【プー太郎旅日記】~ シンクロニシティと神様と、陰謀とアセンションと、、 ~ -5ページ目

【プー太郎旅日記】~ シンクロニシティと神様と、陰謀とアセンションと、、 ~

東京出身40代の独身男が、震災をきっかけに、それなりに給料の良かったSE職を辞めて世界の陰謀論にのめり込み、神社巡りの旅に出掛けたら、次から次に不思議な偶然に出会ってしまうというドキュメンタリー。それらはただの偶然か、それともすべて必然か!?

8月28日

朝目が覚めると、体の調子は昨日よりだいぶ良い。今日は普通に動けそうだ。
昨日同様に朝風呂から一日を始める。昨日お湯の出し方を女将さんから聞いたので、今日は快適に熱い温泉に浸かる。実は、嬉野温泉は日本三大美肌の湯のひとつだそうだ。ここを出る頃には僕のお肌もすべすべ、か??

時間は12時前ぐらい。気がつけば、「あんでるせん」のハンバーグ以来ものを食べていない。でも、不思議と激しい空腹感に襲われるわけでもない。ちょっとした食べ物があれば十分な感じ。女将さんにおにぎりでも頼んでみようと思い、下に降りた。

フロントには従業員の女性がいて女将さんの姿は見えなかった。おにぎりのことを聞いてみると、奥から女将さんの大きな声が聞こえて来た「あんた、昨日も作ったけど一日中鍵かけて出てこんから。こっち来なさい。」
呼ばれて台所に行ってみると、そこには形良くむすばれた三角おにぎりが二つ既に出来上がっていた。そこに女将さんはふりかけをかけ、タッパーから塩鮭の切り身を添えた。
嬉しかった。顔馴染みでもない僕にそんな気を配ってもらえていることが嬉しかった。代金を聞くと「はぁ、そんなもんいらん。」目頭が熱くなった。

小さなおむすび二つと鮭の切り身の載ったお盆を持って部屋に上がる。お盆をテーブルの上に置いて畳に座ると、感謝の気持ちがしみじみと湧き出した。
本当に質素で何の飾り気もない食事だったけど、僕には最高のご馳走だった。豪華なフレンチレストランで何万円も出して食べる料理もそれはそれでいい。でも、食の原点って、きっとこういうとこにあるんだろうって思った。
手を合わせて「いただきます」と唱える。子供の頃から食事の度に何万回も唱えて来たことば。阿蘇の湧水の水面が、幣立の御神田の稲穂が、頭をよぎる。自然の恵み、そして、女将さんの優しさ。誰に強制されるわけでもなく、心の底から「頂きます」という感謝の気持ちだった。人生で初めて「いただきます」の意味が分かったように感じた。
この日から「いただきます」と「ごちそうさま」は、僕にとってちょっとした祈りの時間になった。
食べ物は心で食べる。

旅に出てから一週間近くが経ち、洗濯物が溜まっている。この日の午後は洗濯をすることにした。
コインランドリーに向かって歩いて行くと、街の中心街を通る。その中には、ソープランドが何軒も軒を連ねる。面白いことに、この街では、風俗店が裏通りで申し訳なさそうに固まっている訳ではなく、目抜き通りで肉屋さんやクリーニング屋さんに混じって堂々と営業している。コインランドリーへの道筋もこの通りを通っていた。
火曜日の昼間、僕以外に人影はいない。とあるソープランドの前で呼び込みの「おじいさん」に声をかけられた。おじさんと呼ぶには年季が入り過ぎてる。「安くしますよ~。」
旅に出てから一週間、いろいろと男の事情もありまして、ここの風俗はそれなりに気になってはいたわけですが、目の前に出てくると、やっぱ、盛り上がってくるわけです。おにぎりに胸を熱くしたそのわずか数時間後には、下半身が熱くなるというお恥ずかしい話。でも、人間なんてそんなもんか。ん、それとも俺だけか?
洗濯物あるんでと後ろ髪惹かれながらその場を立ち去りコインランドリーへ。

しかし、ここは静かな町だ。
通りを歩いていても、呼び込み以外に人に出会わない。昭和の時代は賑やかだったんだろうなぁというのは、街並みを見ていると何となく分かる。関東でいえばかつての熱海みたいな感じか。もっとも、最近の熱海は盛り返しているらしいけど。
高度経済成長、バブル景気の反動は、こういう地方の観光業に大きな痛手となって現れるのだろう。もの悲しい、が、どこか懐かしさを感じて安心する。一旦離れてみると、東京の人の多さは異常だ。

洗濯を終え、周辺を散歩して土地の空気感を味わってみる。広い空と緑の山々が気持ちいい。
1時間近くフラフラした後、洗濯物を持って宿に帰ろうと思ったのだが、さっきソープランド前で感じたムラムラ感が収まらない。宿へ向かって歩いていると、さっきのソープランドの近くで呼び込みのおじいさんが道を歩いているのを発見。結局、店に入ってしまった。。。

