資本主義の終焉?
アメリカに端を発する金融危機(といわれるもの)が世界に広がり、一気に物が売れなくなり、失業者が続出して、資本主義がとうとう終焉を迎えるのではないかという感覚を覚えることもある。これは単なる資本主義特有の好況不況の波ではなく、資本主義自体の歴史的な行き詰まり現象なのではないかと…。
これは他愛もない個人的体験だが、私が資本主義経済について疑問をもったのは、小学生のとき社会科の資料集で、せっかく実ったキャベツをトラクターで踏み潰している写真を見たときであった。その写真の解説には、「豊作すぎて値が付かないので潰している」というような解説が付されていたと思う。正確にいえば「資本主義」について疑問をもったのではなく、ただなんとなく「世の中の経済の回り方」について疑問をもったのだろうと思う。世界には飢えている人もいるのに、世の中には貧乏で食糧を買えない人もいるのに、どうしてせっかく実ったキャベツを潰さなくてはならないのか?と納得ならない気持ちであった。それをきっかけに、私は資本主義や市場経済を疑い、やがて社会主義や共産主義の思想に興味をもつようになった。「生産手段の社会化」という言葉が魅力的に思えた。
もちろん今でも、日本共産党の「自由と民主主義の宣言」に書かれてあるような社会主義・共産主義社会の姿は魅力的である。資本主義にはいつか限界が来るであろう。数百年後、資本主義を乗り越えたすばらしい(とされる)世界で、人々は「かつて資本主義という弱肉強食の野蛮な社会があった」と語ることになるのであろう。それはまるで、現代の人々がかつての封建主義社会を語るときのように。
しかし私は、今、この現実社会で日本の社会主義国化や共産主義国化を語るのは無意味だと思っている。現実離れした夢想を語っても誰も賛同しない。あるべき社会を語るときは、せいぜい自分の生きている間プラス子や孫が暮らす時代のことを念頭に置くのが誠実というものであろう。もちろん、資本主義を絶対のものと思い込んでは
視野が狭すぎる。社会主義や共産主義の思想は、資本主義を客観的にみることができる点で重要である。ただ、現実的に当面は、資本主義経済が続くものと思われ、それは人々も合意していることであろうから、そうならば資本主義の構造の中でよりよい暮らしを目指そう(やりくりしていこう)というのが私の考えである(日本共産党もさしあたり、「ルールある資本主義を」といっている)。私がブログのサブタイトルに「日本を社会民主主義国家に!福祉国家に!」と掲げているのもそのためである。
そもそも現代において、古典的な資本主義社会など存在しない。同様に、古典的な社会主義社会も存在しない。いずれも互いの制度の利点を取り入れているのであり、その意味では資本主義と社会主義の区別はあいまいで、連続性がある。二者択一というものではなく、どのあたりに重点を置くかという民意の問題である。日本国憲法も財産権や自由権の規定と同時に、生存権や社会権の規定を置いており、資本主義と社会主義(共産主義)のグレーゾーンを許容していると理解できる。したがって、まず民意をできるだけ正確に政治に反映させることが重要である。この観点から、私はこれまでも企業献金について、少数者がその財力で多数者の民意をゆがめることになるため、強く反対している。政治的表現の自由を制限する法律や政策も認められない。つまり民主的プロセスをゆがめるものはことごとく徹底して排除しなければならないと思っている。そうして初めて、より正確な民意が政治に反映され、ルールある資本主義が実現し、社会主義的施策をどの程度取り入れるべきかが定まるのであろうと思う。
資本主義社会における金の流れについて、人間の力ではどうにも制御できない、魔物のように語る人がいる。しかし本当はそうではない。正確な民意によって資本主義をコントロールし、たとえ不況期が訪れてもそれほど痛手を負わない工夫ができるのである。
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