「右翼」について考える
今年の夏も閣僚の靖国神社参拝をめぐって「右翼」と呼ばれる人々が街角でもインターネットでも目立っているようなので、「右翼」について考えてみたいと思う。右翼とは、右翼の定義は…どこかに正式なものがあるのかもしれないが、日本において右翼とは、軍国主義思想に近く(先の侵略戦争を肯定)、反共産主義であり、民族主義でとりわけ中国人や朝鮮人を蔑視し、天皇を頂点としたタテ社会の秩序を重んじる、そういう思想の持ち主のことをいうのであろうか。私はそもそも「右翼」「左翼」というレッテル貼りは好まない。現にある様々な社会問題は、個々の論点でどのように判断するかということが大事であり、右翼だからこう、左翼だからこう、と二者択一的には解決しないと思っているからである。しかし今回はあえて「右翼」と呼ばせてもらう。「右翼」と呼ばれる人の考え方にはある程度共通するものがあり、それを一括りにして語ることもできよう。
インターネットが普及していなかったころは、「右翼」に接する機会はそう多くなかった。政治家や政治評論家の中に右翼的な人物がいて、テレビなどで発言していたり、街角で街宣車を見たり、あるいは参議院の全国区(比例区)で極右の泡沫政党を見かけるぐらいであった。しかしインターネットが普及して少し様相が変わった。プライベートのサイトやブログ、2ちゃんねるを少し見ただけでも、「右翼」的な主張をしている者が多い。ネット社会ではおそらく左翼的言説より右翼的言説のほうが多数派であろう。私はこれまで受けてきた教育や見聞きしてきたことから、先の日中戦争あたりから太平洋戦争までの日本の軍国主義的政策は、完全に誤りだったというのが大多数の日本人の意見だと思っていた。ところがネット上の右翼(以下ネット右翼と呼ぶ)の軍国主義正当化を目の当たりにして衝撃を受けた。そして日本人の行く末に危機感を覚えた。子どもでも簡単にアクセスできるインターネットの影響力は大きいからである。
従来型の「右翼」の正体が、実は暴力団の一部であったり、民族的マイノリティであったりすることはよく指摘されていることである。しかしこのような「ネット以外」の右翼は、おそらくこれからもマイノリティであり、社会にそれほど大きな影響を与えないだろうと思う。問題はインターネットの普及によって顕在化した右翼的志向の一定の集団である。実は彼らもまた組織的に、ネット上に右翼的言説を広げているだけかもしれない。国民の中の実数は少ないとしても、組織的行動によって多数派に見せかけているだけかもしれない。そうであることを望んではいるが、しかしあまりにもネット上に右翼的言説が蔓延しているとなると、これから日本の政治や社会について考え始めようとする若い世代にとって有害であろう。
右翼の定義を先に述べたように考えるならば、右翼的思想は決して人類に幸福をもたらさない。右翼が正当化しようとする戦前の日本の軍国主義が、結果として日本・アジアで1000万人を超える死者を出したことから、誤っていたことは明白だ。いかに大東亜共栄圏という新秩序の思想が見かけ上「美しい」ものであったとしても、それで大量殺戮を正当化することは絶対にできない。現代においても、右翼はより軍備増強を求めているが(核兵器保有も訴えるが)、軍備拡大競争が国民を危険にさらし、財政を圧迫して国民を苦しめることは目に見えている。また、右翼は反社会主義・反共産主義であるが、資本主義の矛盾を指摘し、生産物(富)を平等に分配しようという思想を否定することは、弱肉強食、貧富の差の激しい格差社会を肯定することになる。さらに中国人や朝鮮人を蔑視することは、そもそも人はみな尊厳をもっているという考えに反することになるし、蔑視する本人が、他民族から蔑視されてもやむを得ないということにつながる。そして民族的排他主義は、紛争の要因となってこれまた犠牲者をもたらすことになる。
というわけで右翼的言説はほぼ全て、「人の命を大事にするか」「人の幸福を大事にするか」という視点から見て、誤っている。ただ、かといって私はいわゆる「極左」の思想も支持しない。彼らもまた右翼と同様、特定の価値観に基づいた秩序を重んじ、異論を許さない(=表現の自由を認めない)からである。これまた政治に対する民主的コントロールが及ばず暴走の危険性があり、「人の命」を軽んずることにつながるであろう。
戦前の日本を見ても明らかだが、右翼的思考の政策への反映が、特定の集団や人物の利権の拡大につながることはよくあることである。過去において日本の朝鮮・中国侵略は財閥に大きな利益をもたらしたし、国内でも企業が朝鮮人らを強制労働させることで利益を上げた。したがって、右翼的思想は個人の思想としてもつなら他人に害を与えないが、特定の集団や人物の利権のために「利用」される恐れがあることも指摘しておきたい。
