労働契約法のこれから…財界の大きな野望? | シイタケのブログ

労働契約法のこれから…財界の大きな野望?

 日本経団連のHPに、経団連が要望する「優先政策事項」がまとめられている。それによれば、相変わらずのことではあるが、労働法制に関するさらなる規制緩和の要望が掲げられている。「専門性や創造性が高い仕事を行う労働者については、従来の労働時間規制の枠を越えて勤務形態の柔軟性を高め、労働生産性の向上、ワーク・ライフ・バランスの実現を図る。企業・職場の実態に即した柔軟な働き方を促進し、雇用・就労形態を多様化すべく、環境整備を図る。」とのことである。「労働時間規制の枠を超えて…」は結局、お流れになったホワイトカラー・エグゼンプションの導入を求めているものであり、「柔軟な働き方…就労形態の多様化…」は結局、派遣労働の期間制限撤廃や、解雇規制の緩和を求めているものである。「労働条件を会社が自由に決められ、より安く働かせることができ、いつでも労働者をクビにできる」社会が経団連の求める世界ということになろう。経団連は今後もその要望する政策を実行してくれそうな政党(政治家)にせっせと政治献金するであろう。

 ところで、すでに成立した「労働契約法」は、これまでに確立した労働関係に関する判例法理をいくつか明文化したものといわれている。「解雇権濫用禁止の法理」「就業規則不利益変更禁止の原則」「使用者の安全配慮義務」などである(ただし解雇権については労働基準法が数年前に先行して明文化していたものを労働契約法に移したもの)。一部には、判例法理のそのままの明文化ではなく、判例法理を後退させるものだ、とする批判もあったが、審議の際の国会答弁では、判例法理を変えるものではない(足しもしなければ引きもしない)とされていたので、判例法理の後退とはいえないのであろう。私も過去のブログでは「とにかく法律ができたのだからよいところは援用すればよい」ような趣旨のことを書いたと思う。とりあえず法律のできた「現」時点では、実務や紛争解決の処理に当たって、これまでの取り扱いに変化を生じさせるものではないことは確かなようである。 しかし私はふと思った。「確立した判例法理」というものは、そうそう簡単に覆されることはない。それが最高裁の判例であれば、大法廷を開いて変更を宣言しなければならないほど、判例法理というのは重いものである。しかしそれが法律に明文化されたことによって、判例法理は司法の手から立法者の手に移った、と考えることができるのではないだろうか。判例法理を変更するより、法律を変更することのほうが容易なのではないだろうか。「解雇権濫用禁止の法理」「就業規則不利益変更禁止の原則」…のような労働関係を規律する重要な法理が、これからは司法ではなく、立法者の手によって変更され得るということである。よくよく考えれば、これは大変危惧すべきことのように思われてきた。経団連が最高裁に判例法理の変更を要望した話は聞いたことがないが、政党や政治家に献金をもって働きかけ、労働法制の規制緩和を要望することは、これまでもこれからもあるのである。法改正でこれまでの判例法理を覆すという司法軽視は普通ありえないと信じたいところではあるが…。

 労働契約法の国会審議では、最終的には民主党も修正のうえで成立に合意した。日弁連も連合も最終的には「断固反対」という立場ではなくなったようである。私のように、「将来法改悪される可能性があるから立法化に反対!」というような意見は、責任ある団体の立場からは言えなかったのであろう。結局、労働契約法は猛反対という大きな世論が沸き起こることもなく、成立した。判例法理から「法律」へ…この一見平穏な流れを、「誰かが」ほくそ笑んで見ているような気がしてならない。心配しすぎだろうか。労働契約法の審議においてよく言われた「小さく生んで大きく育てる」が労働者の期待と反する意味にならないことを願う。

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