいたい7000円が平社員の平均的な出張旅費
宿泊費が6000円だと、子どものお土産も買える
これが東横インがヒットした理由
サンキュー・ゴメンネ・キャンペーン 3950円
平成13年(55) 日本大学大学院グローバルビジネス研究科科
01 (グローバルマネージメント専攻)卒業、経営学修士取得
02/03/18号 プレジデント
-20年前に始めたホテル経営「東横イン」で日本最大級のホテルチェーンに
一人勝ち
売上257億円
全国に123店うち63件違反
ローコスト経営
社員の95%が女性
社員教育の内観-
犲分を知る瓩燭瓩諒?,箸靴導発された自己探求法・内観研究所
十畳ほどの部屋で、外界と遮断し、過去の自分と向き合う
(シティホテル・ビジネスホテル)宿泊に特化する・超安値
レストランや宴会場をつくらず宿泊に特化したこと
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現在 (株)東横システム電建代表取締役会長
(株)東横イン代表取締役社長
(株)東横イン開発代表取締役会長

経営者としては一流だね(苦笑)。

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西田憲正社長「今日も満室にしろよ!
従業員「はい!がんばります!」
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西田憲正社長「どういう建物にすれば高い利益を確保できるかを学んだ」「限られた面積から、いかにして効率よく部屋を取るか。これを『陣地取り』と呼んでいる。かなりの自信を持っている」
西田憲正社長「素人だから常識を打ち破れる」
西田憲正社長「女性のセンスを生かして日本一のホテルチェーンを創る」
西田憲正社長「給料に格差をつけると女性の場合、燃え尽きてしまう危険性がある」
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西田憲正社長「えっ?こんなおっきな新聞に載っちゃうの!?」
西田憲正社長「こんなに大きくなるとは思わなかったんですが-」
西田憲正社長「そんなに違反なんかしてないんですけど、
大変なことになっちゃったなぁと-」

西田憲正社長「年に1、2人しか使わない。一般客の使い勝手が悪い」
西田憲正社長「『使い勝手が悪いから』と行政に陳情し、完成後に改造工事を認めてもらうことはよくある」
西田憲正社長「横浜市のケースでは手続きを忘れてしまった」
西田憲正社長「条例違反をしました」
西田憲正社長「条例違反になることは知っていた。営業企画から相談があり許可した」
西田憲正社長「そんな悪いかなーと思ってるんですけど-」
西田憲正社長「車で言うと60km/hのところを
67~68km/hくらいで走ったって・・・『まあ、いいかぁ』と思っていたのは事実なんで-」
西田憲正社長「どーもスイマセンと-」
-認識しながら?
西田憲正社長「ハハッ、そうですね」
西田憲正社長「何か誘導尋問みたいですけど-
そうですよ」
西田憲正社長「玄関の前の駐車場はとって-
更地の駐車場のほうが
見栄えもきれいだし
玄関前だからカッコいいし
じゃあもう『後で取っちゃえ取っちゃえ』というようなことで
今後は怒られちゃったから
もうやんないけどさー」
西田憲正社長「警察に捕まったら仕方ないし
『そんなに悪いかな?』とも思っているんですけど-」
西田憲正社長「こんなでっかいのはないんだけど-
まだ二三ありますよ
はっきり言って」
西田憲正社長「ドアの向きを変えたり、カウンターの位置をずらしたり、といったものを含めれば、行政の許可を受けずに改造したケースが他にもあるんじゃないかという気がする」
西田憲正社長「当社の全国のホテルに同様の改造をしたものが二、三はある。条例に違反し誠に申し訳ない。すぐに元に戻し、社会に対する信用を取り戻す努力をする」
西田憲正社長「誠に申し訳ない。(「日本大通り駅」は)格好が悪いと思って改造した。すぐ元に戻し、社会に対する信用を取り戻す努力をする」

西田憲正社長「今、適合マークは一つももらっていません」
西田憲正社長「一箇所ももらっていない」
西田憲正社長「○適マークではなくて
ハートフルマークというのかな?」
西田憲正社長「あんまりまだ認知されていないから
支配人も欲しくないという感じじゃないかな」
西田憲正社長「小さいホテルには身障者の人たち
来ないんで
ここは倉庫になる」
西田憲正社長「そのまんまの形にしておいても
家具置き場とか」
西田憲正社長「そういうふうに
ボンボンボンボン
倉庫みたいになる」

日本身体障害者団体連合会小川栄一会長「一連の言動は、障害者の人権を軽視したもので許し難い」
-動揺を隠せぬままカメラの前に立ち、
西田憲正社長「身体障害者の皆様に対し不適当と思われる言動があった」
西田憲正社長「深くお詫びします」
西田憲正社長「本当に申し訳ございませんでした」
西田憲正社長「これからは体の不自由な方に優しいホテルを目指し、社会貢献したい」
日本身体障害者団体連合会小川栄一会長「ある程度の誠意は感じた。改善への約束をどこまで守るのか、きっちり監視したい」

涙の謝罪-
西田憲正社長「何の役にも立たず悔しく思っています
私たち内観のお師匠さんに
顔向けできません
悔しいです
それだけは-
後は絶対
直します
大好きなんです
内観先生
その自分がこんなことやって
本当にていたらくな自分だと思っています
お金のことではありません
自分は上等な人間だなんて思っていたことが
悔しくてしようがないです
反省しております」
西田憲正社長「全部わたしが悪うございました
反省しております」

気さくな人柄だ(笑)。

ババ「芝居だね」
子ギャル「気持ちが伝わってこない」
子ども「あれはね
子どものね
言うことだよね」

言いたいこと言わせてテレビで放映してる(苦笑)。
メディアのほうが犯罪だね(笑)。
確かに、スピード違反程度のものだ。
それを行政は告訴で潰そうとしていやがる(苦笑)。
世論とやらを煽って-

創価学会の北側は、建設業界の腐敗を浄化しろ!
東横イン問題は、障害者関係としても極めて小さなことだ!