ネット上の右翼的言説が仮に組織的な運動によるところが大きいとしても、それまで特に政治的思想のなかった者が、マスコミやネットに触れていくうちに、右翼的思考に傾いて行くことがあることも事実であろう。ではどうして、右翼的思考は特定の人々の心をとらえる(=魅力的に映る)のであろうか。これまで私は色々考えてみたが、なかなか答えが出ない。すでにそのようなことについて触れた書物もあるかもしれないが、不勉強で私は出会ったことがない。「ネット右翼」の正体について「劣等感をもった引きこもり」とする意見もあるが、蔑視的表現をしてもこれまた右翼と同じ土俵であろう。私なりの現在の考えを述べてみたいと思う。
結論から言えば、「自分自身の利益と、その属する集団の利益の区別(違い)をはっきり意識しない(できない)人が、右翼的思考に陥る」のではないだろうか(…蔑視的表現はしないつもりだがこれもまた蔑視的であろうか?)。例えば、中国の政治家が日本の政策を非難したとすると、非難されたのは日本の政策であるのに、日本に属する自分自身が非難されたように誤解してしまうのが右翼的性質である。あるいは北朝鮮政府幹部が外国人を拉致したり核兵器開発をしていることを見聞きして、北朝鮮の庶民は何らそれらに関わっていないのに、北朝鮮国民全員を「悪者」と決め付けてしまう。しかし本当は、個人の利害と、その帰属する集団の利害は一致しないということを認識する必要がある。そうでないと、集団の利益によって個人の利益を得ようとする人々に「利用」されてしまう恐れがある。または罪のない人に犠牲を強いることになってしまう。
スポーツの世界で、今まさに北京オリンピックが開かれているが、競泳の北島選手と何ら個人的つながりはなく、彼が金メダルを取ったからといって自分の名誉にも何にもならなくても、帰属する国家が同じ日本だから(あるいは同じ地域の出身だから)という理由で応援するのは差し支えない。個人の趣味の範囲内である。しかし政治は趣味やスポーツとは異なる。民主主義国家である以上、自分の安易な投票行動が自分以外の日本人、あるいは他国の人の生命財産に危害を与える可能性があることを意識すべきだ。繰り返すが、集団の利益と個人の利益は異なる。日本国が軍事力を強めて強い国家になったからといって、個人も強くなってその生命財産が守られるわけではない。同じく企業が収益を上げたからといって、労働者個人の生活が直接よくなるわけではない(その証拠に戦後最長の好景気だったにもかかわらず、労働者が恩恵を受けることのないまま景気は悪化局面に入ったではないか!)。アメリカのイラク戦争が誤っているからといって、アメリカ国民に敵意を持つのは筋違い。中国が軍事的脅威だからといって、中国国民が日本国民の脅威というわけではない…というように、個人とその帰属集団の違いを明確に意識しなければ、あらゆる問題の本質を見誤って結局「個人」に不幸をもたらすことになってしまう。右翼的思考は、集団の利益と個人の利益の認識が未分化であることの産物といってよいだろう。
集団の一部の人々は、集団が利益を上げることによって本人の利益も上げられるから、集団の利益と個人の利益の違いが分からず盲目的に集団の利益のために頑張ってくれる人を歓迎するし、そのように教育しようとする。戦前の軍国主義教育がよい例だろう。したがって、国家や企業で利権を持つ人々が右翼的言説を支持するのは当然であるが、そうでない一般の人々が右翼的性質を持つのは、かえって自分の首を絞めることになり、不利益である。「ネット右翼」の多くは通常の労働者であろう。スポーツを見るのと同様に、日本の政治家が他国(とくに中国や朝鮮)に挑戦的発言をするのを見てスカッと爽快に感じるかもしれないが、それが原因で将来的に生じる軍事的・経済的摩擦によって実害を被るのは、当の政治家ではなく日本の庶民であることを意識すべきだ。
右翼的言説で経済的に得をする人々は別として、一般庶民の右翼的思考の持ち主は、純粋な人々が多い(その純真さが人を傷つけるのだが)。マスコミのイラク脅威論・北朝鮮脅威論の垂れ流しを見て純粋にイラクワルモノ、北朝鮮ワルモノ、と信じていることが多い。国家としての政治は悪くてもその国民に罪はないのに、全体を悪ととらえるのはまさに子ども時代のウルトラマンやアンパンマンの世界である。他方でその純粋さから、外国人には冷たくとも自分の身の回りにいる人には優しいのも右翼の特徴のように思う。したがって右翼的性質をもつ人が実際に中国人や朝鮮人と接すると、「悪い人じゃなかった」とそれまでの差別観をコロッと変えてしまうことがあるのも事実である。まだ若い「ネット右翼」がいたとすれば、「自分の考えが結局自分や身近な人を悲しませることにならないか」よく考えてほしいと思う。