そのとき空いていたのは、リンちゃんという子だけだった。
ドキドキしながら行くと、なんと、会うなり泣いている。「何じゃそりゃ!」と思う一方で、「またまた何か始まったんでないの?」とも思った。

部屋に入るなり、彼女はタバコをプカプカとふかし、こっちを見さえしない。およそ客商売のお姉さんとは思えない態度。しかし、話をしてみると、人がいなくてなかなか休ませてもらえない様子。多分、何連続も間髪いれずにお客を取らさせられてるんだろう。可哀想にとは思ったが、僕もそれなりにお金を払っているわけで、やることはやるわけです。ただ、一方で癒さなければという強い気持ちが湧いて来た。。
元気になって欲しいから、自分なりに一生懸命優しくした。古代人の思想が正しいとすれば、僕が自分勝手にならずに心でエッチが出来れば、彼女も元気になるはずだ。
そしたら、いろいろ話してくれるようになった。

「私、霊感強いんだ。」
出た!この旅はもうそんなのばっかりだ。今回も聞いてもいないのに、向こうから始まった。
「元彼はもっとすごくて、私が一人で海行ってるときとか、今海だろーって電話かかって来た。すごく拘束する人だったから疲れちゃった。神様の声が聞こえるって言ってた。」
出身を聞くと、「鹿児島だよ。」また出た。佐賀の小さな温泉でなんで鹿児島の子に会うんだ。やっぱ鹿児島行かされるんだろうなと思いながら、さらに聞いた。「鹿児島のどこ?」彼女はちょっと躊躇しながら「鹿屋。」
来た来た。阿蘇の野わけで聞いた鹿児島の女性の住所だ。ということは、俺が行くべきなのは知覧でなくて鹿屋かと思っていると、「私、両親離婚してて、お父さんは鹿屋に住んでるんだけど、お母さんは知覧の近くなんだ。」
はい、なるほど、両方行くってことですねぇ。鹿児島行き確定。こうやってうまいこと行き先を見せられる。

彼女に、この町の目抜き通りにソープランドが並んでる話を振ると「中学校のマラソン大会の時とか、ソープの前に呼び込みのおじさんたちと子供達のお母さんたち一緒に並んで応援してるよ。」こういうの、おおらかでいい。この街だけなのか、九州だからなのか、性に対してやはり開放的なのだろうか。
「道歩いてると、お茶屋さんのおばちゃんがお茶飲んでく?って声かけてくれるのが嬉しいの。」職業に貴賎はないとは言うけど、僕を含めて本当にそういう意識を持ってる人ってどれだけいるんだろうか。体張って他人のエゴを満たしてるって意味では、彼女たちほど世の中に貢献してる職業はないかもしれない。

帰る頃には、彼女がだいぶ元気になっているのが表情から分かった。会ったときは、タバコ吸いながらうつ向いて僕の顔さえ見てくれなかったけど、最後は本当にしっかり顔を向けてくれて、心からの素直な笑顔だというのが分かったのが嬉しかった。

ちょっと大げさかもしれないけど、彼女を見ていて、これまで女性が歩んできた虐待の歴史を見せられた気がした。ワンちゃんと性の話をした後だけに余計にそう思った。
現代では、本来精神的な幸福感を得るためのツールであるはずのセックスが心と切り離され、動物的な欲求のはけ口となっている。もちろんそうでない人たちもいると思うけど、一般的にはそういう人が多いんじゃないか。
本質的に、女性は男性に比べると心の結びつきを求める傾向が強いように思うけど、男性優位の今の社会では女性に対しても動物的なセックスを求められる傾向が強いのではないだろうか。風俗産業も男性的な考え方に沿って成り立っているから、そこで働く女性は本性とは違う動物的なセックスを強要されて、精神的な負荷を強く受けるんじゃないだろうか。

これまでの社会のあり方の中で、男性性は傲慢になり、女性性は自らを卑下することに慣れてしまったように思える。この不当な性の上下関係は、女性を動物的な性の奴隷へと貶めてきたのかもしれない。
男が傲慢さから抜け出し、女が本来の優しさに目覚めたら、夫婦仲はもっと良くなるだろうし、そういう夫婦が世界中にあふれたら、戦争もなくなるんじゃないかと思う。
だって、心が満たされた人間を怒らせるのはすごく難しい。

まあ、何はともあれ、その後、洗濯物を忘れないように持って店を出た。
まだよく見ていなかった街中をフラついていると、豊玉姫神社に出た。改めて参拝し、女性性の開放と男女の調和を祈った。

雨が降ってきたので参道に並ぶラーメン屋さんに入り夕食を取った。九州に来て初めて食べるトンコツ細麺。絶品。うまかっ!でした。この店ぜったいうまい。また来よう。

夕暮れ時の街を、小雨の中宿へ帰った。