ずいぶん以前だが、
どこかで見かけた言葉で、
とても印象に残っている言葉があった。
すっかり忘れていたけれど、
何の拍子か、
ふと思い出した。

「濁った川を見て川上の雨を思う」

正確には覚えていないけれど、
確かこんな感じだった。

ある晴れた日、
いつも見ている川に差し掛かる。
そこそこ大きな川の下流で、
割と水はきれいな川だ。
しかし、
今日に限って水が濁っている。
そういえば、
昨夜川上に当たる山の方で雨が降ったとか。
そう思いながら川を見ている。

当たらずといえども遠からず、
そう間違っていない情景だと思う。

何てことはない風景のようだが、
色んなことを考えさせられると思う。
それで結構お気に入りだったのだ。

思いつくままに挙げていってみよう。

ひとつは因果律であり論理的思考だ。
いつもは綺麗に澄んでいる川の水が、
今日は濁っている。
結果としてのその現象には
必ず何らかの理由があるはずであり、
その原因を論理的に考え、
可能性を探る。
何かしら問題が生じれば、
その原因を論理的に追及することで、
今後の再発防止に役立てることが出来る。
そこをきちんとロジカルに追及することが大切だと、
そういう視点。

またこういう見方も出来るだろう。
つまりイマジネーションである。
今日ここは晴れていても、
見えない彼方ではそうとは限らない。
見えていることだけが全てではないのだ。
そこに想像力が必要だということ。
これは時間についても同様だ。
見えない所、今でない時間、
そういったことに想像力を働かせなければならない。
でなければ、
現在目の前にあるものだけが全てと思い込んでしまう。
これは視野狭窄に繋がる危険性を孕んでいるので、
そうならないためにも想像力が重要だということである。

これは逆からいうと、
分からないことを受け入れるということでもある。
山の雨は昨夜は降っただろう。
しかし今はどうか。
ずっと降り続いていて川の濁りが続くのか、
或いは既に上がって
いずれはまた澄んでくるのか。
ではそれは何時なのか。
それは今ここにいる私には分からない。
勿論イマジネーションは要求されるが
正確なことや真相は
結局分からないのである。
それを認めて
分からないことは分からないとして、
分かったことにしない。
分かった振りをしない。
そんな謙虚な態度も必要だと。

そしてまたこれは
現象発生のタイムラグについても考えさせられる。
川上に雨が降ったのは昨夜であり、
その結果として川下が濁るには
その水が流れてくる必要があるのだから、
必ずいくばくかの時差がある。
川上の雨が上がり、
川下の水が澄んでくるにも
同様に時間が必要だ。
先ほどの因果律とも関係するが、
何らかの原因があり、
それが結果として何らかの問題を生じるには、
ケースによって長短の差はあれども、
いくばくかの時間が経過しているはずだ。
その原因を特定し排除したり改善したりしても、
同じ理由から直ぐに改善するとは限らない。
現実の問題への対応には
こんな要素も織り込んでおかねばなるまい。

もう少し観念的には、
万物流転もそこに見ることが出来よう。
というよりも、
この文章が描く光景自体が、
「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず。
淀みに浮かぶ泡沫は、かつ消えかつ結びて、
久しく止まりたるためしなし」と始まる
鴨長明の方丈記そのままなので、
自然と日本人のDNAに刷り込み済みとも言える
無常観の匂いを嗅ぎ取るのかもしれない。

とまあこんな具合である。
どうですか?
面白くないですか?
けれど、
こんなに感心したのに
出典を覚えてないんだよなぁ。
誰か知りませんか?