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人間の死について質問:#コロナ#奇蹟に対する問題ですが、本質


から脱した奇蹟はないと考えます。では死んだ人を、再び生かすとはどういうことですか。

死んだ人を生かすには霊を、また吹き入れれば生き返える。しかしそこには限界がある。腐敗してしまってはいけない。肉体が無くなってはいけない。3日間とか死んでから間もなければ、時に霊を呼び入れれば蘇る。それはたやすい事だが、しかしそんな必要性はないのだ。

#神様、が一度霊を呼んだら、それをまた返って来るようにするためには、それ以上の価値あるもので償うとか、でなければ、それによって天的利益を持って来ることができなくてはならない。

そうではなければならないのだ。1人をいかすために3人、4人が死ななければならないかも知れない。霊的価値を見なければならない。そんな事をするのに責任を負わなければ天法にひっかかる。だから奇蹟は良い事ではない。

昔、平壌にあるお婆さんが住んでいた。そのお婆さんが霊界から先生に対する話を聞いて先生を尋ねて来た。そして教会に入って来た。そのお婆さんは多くの奇蹟を行った。患者たちを治して、立つことができない人を立つようにした。この噂が平壌の隅々にまで広がって、世の中の多くの親たちが寄り集まった。

そのように1年、2年数年が経ってある段階に立ち入ると神様は、そんな祈祷はもうそれ位にしなさい。と言った。

ところで、その後ある日1人の女性が尋ねて来た。裕福な家の独り息子を持つお母さんだった。その息子が今、肺病にかかって時間を争っているというのだ。精誠をつくして何でもするので、くれぐれもこの息子のために、祈ってくれと言った。しかしいくら切に頼んでも神様の許諾がなければならなかった。ところでその話を聞いたら可哀想で耐えることができなかった。どんなことしてでも、治す方法がないかと思って百日祈祷をした。

身を清潔にして聖水を外しておいて祈った。99日まで何らの回答がなかった。そうするうちに100日目になる明け方に、空から音が聞こえてきた 。本当にその子供を生かしたいかということだった。
はい、どうにかして治してくださいと答えた。すると再び、それでは私がすることに不平を言わないか。

「はい」

と答えたらコップに盛られていた水が膨れ始めた。水が膨れて上がって来た。そうしたら、この水を誰にも言わずにその息子に持って行って、飲ませなさい。そうすれば歩き始めるようになるでしょうと、言われたのであった。

それでその命令を受けて、その水を持って行って飲ませた。その時が、朝方3時頃だった。そして家に帰って来て眠りして起きたら、自分の長男が朝早く寝床から起きて、母さん腹が痛いと言うのです。それから自分の部屋に入って、30分も経たないうちに死んでしまった。その時お婆さんは自分の息子がその青年の代わりに、逝ったということを知るようになったのだ。

そんな事があった後、そのお婆さんは精神異常者になった。ところが神様がお婆さんに、あらかじめ知らせてくれていたのだ。お婆さんの息子を、その青年の代わりに連れて行くという事実を、そのお婆さんが精神が半ばおかしくなって、歩き回っている時、ある十字路で明らかに自分の息子が前に現われて、母さんどこに行きますか?

母さんはその青年のために祈祷してくれて私が代身、犠牲になったといってどうしてうろたえているのですか。

私は地上でいくら人間として善良な事をして、天のために奉仕したと言っても、到底行くことができないとても、良い所に行っていますと言った。何故良い所へ行ったかと言えば、自分が行かなければならない所と、青年が行かなければならない所を、合わせた所へ行ったからだ。

2人の目的を完成した所へ行くようになったのだ。ところが彼のお母さんが毎日泣いてばかりいるから、たまらなかったのだ。そのためこれよりもっと大きい十字架はないです。

私があなたの息子だとそのように甘えん坊のように、思っていたら困りますと言ったのだった。

それでそのお婆さんは、あ~!私が間違っていたと言った。するとその息子が再び言うのには。お母さんが生かしたその青年に、私以上に愛さなければ、私が霊界で発展するのに大きな障害になるはずである。だから彼を私よりももっと愛すると、約束してくださいと言ったと言うこれは事実だ。

天的使命を持った人が、責任を持って祈ればそのようになるのだ。特別な奇蹟を行おうとすれば特別な犠牲を、払わなければならないのだ。先生もよくあう事だどんな人も許してあげたいが、天法の前では許すことができないのにそれでも人情として、許してあげればひっかかる。そんな事がある。

今も肺病を中心に多くの問題が起きている。私が祈ってあげれば、治るだとか、治療ができるという内容が色々聞かれてくることもあります。しかし、霊力ある先生が以前、奇跡の役事を使えても使わなかった。

コロナの問題も同様ではないだろうか。この時代における本当の奇跡とは何であろうか。運命は努力で変えられても、宿命は変えられない。愛するペットにも、花にも寿命がある。人間にも寿命がある。人間の死は終わりでなく通過点として、捉えた方が良いのである。