憲法改正について
安倍元首相が政権を放棄してから、憲法改正論議はめっきり見聞きする機会が減った。国民投票法も無理やり作ってあんなに盛り上がっていたのに? 憲法改正がなくても国民生活がそこそこ「普通に」回っていることから考えて、憲法改正などまったく喫緊の課題でもなんでもないということが明らかになったともいえる。しかし今でも憲法改正を政治的使命とする自民党が政権を握っている以上、常に注視しなければならない課題であることはたしかである。改憲派の主張にそうやすやすと乗せられてはいけない。改めて憲法改正について考えてみることにする。
世論調査では改憲賛成派もそれなりの割合を占めているようだが、世論調査に答えた人は、はたして日本国憲法を真面目に読んだことがあるのだろうか? おそらくきちんと読んだことがない人が多いのではなかろうか。とりあえず、今の憲法をよく読み、どこをどう直したいのか、自分の意見を持つべきだと思う。直したいところが見つかって初めて「改憲賛成」となるのである。第一、「憲法改正に賛成ですか」という世論調査の抽象的な質問がよくない。また、仮に将来、憲法改正の国民投票を行なう際は、投票の際の判断材料として、現憲法のパンフを国民一人一人に配布すべきだと思う。国会では一般に法改正を行なうとき、国会議員に法案と新旧条文の対照表などを配るのであるから、それと同様に、投票権を持つ国民にちゃんとした資料を手渡すべきであろう。
今の憲法はアメリカに押し付けられたものだからダメだ、という意見がある。改憲派の政治家の常套文句であるが、これは2つの意味で間違っている。まず、「押し付けられた」と思っているのは政府(国家権力側)のほうであり、国民にとっては、決して押し付けではないということである。国民の人権を侵害しないよう、国民側が国家権力に対し、憲法を「押し付ける」のは、近代国家として当然のことであり、むしろ憲法は国家権力にとって「押し付け」であるのが健全な姿なのである。また、今の憲法は明治憲法とは正反対で、1基本的人権の尊重、2国民主権、3戦争放棄を宣言した画期的なものであり、現憲法制定時、国民はこの憲法を歓迎して受け入れた。また、その後も国民は人権意識の向上や平和主義の浸透とともに現憲法を承認してきたのである。この2つの意味で、「押し付け憲法」論の主張は誤っている。
今の憲法は権利ばかり掲げてあって義務規定が少ないから改正すべきだ、という意見もある。これまた常套文句であるが、これも2つの意味で間違っている。まず、先に述べたように、近代憲法は政府(国家権力)の権限の濫用から国民を守るためにあるのであって、まず権利規定が中心に掲げられるのが大原則だということである(人身の自由、表現の自由等)。この大原則は国家と国民の関係がある以上、今も今後も変わらず重要である。決して「権利の裏返し」に義務が必要なのではない。権利規定が圧倒的に多くて当然なのである。また、義務規定を入れたいと言うが、そもそもその前提として、今憲法に掲げてある権利規定の理念が、十分国民に行き渡り、実現されているのか非常に疑問である。現憲法には幸福追求権や生存権(社会権)規定があるが、現状は人権侵害も依然少なくなく、過労死も自殺もいじめもあり、生活保護水準以下の賃金で働く者も増えている。こんな事態を放置しながら、一方で「権利の裏返しに義務規定を入れよう」などと言う資格があるのか。義務規定を入れたいと言う者ほど、人権意識が希薄なのではないか。どうしても義務規定を増やしたいなら、まず人権規定の徹底から始めるべきだ。
改憲派の中には、本当は戦争放棄を掲げる9条を改めたいのに、目くらましとして、「環境権」「プライバシー権」等(いわゆる「新しい人権」)を憲法に入れようと主張する者がいる。「環境」「プライバシー」というと聞こえがいいので、これらの規定を盛り込んで、ついでにこっそり本命の9条を変えてしまおうという意図なのであろう。しかしこの主張もまた、間違っている。今の憲法だと、これらの「新しい人権」は保障されないのだろうか? そんなことはない。これらの人権は憲法13条の「幸福追求権」のひとつとして認められるのである(そのほか色々な「新しい人権」は25条や21条から導かれることもある)。このようなことはどんな憲法の教科書にも書いてある。国民はこれまで裁判等を通じ、環境権やプライバシー権等を、13条等を根拠にして政府に主張してきた。しかし行政府や立法府はそれらの権利をなかなか認めようとせず、法律に明文化することも嫌がってきたのである。そんな彼らが急に憲法に「新しい人権」を盛り込みたいと言い出すなど、荒唐無稽である。環境やプライバシーを本気で大事にしたいなら、立法や行政裁量で可能なのである。「新しい人権」を憲法に盛り込む必要はない。改憲賛成派のこのような欺瞞に乗せられてはならない、と思う。
