創価一家に嫁ぎまして

創価一家に嫁ぎまして

創価学会のことについて、思ったことを書いていきます。自分の中の整理のためでもあるし、他の創価に関わっている人、関わりそうになっている人に「こんな考え方をしてる人もいるんだよ」というのを伝えたいのでブログとして書いていきます。

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まずはネガティブな部分から書きましょうか。

私は基本的に、○○だから嫌いっていう考え方があまり好きではありません。
なので、創価だからという理由だけで
全てを否定するつもりはありませんが
それでもやっぱり「これはおかしいんでないのー?」と思う部分もあるのです。

そして、これは創価に否定的な思いを持っている人であれば
わりと共通して感じていることであろうと思うので
まずはそこから書いていきたいと思います。


一つ目は、創価学会が絶対なところ。
例えば一般的な感覚の持ち主であれば
以下の義母の発言には違和感をおぼえると思うのですが...


「信心(創価学会に入会し、信仰活動すること)している人に悪い人はいない」

「幸せになるにはお題目をあげる(南無妙法蓮華経と唱える)しかない」

「創価学会以外の宗教は全て金儲けのためのものである」

「信心をしているから許した」


まあ他にも挙げればキリがないのですが...

一番上の発言にだけつっこみますけれど、学会員で信仰していようがなんだろうが
良い人は良い人だし、悪い人は悪い人です。
そして、その良い人も他の誰かにとっては悪い人ですし、その逆も然りだと思っています。
一面しか持ってない人なんていないでしょうから。

それを創価信仰者=良い人という等式にしてしまうのは....如何なものかと思うのです。

でも本人はそう信じて止まないのです。
そうやって何十年も生きてきているわけですしね。


先程上に書きましたけれど、良い人も他の誰かにとっては悪い人なわけですよ。
でもそれは人以外にも言えることであって
創価学会も良い面だってある、ただ視点を変えれば悪い面もあるんだと思うんです。

なのにそれを見ないでいる(見えないでいる?)創価絶対の精神が私には受け入れがたいものでした。


長くなってしまったので、続きは次にします。