地デジチューナーバラマキの愚
報道されてしばらく経つが、自民党と公明党は、地上デジタル放送への完全移行に向け、生活保護世帯等に対し地デジチューナーを無償配布する方針を固めたという。そのための費用は数百億円に達するという。しかもこれは試算であるため、実際の費用はさらに膨れあがる可能性は高い。……愚策の一言に尽きる。
まず、アナログ放送を中止しなければ、税金を使ったこれだけの費用は生じないのであるから、総務省が指揮をとってアナログ放送中止を延期すべきである。デジタル放送とアナログ放送の双方を続けることのコストがかさむのかもしれないが、それはデジタル放送を推進してきた放送業者の自己責任の問題である。とりわけ不況期に突入している中、地デジ対応テレビへの買い替えも鈍っているであろうから、このままアナログ放送を終了するというのはあまりにも視聴者サービスに欠ける。
放送電波に関しては国家の責任と民間企業の責任を分けて考えなければならないが、まず国家(行政)は国民の「表現の自由」「知る権利」を妨げてはならないから(憲法21条)、そして他方で国民に最低限度の文化的生活を確保する義務を負うから(憲法25条)、国民に広く行き渡っているアナログ放送を中止すべきではないと思う。次に放送業者は、国民の意思形成に強い影響力をもつテレビ放送の免許という特権を与えられている立場を自覚して、国民がテレビ放送を視聴する機会を一方的に奪ったり、新たな出費を強いるべきではない。これは放送法(1条各号)の理念にも沿う。
それに、そもそも最近はテレビ離れが進んでいると聞く。低予算の低俗・貧弱なテレビ放送を一方的に見せられるより、インターネットで自分のほしい情報に個人的にアクセスするほうが娯楽度が高いと感じる人も多くなっているのである。また、いくらデジタルテレビ放送が「双方向」といっても、インターネットの双方向性にはとてもかなうものではない。デジタル放送の高画質・高音質は魅力的だが、近いうちにインターネットもそれに追いつくであろう(あるいはそれほど完璧な高画質・高音質は一般人は求めていないというのもまた事実である)。デジタル放送への移行によって関係業界が潤うというストーリーは幻となりつつある。アナログ放送の廃止によってテレビ離れはいっそう拡大し、テレビは売れない、放送業者の広告料収入も減るという惨憺たる状況になる恐れもあるのである。
しかし、以上のことはすでに色々な人々から指摘されていることであって、私がわざわざあらためて指摘するほどのことでもない。私が批判したいのは、たかがテレビ視聴ごときに何百億円も費やすその無神経さである。その金があれば他の福祉施策に回せといいたいだけではない。生活保護世帯のような困窮世帯でも、テレビさえ見せておけば政治に文句はいうまいと踏んでいるようなところが許しがたいのである。
デジタル放送のように、本来、科学技術が進歩して国民生活が豊かになることは好ましいことである。しかし、その豊かさは国民全体が享受できて初めて、健全でかつ経済効果があるのであって、一部の人々を置いてけぼりにすべきではない。国土交通省が進めているITS(高度道路交通システム)なども同じである。少なくとも国家が関わって(推進して)いるプロジェクトである以上、憲法の精神からも、一定程度の人々(経済弱者)が取り残されることを前提とする施策は行うべきではない。デジタル放送対応テレビを買えない人も、安全性の高い自動車に買い替えられない人々も多数いるのである。生活保護基準切り下げや労働法制規制緩和など、一方で貧富の差を強める施策をし、他方で国民全体を巻き込む施策をとるのは誤っている。この点からも私は、新しい社会基盤整備など、国民生活を豊かに便利にするためには、まず国民の生活レベルがそこそこ平等であることが大前提だと思うのである。そのような社会であれば、地デジチューナーをばらまくというような愚策も不要である。
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まず、アナログ放送を中止しなければ、税金を使ったこれだけの費用は生じないのであるから、総務省が指揮をとってアナログ放送中止を延期すべきである。デジタル放送とアナログ放送の双方を続けることのコストがかさむのかもしれないが、それはデジタル放送を推進してきた放送業者の自己責任の問題である。とりわけ不況期に突入している中、地デジ対応テレビへの買い替えも鈍っているであろうから、このままアナログ放送を終了するというのはあまりにも視聴者サービスに欠ける。
放送電波に関しては国家の責任と民間企業の責任を分けて考えなければならないが、まず国家(行政)は国民の「表現の自由」「知る権利」を妨げてはならないから(憲法21条)、そして他方で国民に最低限度の文化的生活を確保する義務を負うから(憲法25条)、国民に広く行き渡っているアナログ放送を中止すべきではないと思う。次に放送業者は、国民の意思形成に強い影響力をもつテレビ放送の免許という特権を与えられている立場を自覚して、国民がテレビ放送を視聴する機会を一方的に奪ったり、新たな出費を強いるべきではない。これは放送法(1条各号)の理念にも沿う。
それに、そもそも最近はテレビ離れが進んでいると聞く。低予算の低俗・貧弱なテレビ放送を一方的に見せられるより、インターネットで自分のほしい情報に個人的にアクセスするほうが娯楽度が高いと感じる人も多くなっているのである。また、いくらデジタルテレビ放送が「双方向」といっても、インターネットの双方向性にはとてもかなうものではない。デジタル放送の高画質・高音質は魅力的だが、近いうちにインターネットもそれに追いつくであろう(あるいはそれほど完璧な高画質・高音質は一般人は求めていないというのもまた事実である)。デジタル放送への移行によって関係業界が潤うというストーリーは幻となりつつある。アナログ放送の廃止によってテレビ離れはいっそう拡大し、テレビは売れない、放送業者の広告料収入も減るという惨憺たる状況になる恐れもあるのである。
しかし、以上のことはすでに色々な人々から指摘されていることであって、私がわざわざあらためて指摘するほどのことでもない。私が批判したいのは、たかがテレビ視聴ごときに何百億円も費やすその無神経さである。その金があれば他の福祉施策に回せといいたいだけではない。生活保護世帯のような困窮世帯でも、テレビさえ見せておけば政治に文句はいうまいと踏んでいるようなところが許しがたいのである。
デジタル放送のように、本来、科学技術が進歩して国民生活が豊かになることは好ましいことである。しかし、その豊かさは国民全体が享受できて初めて、健全でかつ経済効果があるのであって、一部の人々を置いてけぼりにすべきではない。国土交通省が進めているITS(高度道路交通システム)なども同じである。少なくとも国家が関わって(推進して)いるプロジェクトである以上、憲法の精神からも、一定程度の人々(経済弱者)が取り残されることを前提とする施策は行うべきではない。デジタル放送対応テレビを買えない人も、安全性の高い自動車に買い替えられない人々も多数いるのである。生活保護基準切り下げや労働法制規制緩和など、一方で貧富の差を強める施策をし、他方で国民全体を巻き込む施策をとるのは誤っている。この点からも私は、新しい社会基盤整備など、国民生活を豊かに便利にするためには、まず国民の生活レベルがそこそこ平等であることが大前提だと思うのである。そのような社会であれば、地デジチューナーをばらまくというような愚策も不要である。
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