改憲賛成派の中には、9条は改正しなくとも、首相公選制や裁判官の国民審査、参議院のあり方等について、「改憲の必要がある」と、いわば「知ったかぶり」をする者がいる。このような議論をすることは大事だとは思うが、とりあえず今は、先にも述べたように憲法の理念をひとまず徹底することが先決であって、このような改正議論はもっと後でもよいと思う。今は9条を改正して平和主義と戦争放棄の大転換を図ろうとする動きに注意しなければならず、9条のほかに「改正すべきところがある」という「改憲の機運」は9条改正の機運にもつながり、有害無益だと私は考える。
改憲したいと主張する人、とくに改憲派政治家の大半は、9条(戦争放棄)を改正したいと思っている。その目的は、アメリカの要求に応じ、現憲法の戦争放棄規定を緩和して、アメリカと一緒に軍事行動できるようにしたい、ということであろう。そのような目的がどんな惨事をもたらすか、今の泥沼化したイラクを見れば明らかである。小型核兵器使用もテロも可能な現代、軍事力のみによって平和が保てると考えるのは大間違いである。現代、軍事力の行使で平和になった例があるだろうか? 強い軍事力を持つ国家ほど、テロや戦争の犠牲者は少ないだろうか? 現実はむしろ、その逆である。軍事力は究極的には国民の命も財産も危険にさらすだけだ。日本は非軍事的な方法を含めて日本国土の防衛に専念すべきであって、決して武器を持って海外へ出てはならないと私は考える。陳腐化した言い回しかもしれないが、「9条を誇りとすべき」である。9条の理念を世界に広めることが、日本の果たすべき役割だと考える。アメリカと一緒に行動して世界の人々の恨みを買いたくないし、何より、自分の命も惜しいし、家族の命を失いたくない。アメリカは軍需産業が盛んで政治にも食い込んでいるので、あちこちで戦争を仕掛けるが、おそらくその財源に限りがあるので日本に軍事協力を求めるのであろう。日本はそのようなアメリカの圧力に対抗しなければならない。
そもそも、9条を改正して軍事力優先の考えを強めるとどうなるか。アメリカの実態を見れば明らかだが、日本はますます軍需産業を重視するようになるだろう。日本の企業が、その高い技術を軍事に転用して利益を上げたいという思惑があることについても注視しなければならない。また、そのような企業の政治献金を受けた政治家が政権を握っているということも注視しなければならない。軍事産業が盛んになるとどうなるか? それ(軍備)を消費しなければ産業として回らなくなる。経済が軍需に支えられるサイクルになり、軍備を消費しなければ倒産や失業という産業構造になるのである。そうなると日本が海外で武力を用いることが多くなり、あるいは武器を輸出して他国同士を戦わせることになるであろう。そんな危険で悪循環な軍事国家になってしまうことを、私はとても恐れている。
麻生首相は「集団的自衛権」を容認したい考えの人物である。これは具体的には、アメリカの自衛権行使に日本も参加できるかどうか、という話であり、これはとんでもない危険性をはらんでいる。戦争というものはたいてい、「自衛」を名目に行なわれる。どう見ても日本の侵略戦争であった先の戦争についても、当時日本は「国家の生命線」という口実を使っていたのである。アメリカという国は「自衛」と称して他国に攻め込むことも、また相手が武力行使に出ていないのに、「自衛」のために先制攻撃もしてしまう国である。このような名ばかりのアメリカの「自衛」に日本も随行しなければならないとなれば、日本の将来は悲惨である。
