古代文明は北緯30度線レベルに集中し、それより高緯度の遅れた文明ヨーロッパの森が、ずっと後でやっと文明の発信地となってからは、欧州文明は東遷しロシア(モスクワ)に至り、古代文明は大河ナイル・チグリスユーフラテス・インダス(ガンジス)・揚子江/黄河から東遷し、半島は常にただの通過点で列島に到る。
日本の支配階層は、もっと高緯度の北緯40度線レベルの乾燥草原地帯から満州→朝鮮半島を経てやってきたそうだ。
以下のふたつは是非とも参照されたし。
草原から来た天皇2(改訂版)http://www.ne.jp/asahi/t-oura/expo/sohgen/index.html
↑北方騎馬民族征服説→小林惠子説
2004うそ発見の億のウソ道(新版)http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/index.htm
↑日本語に残る音韻解説による地名人名のルーツの謎解き

文明は東遷する。
世界の人類は、アフリカから発し一万年以上の旅路で世界中に広まった。もちろん、ご先祖様中のご先祖は、原始の大海中のアメーバ様のものであり、魚様→両生類様(上陸)→ネズミ様(原始哺乳類)→原人(歩行)→旧人/新人→アフリカ発・・・。日本人は、揚子江の倭人や環太平洋諸島の人々が回遊などしてきて縄文人を形成した。倭人は朝鮮半島にもいた。広域に分散していたんだね。倭人は狩猟採集で暮らし辛い農耕は主ではなかった。そこへ北緯40度線の北方騎馬民族=遊牧民が、鉄器の武器と製鉄技術と、超ハイテクの騎馬戦法を以てわたってきた。
それが今日いわゆる天皇家と自称した北方騎馬民族の酋長である。もちろん当時は、列島とか半島とか大陸とかの「領地」区分などはなく支配地域も-現代でも、そうだが-東京都の一部とか都市レベルだったことだろう。もちろん日本などという概念もなかったし、天皇位(大王位)などという連綿と切れ目なく世襲で続く王統も王位もなかったと思われる。したがって蘇我氏が配下で苗字なき天皇家が上位にあったというのも後付けの話であった。
列島へ東遷してきた人々は、そこを拠点に半島支配もしたし列島と半島の兼務支配もしたらしい。いずれにしても蝦夷が朝廷の支配に屈したのは、ずっと後の話なんだから倭国という列島の統一王朝などあるはずもなかった。このことは・・・後の秀吉・家康から明治維新の長州薩摩の軍勢の独立戦争まで、さらには西南戦争まで続いたんだから、わらえる。
半島の百済が滅亡し、半島から百済人は列島へ追われ・・・そのころに隋唐帝国が次々と成立し、日本は天皇を中心に孤立、独立を迫られる(笑)。それまでは、安東大将軍の肩書きを支那の王朝から安堵されてきたが、東アジアの将軍様から倭国の王に堕ちたわけだ。
したがって・・・倭国→日本は、倭人・縄文人・遊牧民などで成り立っておるわけだ。遊牧民つまり天皇は、一応日本の支配者とやっとなり連綿として世襲の王朝を現代まで続けることになった。だが・・・常に天皇位には影の支配者がおって親政があったのは、愚かな後醍醐帝くらいかな。明治帝だって傀儡だし。天武が開祖だと言われているが、超然とした天皇というよりも、ただの将軍のようだし(笑)。
朝鮮半島もそれからは、大国支那の王朝の変遷があっても常に、支那大陸と日本列島に朝貢する属国として安堵されてきた。現代もそうだね。そのうちに、北が南を統一するだろう。半島は、ふたつに割れていたほうがいいがね。別に、ひとつになっても分国根性は治らず、安定政権はできないだろう。

で-
支那・半島・列島はアジアか?
東アジアに位置はするが、アジアではないだろう。そもそもアジアとは何か?
中東のアジア、インドのアジア、インドシナのアジア、そして東アジア・・・北緯40度ラインにはソ連崩壊後多くの草原国家が誕生した。

まあ、とりとめがなくなったが・・・大国支那と並べる半島の小国の背伸びがおもしろい。
いずれにしろ・・・半島は今も昔も「支那の支配・朝貢国」に過ぎん(笑)。
メタンハイドレートのエネルギー大国日本を靖国問題程度に矮小化して騒ぐのは、至極平和な話だ。WTOに組み込まれた以上は、日本という貿易相手国を粗略には扱えない。また、半島に命じて日本にちょっかいを出しても今般、倭人絶滅は不可能だ。たとえ倭人が最悪の民族でもね。日米関係も同じ。