46歳で鍼灸の学校に入学。


楽しい日、ツラい日を重ねて3年間

毎日通いました。


無事国家試験に合格!

卒業後、


母校の実技助手と


古民家の鍼灸治療院で訪問鍼灸マッサージの

仕事の二足のわらじで頑張りました。



古民家の治療院は、

とても魅力的だったのですが



スタッフは院長先生ご夫婦以外は

独身の方、結婚はしていてもまだお子さんの

いない方。



私のように、3人の子育て中の

母親が働くには



かなりハードでした。



朝は、7時半には家を出ます。

それでもスタッフさんたちは既に出勤して

いて私はいつも最後…。



もっと早く出れば良いのですが

それでは子供達よりも先に家を出ることに

なるのです。



当時、一番上の子は高校3年生。

真ん中の子は、中学3年生。

一番下の子は、小学6年生。



一番上の子は、高校1年生で学校に馴染めず

2年生で退学して通信制の高校に転校して

いましたが、最初はあまり学校に行けて

いませんでした。


真ん中の子は、幼稚園からサッカー

一筋でしたが腰の負傷でドクターストップ

それからは、くさくさして学校もサボりがち


一番下の子は、まともに学校行ってくれて

たので、なんとか救われました。



母が朝早く出れば、上の子2人は

家で、ぐうたら…。



仕事中に学校から電話がかかってくることは

しょっちゅうでした。



なので、子供たちよりも後に出たかった

のです。



職場に事情を説明して

私だけ10時出勤に。ということに

なりましたが、


他のスタッフは8時には出勤。

掃除をしてそれぞれ訪問施術へ出かけたり

治療院で患者さんをお迎えします。



私1人が社長出勤みたいな感じで

気が引けました。


皆さん良い方ばかりだったので

全然気にしないで、働きやすいやり方で

いいんですよ。って



言ってくださいましたが、

はい。では、そうさせていただきます。とは



思えませんでした。悲しい



仕事が終わると勉強会が

月に数回あるので、帰りは10時を

すぎることも…。



今、こうして書き出してみても

めちゃくちゃな生活をしていました。



働き初めて、もうすぐ一年が経とうと

していた年明けにコロナで生活は一変。



仕事は、激減。

ステイホームを強いられました。



私にとっては、

ひっちゃかめっちゃかになっていた



生活のリセットとなり、

再スタートになるきっかけだった

気がします。




家に、こもることが多くなったので

今までのブレブレの私を振り返り


他人軸だった私から


自分軸への私に変換する旅に出発しました。