というようなわけで、思うところをとりとめなく書き連ねたが、日本国民全員が「憲法改正バンザイ」の声に踊らされて誤った選択をしないよう、私は切に祈るばかりである。とりあえず、憲法を読んでみるべし。思わぬ発見と感動があることだろう。
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世論調査では改憲賛成派もそれなりの割合を占めているようだが、世論調査に答えた人は、はたして日本国憲法を真面目に読んだことがあるのだろうか? おそらくきちんと読んだことがない人が多いのではなかろうか。とりあえず、今の憲法をよく読み、どこをどう直したいのか、自分の意見を持つべきだと思う。直したいところが見つかって初めて「改憲賛成」となるのである。第一、「憲法改正に賛成ですか」という世論調査の抽象的な質問がよくない。また、仮に将来、憲法改正の国民投票を行なう際は、投票の際の判断材料として、現憲法のパンフを国民一人一人に配布すべきだと思う。国会では一般に法改正を行なうとき、国会議員に法案と新旧条文の対照表などを配るのであるから、それと同様に、投票権を持つ国民にちゃんとした資料を手渡すべきであろう。
今の憲法はアメリカに押し付けられたものだからダメだ、という意見がある。改憲派の政治家の常套文句であるが、これは2つの意味で間違っている。まず、「押し付けられた」と思っているのは政府(国家権力側)のほうであり、国民にとっては、決して押し付けではないということである。国民の人権を侵害しないよう、国民側が国家権力に対し、憲法を「押し付ける」のは、近代国家として当然のことであり、むしろ憲法は国家権力にとって「押し付け」であるのが健全な姿なのである。また、今の憲法は明治憲法とは正反対で、1基本的人権の尊重、2国民主権、3戦争放棄を宣言した画期的なものであり、現憲法制定時、国民はこの憲法を歓迎して受け入れた。また、その後も国民は人権意識の向上や平和主義の浸透とともに現憲法を承認してきたのである。この2つの意味で、「押し付け憲法」論の主張は誤っている。
今の憲法は権利ばかり掲げてあって義務規定が少ないから改正すべきだ、という意見もある。これまた常套文句であるが、これも2つの意味で間違っている。まず、先に述べたように、近代憲法は政府(国家権力)の権限の濫用から国民を守るためにあるのであって、まず権利規定が中心に掲げられるのが大原則だということである(人身の自由、表現の自由等)。この大原則は国家と国民の関係がある以上、今も今後も変わらず重要である。決して「権利の裏返し」に義務が必要なのではない。権利規定が圧倒的に多くて当然なのである。また、義務規定を入れたいと言うが、そもそもその前提として、今憲法に掲げてある権利規定の理念が、十分国民に行き渡り、実現されているのか非常に疑問である。現憲法には幸福追求権や生存権(社会権)規定があるが、現状は人権侵害も依然少なくなく、過労死も自殺もいじめもあり、生活保護水準以下の賃金で働く者も増えている。こんな事態を放置しながら、一方で「権利の裏返しに義務規定を入れよう」などと言う資格があるのか。義務規定を入れたいと言う者ほど、人権意識が希薄なのではないか。どうしても義務規定を増やしたいなら、まず人権規定の徹底から始めるべきだ。
改憲派の中には、本当は戦争放棄を掲げる9条を改めたいのに、目くらましとして、「環境権」「プライバシー権」等(いわゆる「新しい人権」)を憲法に入れようと主張する者がいる。「環境」「プライバシー」というと聞こえがいいので、これらの規定を盛り込んで、ついでにこっそり本命の9条を変えてしまおうという意図なのであろう。しかしこの主張もまた、間違っている。今の憲法だと、これらの「新しい人権」は保障されないのだろうか? そんなことはない。これらの人権は憲法13条の「幸福追求権」のひとつとして認められるのである(そのほか色々な「新しい人権」は25条や21条から導かれることもある)。このようなことはどんな憲法の教科書にも書いてある。国民はこれまで裁判等を通じ、環境権やプライバシー権等を、13条等を根拠にして政府に主張してきた。しかし行政府や立法府はそれらの権利をなかなか認めようとせず、法律に明文化することも嫌がってきたのである。そんな彼らが急に憲法に「新しい人権」を盛り込みたいと言い出すなど、荒唐無稽である。環境やプライバシーを本気で大事にしたいなら、立法や行政裁量で可能なのである。「新しい人権」を憲法に盛り込む必要はない。改憲賛成派のこのような欺瞞に乗せられてはならない、と思う。
