前回、出版が作者とそれを読みたい読者とを媒介する(結びつける)行為であり、
出版社は、出版を業務として専門に行う会社であると説明しました。
ただし、出版社にとって書籍の出版は
書籍を流通させるための仕事の一つに過ぎません。
出版社の社会的役割としては、
書籍がまだ存在しない段階からの企画に始まり
編集、制作、宣伝、販売という一連のプロセス全てに
責任を持って関わることとされています。
もちろん日本の文化的な成長とって
このような出版社の果たす社会的役割は大きく
書籍を流通・販売させる出版という観点のみだけでは
計れないものがあります。
1年ほど前に完結した人気漫画「バクマン。」では
作者と編集者が人気漫画を生み出すために
二人三脚で奮闘する姿がリアリティを持って描かれています。
(「バクマン。」の設定では、作者が原作担当と作画担当に分かれているので三人四脚が正しいかもしれませんが。)
「バクマン。」を読めば、なるほど出版社の役割は
いわゆる「出版」にだけにとどまらないことがよく分かります。
このような現実を受けて出版業界からは、
より良い書籍を普及させるにはこのような出版社の果たす役割をもっと高く評価すべきであり、著作権法においても、このような出版社に対して一定の権利を認めるべきだ、
といった声も聞かれます。
しかし、著作権法の観点から見れば、
出版社の役割は、あくまで出版者、すなわち
出版という、作者と読者を結びつける作業を行っている点から
評価されるという構成になっています。
これは著作権法が評価しているのは、
創作の「表現」であることにも関わっています。
著作権法が保護する対象のことを著作物といいます。
著作権法 第2条1項1号では著作物について次のように定義しています。
〔著作権法 第2条1項1号〕
著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
「表現」とは、あなたの頭のなかにあるオリジナルな言葉やイメージを実際に紙に書(描)くということです。
著作権法では、アイディアや企画段階については
そもそも価値を認めていません。
出版社が新しい書籍の企画を考え、
作者はその企画にのっとって
頭にあることを紙などに表現したとしても、
著作権法ではその「企画」に価値は認めておらず
あくまで「表現」に価値を認めています。
出版社の編集にしても、作者の原稿を受け取った出版社が作者に対して
「ここはもっとスピード感のある感じにしたほうがいいんじゃないでしょうか?」
といったアドバイスを与えて、それに従って作者が修正したとしても
著作権法ではそのアドバイスに価値を認めていません。
そのようなアドバイスを受けて、「スピード感のある感じとはどんな表現だろう?」と考えて、自分の言葉で表現した作者の修正表現に、著作権法は価値を認めています。
もし、出版社側の担当者が、作者の原稿に対して、
校正の域を超えて、担当者自身の言葉で、内容を変更するような修正をしたとすれば、
これはもう出版ではなく、その作品を作者と担当者で共同で創り上げたということになります。
そのようなケースでは、もし出版社がそのような苦労を著作権法上で権利として報いてほしいと主張するならば、それはもはや出版者の地位ではなく、
その担当者が、その作品を作者と共同で創り上げた共同著作者の地位として報いを受けるのが本筋になります。
そうであれば、その担当者の名前を共著者として明記しなければならない、ということになります。
出版社がそのような明記を是とするかは疑問ですが。