国益
最近、「国益」という言葉をよく耳にする。「国益のためにイラク派遣」「国益のために核保有議論を」「国益のためにアメリカと協調路線を」といった具合だ。政治家だけではなく、一般市民までもがこの語を使う。この「国益」という言葉、どうも怪しい。太平洋戦争のスローガン「お国のため」という言葉を連想させるのもその一因だ。しかしそれより、「国益」とはいったい誰の利益かはっきりしないところに、違和感を覚える。国はそれを構成する国民ひとりひとりによって成り立っている。「国」という抽象的な存在が、国民の利益を踏みつけて一人歩きしてはならない。「国」が「国民」より優先した結果、これまで戦争をはじめとして国民の権利が侵害されてきた。したがって、国益=国の利益というのは、結局国民ひとりひとりの利益と直結していなければならない。…しかし、最近、「国益」という言葉を用いた言説をあちこちで見る限り、本当に国民のためを思っているとは思えない。アメリカと軍事行動を共にして多くの国から反感を買うことが、果たして国民の利益になるだろうか? 核保有議論などを打ち上げてアジアに軍事的緊張をもたらし、日本を脅威にさらすことが、果たして国民の利益になるだろうか? 一部の人たちの都合や経済的利益(利権)を、「国益」とすり替えた議論がまかり通っているのではないだろうか? 「国益」というあいまいな言葉、本当に国民の利益のことを語っているか、要注意である。
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