出版権拡張の法改正に潜む危険性 -2ページ目

出版権拡張の法改正に潜む危険性

最近法改正が現実味を帯びてきた出版権の拡張について解説しつつ、個人的な見解を述べていきます。

あなたの創作した小説,実用書,漫画などを書籍や雑誌などの形にして

それを読みたいと思っている読者のもとに届ける作業が出版です。


出版についての契約には出版契約出版権の設定があります。


この2つは何が違うのでしょうか?


まずは出版契約のほうから考えます。


------------------------------------------


あなたが自分の創作した小説を出版したいと考えている場合、あなたは出版社に自分の小説を出版してほしいと交渉するでしょう。


そして出版社が、

分かりました。あなたの小説を出版しましょう。

ということになれば、あなたと出版社は出版契約を結んだことになります。


出版契約といっても、お互い契約書にサインをして…

といった書面を交わすことが絶対に必要、という訳ではありません。


あなたがコンビニで陳列商品からポテトチップスをレジに持って行き

(あなたが「買いたい」という意思表示をしたことになります。)


コンビニ店員が「120円です。」と言って

(コンビニ店員は「あなたが代金を支払えば売っても良い」という意思表示をしたことになります。)


あなたは120円を支払って、コンビニ店員はポテトチップスを手渡す…


といった日常のやりとりだけで、売買契約が成立しているのと変わりありません。


つまり出版契約は、対象がポテトチップスから小説に変わっただけで普通の民法上の契約です。


ただしポテトチップスと小説では商品としての性質が違います


では、ポテトチップスと小説、つまり著作物の商品としての違いとは何でしょうか?


あなたが買ったポテトチップスを何かの調理器具で調理すると、ポテトチップスがもう一袋分増えるなんてことはまずありません。


ところが小説の場合、その書籍の全ページをコピーしてやると、内容が同じ小説がもう一冊完成します。


このコピー本は装丁などは原本と異なるかもしれません。


しかしコピー本の小説の内容が、元の内容よりもショボかった…なんてことはなく、コピー本でも同じ内容が楽しめます。


つまり小説などの著作物の場合、特殊なのは、それが書籍のような形になっているとしても、価値があるのはそれに使われている形のある紙,インキ,装丁自体ではなく、小説の内容という形のないものという点です。

(本の装丁が綺麗であれば書店で手にとってもらいやすくなる、ということはありますが、装丁の美しい本は内容も面白いとは必ずしも限らないことはもう経験済みですよね?)


形がないという特徴を著作物の無体性といいます。


この著作物の無体性という性質が、作者と出版契約だけで出版を引き受けてしまった出版社を困らせることになった、なんてことがあります。