さて

ついに訪れた3回目の転機


いよいよ ここから


マスターakiの誕生になります。







思い起こせば青春真っ只中の

高校三年生の時


私の学校は田舎ではありましたが


名もない高校でしたが

進学校でした




毎朝お弁当2個お袋に作ってもらい


朝5時には高校に電車通学してました




補修授業を一限前に受け朝ごはんの

お弁当を食べその日の授業を


受ける毎日でした





いよいよ1月になり

進路をはっきりしなくてはならない


周りはほとんどが大学進学の

道を選んでましたが


正直 この時の成績では

国立は難しい状況でしたので💦


親と相談し 経済的にも就職の方に

決めました


当時昭和51年 世間はオイルショックで

就職もかなり厳しい時でした


11離れた兄が東京銀座4丁目で

今の『響』の看板があるビルの

1階でパブに勤めてましたので




私も兄に憧れて水商売の道に

入りたいと親に相談したところ


これが猛反対に遭いまして




当時兄はかなりの不良で半ば

家出同然に東京に行った経緯が

あったので!


親には逆らえず

結局 就職することに


なんとか試験に合格して

晴れて4月入社することに



18まで田舎で勉強に明けくれ

恋愛の一つもなく

ただただ都会に憧れていた

私は東京の生活が楽しくて

楽しくて仕方なかったですね


お酒も初めて覚え(20歳未満でしたが)笑



会社にもなれた頃に兄に相談して


新宿のホストクラブを紹介してもらい


夜中の12時から朝5時までの


二重生活が始まりました


もちろん会社は副業禁止なので秘密でした


そんな二重生活を3年続けて

さすなに体力的に難しく

会社に専念することに、、、




そんな回想の事柄があり



人生の転機(リストラ)があり


辞めて何をしようか?


思い悩んでいる中に退職する日が

刻一刻と迫ってました


そんな中に ほぼ毎日飲みに行ってた

スナックのママに

「akiさんは辞めて何の仕事するん?」


ふと聞かれて 


ボソッと答えました


「実はBARのマスターになりたい」


そう答えると

ママが

「この世界なめたらあかんで

 50半ばの素人に出来る仕事じ

 ゃなかよ」と、、、


その時が退職日の半年前でしたから


かなり焦ってはいました


その後 「資金力」とか

「やる気」とか「根性」等々

ママに確認され

私が『水商売』をやりたい


もう会社員はやりたくない


そんなこんなで



やっとBARのマスターになる

『決意』

       を



実際 60歳定年だったので

このリストラがなければ


BARのマスターにはなる気はなかった

そう思います


遅咲きでしかも知らない高松の

『街』

選挙ではないですが

地盤看板もなく 知り合いもない


まさに無謀とも言える人生の


『賭け』でした


高松に来て1年半 海があり人柄も良い



そんな高松が大好きになり


香川県民になることを決意!



実際

水商売への未練と


いつか?


BARのマスターになりたい


やっとこさ



私の『夢』を叶えることが

出来ました。




マスターakiの誕生です





ここまでが『水商売』を決意する


いきさつでした

長くなりましたが ここまで

次回また

『甘くなかった水商売』について


書きますね

良かったらまた見てください




to be continue♡