8/31 嬉野温泉⑥ | 【プー太郎旅日記】~ シンクロニシティと神様と、陰謀とアセンションと、、 ~

【プー太郎旅日記】~ シンクロニシティと神様と、陰謀とアセンションと、、 ~

東京出身40代の独身男が、震災をきっかけに、それなりに給料の良かったSE職を辞めて世界の陰謀論にのめり込み、神社巡りの旅に出掛けたら、次から次に不思議な偶然に出会ってしまうというドキュメンタリー。それらはただの偶然か、それともすべて必然か!?

8月31日

今日も朝風呂から一日を始める。
風呂上りのお昼はおとといに続いて湯豆腐定食。縁側から流れてくる風に当たりながらお座敷でお昼を食べる。そんなにお金がかかってなくても贅沢な時間ってある。

今日は、女将さんから勧められた「轟の滝」に行ってみることにする。町から歩いて20分~30分程だという。
目抜き通りから国道に出て、そこからは国道沿いにしばらく歩く。
そろそろ町から遠ざかるなと感じるぐらいのところに川辺の公園が現れた。

滝自体は小さなものだったが、その前に広がる川の景色が素敵だった。橋の上から見下ろすと、滝の先から川幅が大きく広がっていて、見渡す限り水が流れている。大量に流れる水に映し出される川底の岩の色と太陽の爽やかな光に心が癒される。
浅瀬の川では、カモの一団がウロウロしていた。僕が川辺に寄ると、あちらも寄ってきたのでご挨拶してみた。「どうも、おじゃましてます。」
滝の横には鮮やかな赤い不動明王の像が立っている。橋からは距離があったが、近くまで行って拝んで来た。日が暮れかかって来ていたのとご不動さんの容貌から、少し怖い感じがしたが、祈っていると、これからすることが何であれ、志を立てたなら周りの目に流されずに実行し続ける強い心を持てと言われている気がした。
神様とかお祈りの話とかしだすと怪しい人に思われそうだからね。心が折れないようにしなければ。

滝からすぐの国道沿いに、ハンバーグ屋さんがあった。横にはセブンイレブン。あ、思い出した!「あんでるせん」から嬉野に帰る途中に、このセブンイレブンにワンちゃんと立ち寄ったぞ。そういえばまだ佐賀牛食べてなかったなぁと思い、今日の夜はここで食べることにする。
デミグラスソースのハンバーグを頼んだ。なかなか流行っているらしく、ひっきりなしにお客さんがやって来る。出て来たハンバーグもとても美味しかった。サービスだって悪くない。店舗の作りもしっかりしていてこぎれいにしてある。
しかし、である。オーナーと思しき女性がとても忙しそうに動き回っていて、それを見ていたらなんだか窮屈な感じがしてしまった。仕事に追われて楽しんでいる様子がない。お会計の時に「ハンバーグのお肉は佐賀牛ですか?」と聞いてみると「和牛です。お願いしてるお肉屋さんは一応佐賀牛指定です。」みたいな感じの答えで、結局どういうことなのか理解できなかった。

普通に考えて、美味しくて良い店である。ただ、九州に来てからの僕の感覚が変わってきているので、人のちょっとした心の動きが気になってしまう。
怒りや不満は全くないが、オーナーの女性が心を閉ざしてビジネス的な「おもてなし」になってしまっていたことに違和感を感じた。都会でもよくありがちな態度だ。でも、これからはビジネスにも心がなければと感じた。
何となく、今のビジネスのあり様はこうなってるよって見せられた気がした。

宿に帰ると、台所で女将さんがもう一人の女性と夕食を取っていた。てるこさん(仮名)という60代前半の女性で、女将さんの夕食作りを含め、宿の夜の仕事をお手伝いされている方だそうだ。昨日の女将さんとの「語り」で心の距離が近くなったこともあって、誘われるがままにお二人の会話に参加することとなった。

てるこさんは20年ほど前に旦那さんの度重なる浮気に耐えかね離婚されたそうだ。以来、3人のお子さんを女手一つで育て上げられてきた。この二十年間は恋をするでもなく、ひたすらに子供達のことを思い、仕事に家事に育児に全精力を傾けて来たが、今では皆立派に巣立ち、残されたのは自分ひとり。家に帰ると寂しさが込み上げて来る。離婚の時は自分について来てくれた子供達も、現在は元の旦那さんと懇意で、次男坊は旦那さんの会社を継ぐことになっているという。悪いことをしたのは旦那の方なのに、何だか自分が悪いことをしたのかと思ってしまうそうだ。去年子宮に癌を患い手術で患部を取り除いたそうだが、手術を受けた後生き返った思いで、これからは自分の人生を生きようと思い、一年前から好きな料理や人のお世話のできる仕事を始めた。昼は食堂の給仕、夜はこの旅館の手伝い。「これからは自分の好きなことをして新しい人生を生きるんです。」

