保育園の民営化 | シイタケのブログ

保育園の民営化

 大不況の到来により、家計を支えるために母親が働きに出なければならなくなっているが、子を保育園(保育所)に預けようとしても預かってくれるところがなく、待機児童が増加しているのだという。新聞によれば、麻生首相はつい先日までこのことの認識がなく、「少子化なのになんで?」と相変わらずの不勉強ぶりを露呈していたくらいであるから、現政権には当面、待機児童対策は望めないであろう。福祉政策は貧困化する一方である。

 小泉政権時代の財政政策により、保育所の運営費を一般財源化したため、折からの財政難に苦しむ自治体は保育所予算を切り下げている。否、財政難に苦しんでいない自治体でも他に無駄遣いが必要なため、保育所予算をカットしているのである。自治体の首長や地方議員も、自分の懐に関係なく、かつ文句も言ってこないところへの予算配分には興味がないのであろう。

 保育所への予算カットと同時に進められているのが、保育所の民営化である。ここにも「民営化すれば何でもうまくいく」という妄信が現れている。民営化の口実としては、人件費の削減、効率化によるコストの削減がいわれているようだが、まず保育所の運営に人件費がかかるのは当然のことである。公立保育所はベテラン保母(保育士)が多いため、人件費がかかるのだというが、他の公務員も民間企業も年齢と経験に応じた賃金体系をとっているところが大半であり、ベテラン保育士にふさわしい賃金を支払うのは当然ではないのか。そもそも、保育士に高い給料は必要ないという考え方そのものが、育児に無関心で「育児は女の仕事」と決め付けているオヤジの発想である(一度1歳児5人ほどを一日中預かってみればその苦労がわかるであろう)。民営化された多くの保育所では、保育士が一斉に若い人に替わるのだという。なおかつ彼らの身分は非正規・低賃金だという(現状でも非正規職員が増えているが)。子を預ける親としては、ベテラン保育士がそろっているところに預けたいであろう。ベテラン保育士がその経験を若手の保育士に伝授していくようなしくみが必要であるし、また保育の責任・理念をしっかりもった保育士を育成するには、賃金・身分が安定していることが重要である。そして、民営化により効率化が図られるというが、何をもって効率化されたというのであろうか。給食材料を国産野菜から農薬浸しの中国産冷凍野菜に切り替えて「効率化した」というのであろうか。金をかけなければその分だけ質が落ちるのは容易に予想がつく。

 保育所が民営化されれば、経営主体は社会福祉法人や企業または個人事業主となる。そこで何が起こるかといえば、収支の安定や利益を目指す経営主体の力がぐっと増し、保育士や調理士の立場がずっと弱くなるということである。例えば「園児の安全のためには○○が必要です」と現場の保育士・調理士が訴えても、「金のかかることはまかりならん!」という力関係になる。それどころか、身分の安定しない保育士・調理士は解雇を恐れて保育運営・方針に関する発言もしなくなるであろう。かくして本当に責任感のある保育士や調理師は良心の痛みに耐えられず、職場を離れていく。

 また、保育所を民営化するといっても当然のことながら、完全に親の保育料で経営するわけではなく、自治体などからの補助金が出るのだが、民営化されるとその使途が不明になることも問題である。経営者の方針によっては、保育にかかる実費を不正にカットし、利潤を出そうとする恐れも十分ある。これを自治体が監視するしくみを作るといっても、虚偽申告や報告を見抜くのは実質的に不可能であろう。また、最近話題となった認証保育所「ハッピースマイル」の倒産の例をみてもわかるように、経営難になり倒産・撤退した後の保育所運営は誰がどのように責任をもつというのであろうか。民営化は一見低コストのようにみえて、実は補助金のバラマキ、補助金の持ち逃げというリスクもはらんでいるのである。

 さらに心配しすぎるとすれば、例えば保育所で園児に事故が起こったときに、自治体や国が賠償責任を負わなくなるのも民営化の問題点であろう。自治体や国が責任主体であれば国家賠償を請求し、確定すれば確実に賠償が得られるのに対し、民営化後の事業主に対して賠償責任を追及しても、はたして現実に賠償が得られるであろうか。高額の賠償のために保育所の経営が危機となって他の園児にしわ寄せが来るとすれば本末転倒の事態である。

 民営化とともに進行しつつあるのが、公立保育所の「直接契約方式」である。現在のように入園希望の児童を自治体が一括して取りまとめ、各公立保育所に適正配置するのではなく、児童の父母と各保育所に直接、保育契約させるというのである。待機児童の解消につながるというが、予算が増えない以上解消につながらないのは当然であり、厚生労働省にとっては予算の少ない中で「仕事のための仕事」をひねり出しているに過ぎない。そして保育市場を狙う企業にとっては、保育所民間開放への地ならしとなるものである。もちろん保育事業を目指す企業は、高い保育料を支払えない父母は相手にしない。福祉事業の民営化は貧富の差が激しい格差社会を前提としなければ成り立たないのである。裕福な家庭は子を民営保育所に預け、父母共働きでますます豊かになり、貧困家庭は子を抱えた母がパートにも出られずますます貧困化するという構図ができあがる。また、直接契約方式は、各保育所による契約園児の不当な選別をもたらしたり、父母と保育所の不当な密約(どうしても保育所に預けたい親が基準以上の保育料を園長に支払うなど)を生む温床ともなろう。

 児童福祉法はその2条で「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」と定め、24条で「市町村は……保護者から申込みがあつたときは、それらの児童を保育所において保育しなければならない」と定める。保育園の民営化(そして直接契約方式)はこの児童福祉法の理念に反する行為であり、福祉行政の放棄である。いわば児童福祉法の定めに対する脱法行為であり、民営化や直接契約方式を進めるのであれば、まずこの児童福祉法の理念を放棄すべく、法改正に訴えて国民の判断を仰がなければならないはずである。もちろん、このような福祉行政の放棄を国民が許すはずはない。

 保育政策の充実は、子の成長につながる将来への投資のひとつである。また母親の社会進出を容易にすることにより、家計を豊かにし、ひいては国全体の生産力も向上する。母親が収入を得ることによって税収も上がる。保育行政に予算を使うことは決して無駄ではないのである。

 保育所の民営化を含め、前述のとおり今でも民営化がすべて正しいと妄信している人々が多いということに驚きあきれる。もちろん公務員が「仕事のための仕事」で手を広げすぎている部分は民営化しても差し支えないであろうが、単独で利潤が得られない事業は民営化すべきではない。そのために政府や自治体があり、国民や住民は選挙を通じて、その運営を政府や自治体に委ねているのである。よく政府や自治体の行為を指して「民間だったら○○」などというワンフレーズをよく耳にする。「民間だったら許されない」など。当たり前である。利潤を得られないからこそ政府や自治体が責任をもつべき事柄があるのである。いわば、公務員(特別公務員を含む)は民間企業の精神をもってはならないのである。さらにいえば、民間企業イコール効率的ではない。無駄遣いをし、無駄な投資をし、短期的利益のために長い目で見れば損をしている企業はそこらじゅうにある。さしあたり、来るべき衆議院選挙では、民営化万歳を叫ぶ「民営化バカ」議員と、福祉市場を狙う企業から献金を受けている議員を落選させなければならないだろう。

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