改憲賛成派の中には、9条は改正しなくとも、首相公選制や裁判官の国民審査、参議院のあり方等について、「改憲の必要がある」と、いわば「知ったかぶり」をする者がいる。このような議論をすることは大事だとは思うが、とりあえず今は、先にも述べたように憲法の理念をひとまず徹底することが先決であって、このような改正議論はもっと後でもよいと思う。今は9条を改正して平和主義と戦争放棄の大転換を図ろうとする動きに注意しなければならず、9条のほかに「改正すべきところがある」という「改憲の機運」は9条改正の機運にもつながり、有害無益だと私は考える。
改憲したいと主張する人、とくに改憲派政治家の大半は、9条(戦争放棄)を改正したいと思っている。その目的は、アメリカの要求に応じ、現憲法の戦争放棄規定を緩和して、アメリカと一緒に軍事行動できるようにしたい、ということであろう。そのような目的がどんな惨事をもたらすか、今の泥沼化したイラクを見れば明らかである。小型核兵器使用もテロも可能な現代、軍事力のみによって平和が保てると考えるのは大間違いである。現代、軍事力の行使で平和になった例があるだろうか? 強い軍事力を持つ国家ほど、テロや戦争の犠牲者は少ないだろうか? 現実はむしろ、その逆である。軍事力は究極的には国民の命も財産も危険にさらすだけだ。日本は非軍事的な方法を含めて日本国土の防衛に専念すべきであって、決して武器を持って海外へ出てはならないと私は考える。陳腐化した言い回しかもしれないが、「9条を誇りとすべき」である。9条の理念を世界に広めることが、日本の果たすべき役割だと考える。アメリカと一緒に行動して世界の人々の恨みを買いたくないし、何より、自分の命も惜しいし、家族の命を失いたくない。アメリカは軍需産業が盛んで政治にも食い込んでいるので、あちこちで戦争を仕掛けるが、おそらくその財源に限りがあるので日本に軍事協力を求めるのであろう。日本はそのようなアメリカの圧力に対抗しなければならない。
そもそも、9条を改正して軍事力優先の考えを強めるとどうなるか。アメリカの実態を見れば明らかだが、日本はますます軍需産業を重視するようになるだろう。日本の企業が、その高い技術を軍事に転用して利益を上げたいという思惑があることについても注視しなければならない。また、そのような企業の政治献金を受けた政治家が政権を握っているということも注視しなければならない。軍事産業が盛んになるとどうなるか? それ(軍備)を消費しなければ産業として回らなくなる。経済が軍需に支えられるサイクルになり、軍備を消費しなければ倒産や失業という産業構造になるのである。そうなると日本が海外で武力を用いることが多くなり、あるいは武器を輸出して他国同士を戦わせることになるであろう。そんな危険で悪循環な軍事国家になってしまうことを、私はとても恐れている。
麻生首相は「集団的自衛権」を容認したい考えの人物である。これは具体的には、アメリカの自衛権行使に日本も参加できるかどうか、という話であり、これはとんでもない危険性をはらんでいる。戦争というものはたいてい、「自衛」を名目に行なわれる。どう見ても日本の侵略戦争であった先の戦争についても、当時日本は「国家の生命線」という口実を使っていたのである。アメリカという国は「自衛」と称して他国に攻め込むことも、また相手が武力行使に出ていないのに、「自衛」のために先制攻撃もしてしまう国である。このような名ばかりのアメリカの「自衛」に日本も随行しなければならないとなれば、日本の将来は悲惨である。
というようなわけで、思うところをとりとめなく書き連ねたが、日本国民全員が「憲法改正バンザイ」の声に踊らされて誤った選択をしないよう、私は切に祈るばかりである。とりあえず、憲法を読んでみるべし。思わぬ発見と感動があることだろう。
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