てるこさんのこれまでの人生に、またしても女性の虐げられた歴史を見た気がした。
今から20年前といえば、日本ではまだまだ離婚は簡単にできるものではなかった。一度結婚すれば女性は旦那の家のものとなり、離婚などすれば「出戻り」などと言われて恥ずかしい思いをする。当時の女性が離婚を決意するには相当な覚悟が必要だったはずだ。「男は浮気しても許されるけど、女がそんなことしたら殺されてしまうわ。」女将さんとてるこさんの共通した意見だった。
別れた旦那さんは再婚されたようだが、3人のお子さんの保護者となったてるこさんは、自分の時間を犠牲にして働き続けるしかなかった。今でいう「バツイチ」の女は当時は偏見にさらされていたのだと思う。再婚の機会にも恵まれなかった。離婚当初、中学生だったお子さんが、両親の離婚のことでいじめられ、てるこさんを責めたこともあったそうだ。かといって、我慢して結婚を続けていたとしても、それはそれで辛い生活になっていたのだろう。
女として「まっとうに」生きることが幸せな道とは限らない。男性原理の強いこれまでの社会では、女性として「正しい」とされる生き方は、実は女性を支配するためのもの、男性にとって都合のよい生き方である可能性がある。でも、先祖代々そのルールで生きて来て、子供の頃からその生き方を刷り込まれた女性達は、そのルールを疑うことさえしない。本来の自分自身を押し殺して、社会の決めた女性像を生きようとする。そして、そのギャップによりストレスを受ける。
あるいは、抑圧のルールに反発を覚える女性がいれば、極端に振れて一気に男性への敵意を募らせるのかもしれない。極端なキャリア思考になり、仕事で自分を男性よりも上の立場におこうとするかもしれない。敵意は自分と他者の分離を促し、争いの種となる。争いの中には決して幸せは生まれて来ない。
何となく、ハンバーグ屋の女性に感じた違和感と、てるこさんのこれまでの生き方がリンクした気がした。形は違えど、男性原理の社会の影響で素の女性性が抑圧された感じ、とでも言おうか。

三人で話をしているところに、たまたま女将さんのお友達の女性二人が訪ねてきた。70歳になるこのお二人は、女将さんのことが好きで、時々いらっしゃるようだ。女将さんとの共通の知人の話になり、その方が手術を受けた話になった。
「お腹にメスを入れるような大病をする人はそれだけ業が深いっていうね。」
お二人はてるこさんと初対面だったので、彼女が手術を受けていることは知らない。僕にとってはこの言葉が印象的だった。

もし、この世に「こころ」のような見えない世界が存在していて、人間一人一人の中で、その「こころ」と「体」が繋がっているとしたら、慢性的な心の状態は体にも現れて来るだろう。大きな病気を発症する背景には、長い間のネガティブな心の状態が影響しているのかもしれない。
昔、ピエロが病院を回り、患者を笑わせることで病気の回復に貢献するという映画があった。実在の医師をモデルにした「パッチ・アダムス」という映画だ。医者に見放された重度のがん患者が、抗癌治療を止め、楽しい好きなことをしていたら癌が治ってしまったという例も報告されているそうだ。自己治癒力は、ストレスによって弱められ、笑いによって高められるそうである。
心が健康であれば、体も健康でいられる。

てるこさんの病気の原因はてるこさんのこころにあったのかもしれない。男性原理の社会が決めた勝手なルールに翻弄されたがために、知らないうちに陥ってしまった心の闇。
女性は本当はもっと自由な存在であるはずなのに、幼い頃からの無自覚の「洗脳」で、自らの心を自らの意思で縛るよう無意識に決定付けられている。

この夜は、もう一つ気になることを女将さんから聞いた。宿の近所の酒屋さんの奥さんが、霊が見えたり感じたりする人だというのだ。知り合いに対して霊視のようなことをしているようだがお金は取らないという。
その酒屋さんも元の神社の境内の中に建っている。

やはり、この場所には何かある。
嬉野温泉に来たのはただの偶然ではないと強く思った。