本記事に興味をもって下さった方に、クリック1回お願いします(ブログ人気投票)

インターネットが普及していなかったころは、「右翼」に接する機会はそう多くなかった。政治家や政治評論家の中に右翼的な人物がいて、テレビなどで発言していたり、街角で街宣車を見たり、あるいは参議院の全国区(比例区)で極右の泡沫政党を見かけるぐらいであった。しかしインターネットが普及して少し様相が変わった。プライベートのサイトやブログ、2ちゃんねるを少し見ただけでも、「右翼」的な主張をしている者が多い。ネット社会ではおそらく左翼的言説より右翼的言説のほうが多数派であろう。私はこれまで受けてきた教育や見聞きしてきたことから、先の日中戦争あたりから太平洋戦争までの日本の軍国主義的政策は、完全に誤りだったというのが大多数の日本人の意見だと思っていた。ところがネット上の右翼(以下ネット右翼と呼ぶ)の軍国主義正当化を目の当たりにして衝撃を受けた。そして日本人の行く末に危機感を覚えた。子どもでも簡単にアクセスできるインターネットの影響力は大きいからである。
従来型の「右翼」の正体が、実は暴力団の一部であったり、民族的マイノリティであったりすることはよく指摘されていることである。しかしこのような「ネット以外」の右翼は、おそらくこれからもマイノリティであり、社会にそれほど大きな影響を与えないだろうと思う。問題はインターネットの普及によって顕在化した右翼的志向の一定の集団である。実は彼らもまた組織的に、ネット上に右翼的言説を広げているだけかもしれない。国民の中の実数は少ないとしても、組織的行動によって多数派に見せかけているだけかもしれない。そうであることを望んではいるが、しかしあまりにもネット上に右翼的言説が蔓延しているとなると、これから日本の政治や社会について考え始めようとする若い世代にとって有害であろう。
右翼の定義を先に述べたように考えるならば、右翼的思想は決して人類に幸福をもたらさない。右翼が正当化しようとする戦前の日本の軍国主義が、結果として日本・アジアで1000万人を超える死者を出したことから、誤っていたことは明白だ。いかに大東亜共栄圏という新秩序の思想が見かけ上「美しい」ものであったとしても、それで大量殺戮を正当化することは絶対にできない。現代においても、右翼はより軍備増強を求めているが(核兵器保有も訴えるが)、軍備拡大競争が国民を危険にさらし、財政を圧迫して国民を苦しめることは目に見えている。また、右翼は反社会主義・反共産主義であるが、資本主義の矛盾を指摘し、生産物(富)を平等に分配しようという思想を否定することは、弱肉強食、貧富の差の激しい格差社会を肯定することになる。さらに中国人や朝鮮人を蔑視することは、そもそも人はみな尊厳をもっているという考えに反することになるし、蔑視する本人が、他民族から蔑視されてもやむを得ないということにつながる。そして民族的排他主義は、紛争の要因となってこれまた犠牲者をもたらすことになる。
というわけで右翼的言説はほぼ全て、「人の命を大事にするか」「人の幸福を大事にするか」という視点から見て、誤っている。ただ、かといって私はいわゆる「極左」の思想も支持しない。彼らもまた右翼と同様、特定の価値観に基づいた秩序を重んじ、異論を許さない(=表現の自由を認めない)からである。これまた政治に対する民主的コントロールが及ばず暴走の危険性があり、「人の命」を軽んずることにつながるであろう。
戦前の日本を見ても明らかだが、右翼的思考の政策への反映が、特定の集団や人物の利権の拡大につながることはよくあることである。過去において日本の朝鮮・中国侵略は財閥に大きな利益をもたらしたし、国内でも企業が朝鮮人らを強制労働させることで利益を上げた。したがって、右翼的思想は個人の思想としてもつなら他人に害を与えないが、特定の集団や人物の利権のために「利用」される恐れがあることも指摘しておきたい。
