父が亡くなり、母の具合は更に悪くなりました。
きっと覚悟はしていたんでしょうが父が亡くなった事は母にとって相当ショックだったようです。
それまで患っていた介護鬱が、介護がなくなっても「鬱病」として母に残ってしまいました。
母はそれまでは車の運転できていたのが できなくなり
(母は60歳過ぎてから車の運転免許を取りました。孫が生まれて(わたしの子供)「必要ある時もあるから!」と言い出して教習所に通ったんです。そのくらい元気なヒトでした)
一人ではご飯もまともに作れない、食べれない… 日常生活がほぼままならなくなってしまいました。
それで…
母を一人にしておけないので、わたしらの家に一時寄せる事にしました。
それしかなくて。
当時の記録ノートより
オレサマにそれを打診すると
「 いいで! 」
と、すぐOKしていました。この時点では。
※この場合の「いいで!」を解説しますと「オレは誰とも喋れるし気さくな性格だから、お母さんが家に来ても全然平気なんだぜ。オレってスゴいだろ」ですね。
こうして母はうちに居る事になりました。寝る場所は一階の和室です。
わたし本当に不思議なんですが、この時の細かい暮らしぶりの様子をあまり覚えていません。
例えば、母を交えた夕飯の景色とか。…
冬だからクリスマスありましたが、それはどうしたとか。…
オレサマはいつも通り朝仕事に出掛けて、子供らは学校へ。わたしも時間になればパートに出勤。
母は留守番ですが、一人では食事も食べれずでしたから、わたしがパートが昼過ぎに終わって急いで帰宅して母と二人で食べてたと思います。
でもその半面、鮮明に覚えている場面があって
ある日、昼ごはんを食べて居間のコタツでコテンと横に崩れるようにして寝てしまった母の口からトロンとヨダレが流れていたんですね。
その姿は、ほんとうに文字通り「力尽きた」かんじで …
少し気が強い、とてもしっかりした気丈な母でしたので、わたしは驚きました。
同時にとてもかわいそうでした。
鬱病が母をそんな風にさせてしまってる。
父を介護して、そして亡くなって、つらかったんでしょう。それまでの疲れも一気に出たんでしょう。
オレサマの悪行の事も母は知っていましたから、その心配での心労もあったかもしれません。
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