土曜の夜は、
読みかけていたコイツを仕上げる。
京極夏彦「数えずの井戸」
http://www.amazon.co.jp/%E6%95%B0%E3%81%88%E3%81%9A%E3%81%AE%E4%BA%95%E6%88%B8-%E4%BA%AC%E6%A5%B5-%E5%A4%8F%E5%BD%A6/dp/4120040909/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1341747423&sr=1-1
京極夏彦さんには幾つかのシリーズがある。
京極堂シリーズや巷説百物語シリーズなどがあるが、
これは差し詰め日本の名作怪談シリーズとでも云うのだろうか。
このシリーズには
鶴屋南北の四谷怪談をテーマにした
「嗤う伊右衛門」や、
「覗き小平治」があり、
両方とも既に読んでいる。
「伊右衛門」は少しだけだが覚えがあり
面白く読んだのだが、
「小平治」については元ネタを良く知らないので良く分からなかった。
作品として世に出た順番としては前後するかも知れないが、
今回はこれにトライ。
図書館で見つけて借りてから、
ボツボツと読み進めていたのだが、
この休みに一気に読み上げた次第。
何時もの如く、
若干のネタばれあるかも。
未読の方は以下ご注意を。
舞台は江戸時代、
素材はお馴染み、番町皿屋敷である。
巷説百物語の登場人物、
小股潜りの又一とその一味がちょいちょい顔を出し、
それなりの動きを見せるが、
今回の彼らは脇役。
あくまで主役は怪談に出てくる有名人。
番町皿屋敷で云えば、
お菊さんと青山播磨だ。
しかし、
確かに不思議な怪談である。
何故お菊さんがお皿の数を数えて
夜な夜な迷って出なくてはならないか、
私もあらかたのストーリーは知っていた積りだけれど、
何となく釈然としない思いは抱いていた。
何が起こり、
誰が何をしたのか。
何だかハッキリしない怪談だなぁと。
結果、
京極夏彦さんも、
この「数えずの」の中で、
はっきりとした表現を避けているように思える。
それは
序章から、
題名となる最終章へ至るまで、
一貫して変わらない。
そして同じく一貫しているのは、
登場人物夫々の
「数える」ことへの想いを綴ることである。
「伊右衛門」同様、
章ごとに登場人物の視点に切り替えていく構成は、
スリリングでもあり、
それぞれの登場人物の心理を細かく見ていく上で、
実に効果的だ。
そしてこの作品では、
全ての登場人物に
「数える」という視点から語らせることで、
その心理や想いを浮き彫りにしている。
明快な謎解きなしに、
怪談としての恐ろしさを保ちつつ、
全ての登場人物に
「数える」という視点からの新しい見方を加えた、
実に不思議な作品だと思う。
楽しかった。
取り敢えず、
明日は提灯を出そうと思いました。