ネット上の右翼的言説が仮に組織的な運動によるところが大きいとしても、それまで特に政治的思想のなかった者が、マスコミやネットに触れていくうちに、右翼的思考に傾いて行くことがあることも事実であろう。ではどうして、右翼的思考は特定の人々の心をとらえる(=魅力的に映る)のであろうか。これまで私は色々考えてみたが、なかなか答えが出ない。すでにそのようなことについて触れた書物もあるかもしれないが、不勉強で私は出会ったことがない。「ネット右翼」の正体について「劣等感をもった引きこもり」とする意見もあるが、蔑視的表現をしてもこれまた右翼と同じ土俵であろう。私なりの現在の考えを述べてみたいと思う。
結論から言えば、「自分自身の利益と、その属する集団の利益の区別(違い)をはっきり意識しない(できない)人が、右翼的思考に陥る」のではないだろうか(…蔑視的表現はしないつもりだがこれもまた蔑視的であろうか?)。例えば、中国の政治家が日本の政策を非難したとすると、非難されたのは日本の政策であるのに、日本に属する自分自身が非難されたように誤解してしまうのが右翼的性質である。あるいは北朝鮮政府幹部が外国人を拉致したり核兵器開発をしていることを見聞きして、北朝鮮の庶民は何らそれらに関わっていないのに、北朝鮮国民全員を「悪者」と決め付けてしまう。しかし本当は、個人の利害と、その帰属する集団の利害は一致しないということを認識する必要がある。そうでないと、集団の利益によって個人の利益を得ようとする人々に「利用」されてしまう恐れがある。または罪のない人に犠牲を強いることになってしまう。
スポーツの世界で、今まさに北京オリンピックが開かれているが、競泳の北島選手と何ら個人的つながりはなく、彼が金メダルを取ったからといって自分の名誉にも何にもならなくても、帰属する国家が同じ日本だから(あるいは同じ地域の出身だから)という理由で応援するのは差し支えない。個人の趣味の範囲内である。しかし政治は趣味やスポーツとは異なる。民主主義国家である以上、自分の安易な投票行動が自分以外の日本人、あるいは他国の人の生命財産に危害を与える可能性があることを意識すべきだ。繰り返すが、集団の利益と個人の利益は異なる。日本国が軍事力を強めて強い国家になったからといって、個人も強くなってその生命財産が守られるわけではない。同じく企業が収益を上げたからといって、労働者個人の生活が直接よくなるわけではない(その証拠に戦後最長の好景気だったにもかかわらず、労働者が恩恵を受けることのないまま景気は悪化局面に入ったではないか!)。アメリカのイラク戦争が誤っているからといって、アメリカ国民に敵意を持つのは筋違い。中国が軍事的脅威だからといって、中国国民が日本国民の脅威というわけではない…というように、個人とその帰属集団の違いを明確に意識しなければ、あらゆる問題の本質を見誤って結局「個人」に不幸をもたらすことになってしまう。右翼的思考は、集団の利益と個人の利益の認識が未分化であることの産物といってよいだろう。
集団の一部の人々は、集団が利益を上げることによって本人の利益も上げられるから、集団の利益と個人の利益の違いが分からず盲目的に集団の利益のために頑張ってくれる人を歓迎するし、そのように教育しようとする。戦前の軍国主義教育がよい例だろう。したがって、国家や企業で利権を持つ人々が右翼的言説を支持するのは当然であるが、そうでない一般の人々が右翼的性質を持つのは、かえって自分の首を絞めることになり、不利益である。「ネット右翼」の多くは通常の労働者であろう。スポーツを見るのと同様に、日本の政治家が他国(とくに中国や朝鮮)に挑戦的発言をするのを見てスカッと爽快に感じるかもしれないが、それが原因で将来的に生じる軍事的・経済的摩擦によって実害を被るのは、当の政治家ではなく日本の庶民であることを意識すべきだ。
右翼的言説で経済的に得をする人々は別として、一般庶民の右翼的思考の持ち主は、純粋な人々が多い(その純真さが人を傷つけるのだが)。マスコミのイラク脅威論・北朝鮮脅威論の垂れ流しを見て純粋にイラクワルモノ、北朝鮮ワルモノ、と信じていることが多い。国家としての政治は悪くてもその国民に罪はないのに、全体を悪ととらえるのはまさに子ども時代のウルトラマンやアンパンマンの世界である。他方でその純粋さから、外国人には冷たくとも自分の身の回りにいる人には優しいのも右翼の特徴のように思う。したがって右翼的性質をもつ人が実際に中国人や朝鮮人と接すると、「悪い人じゃなかった」とそれまでの差別観をコロッと変えてしまうことがあるのも事実である。まだ若い「ネット右翼」がいたとすれば、「自分の考えが結局自分や身近な人を悲しませることにならないか」よく考えてほしいと思う。
本記事に興味をもって下さった方に、クリック1回お願いします(ブログ人気投票)