「わたしにとっても、五輪に出ることはあこがれだった」と言う。フィギュアスケートの高橋大輔選手(23)=関大大学院=を指導し、2006年トリノ冬季大会に、コーチとして“出場”した。4年後、こんどは“銅メダリスト”になった。抱き合って「よかったね」と声を掛けた。
高橋選手が中学2年の夏。代理で振り付けを頼まれた。乾いたスポンジが吸収するように、指示したことをどんどん表現する子だった。直感した。五輪まで行ける子」
その日から「わが子のように接する」教え子との長い道のりが始まった。高校に入学すると、週末は家に通ってくる高橋選手が下宿状態同然となった。子どももいないため、そのうち必然的に同じ家で暮らすことに。
高橋選手が2002年世界ジュニア選手権で優勝した次のシーズンにスランプに陥った。指導法が間違っていると感じ、その次のシーズンに米国やスイス、ロシアに2人で武者修行。だが、結果に結び付かず、お互い一日中、ひと言も交わさないこともあったという。
04年に右足首を痛めた時は、気持ちが切れた高橋選手が家出した。「この子はやめてしまうかもしれないと思った」ことも。08年の右ひざ靱帯(じんたい)断裂など困難も克服した。「褒めてあげたい」。短い言葉に実感をこめる。
昨年6月からは高橋選手が自立し、いまは一人暮らし。高橋選手が右ひざ手術前日に家に連れて帰ったミニチュアピンシャー犬の「モウ子ちゃん」に癒やされているという。尼崎市在住。58歳。
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