読みました、という意味で
いいねしてくださってると
思ってます!


父のトラウマのつづきから順番が
前後しますが。




中学2年の時、それまでのイジメとは
程度が異なるイジメを1年間受けました。




覚えている部分の一番最初は、この子
(いじめっ子)嫌だな、一緒にいるの辛い、
早く帰りたい、先生たちのバンガローに
行きたい、でも行けない、苦しかった
林間学校。


体が具合悪くて吐きそうになって
いるのに、執拗に人が嫌がること
を言ってくる子だった。



わたしはその子のターゲット
になってしまった。



その子を怖がっているクラスの
みんなはその子に合わせたり
距離をとっているようだった。



女子のグループに自分の居場所は
なかった。



唯一仲良くなれそうなコ達も、いじめっ子の
言いなりで、わたしはひとりぼっちに
なってしまうところだった。



生活はいじめっ子の言いなり
にならざるを得なかった。


わたしにとっては毎日が拷問でした。


我慢出来ず母にイジメられてるから学校へ
行きたくないと打ち明けました。


母は1日休ませてくれました。


担任の先生に相談することになり
学校に母と行きました。


担任の先生には、「イジメられる咲良
にも悪いとこがあるんだよ。」
と言われました。





母はもちろんです。と答えました。
わたしはクラスでイジメということで
目立つことが恥ずかしくて、辛いのに
先生の前で笑顔でいたんです。
だから先生もなんだ平気そうじゃん!
と言われた事を覚えてます。



その後いじめっ子と、わたしと
は先生に呼び出され




「お互いの、嫌なところを言いなさい。」
と先生に言われました。



わたしは苦しかった。
イジメっ子の全てが嫌だったから。






言えるわけないです。







学校はほぼ保健室に通ってました。
担任の先生は咲良はなぁ、と言って
ました。




公園で時間潰して学校へ行った時は
先生はわたしが遅刻したことにも
気づいてなかったんです。



学校を休むことで逃げる子に
なって欲しくないという母。


体裁を気にする先生。


当時嫌いだった暗がりで
一人ボーと家ではすごし

食欲もなくなった。
お腹はくだすようになった。

髪の毛を洗う気力もなかった。

母に誘われお茶とお菓子も
最初はイヤイヤだったのに


甘いものに取り憑かれた
ように、学校から帰宅すると
むさぼるように食べた。


毎日、一日が終わると日付を
消して。






この一年をカウンセリング受けた
時、逃げたんじゃない!
自分をまもったんだよ!
と言われて、わたし自身も
生きてただけすごいじゃん涙

そう気づけたことは大きい。

イジメにあってる子、
学校行かなくていいよ!