お肌に疾患がでている人をみたら


なんともいえない


少し汚いと思うような感覚が以前はあった。



















しかし今は完全に”無”であり


そこに関してなにも思わない


ただ自分も同じ思いをしたことがあるから


“辛さがわかるな”と思うけど


肌に対してなにも思わなくなった。


















なぜだろうか。。


ふと思ったとき


過去のわたしは自分の肌に疾患があることを超絶否定をして、自分を汚いと思っていたことに気がついた。
















そして今は過去ほど自己否定をしなくなり


肌もわりと落ち着いている。


たまに暴走をしても暴走している肌への拒否反応イコール自己否定とはならなくなり、なぜそうなっているのか客観的に原因を考えられるようになったし、薬を使うことも薬を飲むことも許可できた。

















自分が受け入れられているあるいはなにも感じてない部分に関して


人は反応を起こさない。


















自分の反応するところは


自分が自分に反応している”自己サイン”


















否定も肯定も正解も不正解もなく


真ん中。無。

















正解があるから不正解をみつけだす


否定をするから肯定したくなる


















真ん中に戻ればブレない。

そして一定である。


















しかし、そのブレる幅が人の情緒を生み


深みやその人にしかない味をつくりだす。

































人生は揺れるほど人を磨き輝かせる。









カーブがある程


人はあなたを知りたくなる。