アッサーレ ナグム アッディーン アイユーブ廟など | スカイバードトラベル(旧:日通ペリカントラベルネット エジプト店)の現地発ブログ

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エジプトの首都・カイロのオフィスより、日本人スタッフが「エジプトの今」をご紹介します

カイロからこんにちは!

本日のカイロは、最高気温18度、最低気温14度、そして、天気はダスト(ホコリ)ですゲホゲホ

エジプトの建物は立て付けが悪いので、オフィスや自宅の窓を閉めていてもダストを感じますゲホゲホ

 

さて、なんだか ?? な題名かと思いますが、今回は、イスラーム建築のご紹介。

 

中世イスラーム時代の目抜き通りで、今でもイスラーム建築が多く残るムイッズ通り。

 

 

ライトアップされた夜はエジプト人にも人気で、最近はかなり混んでいます。

(個人的には静かな昔の方がよかった・・・)

 

共通入場券が買えるスルターン・カラウーンのマドラサの向かいにあるこちらの建物。

 

 

以前は開いていなかったのですが、今は、共通入場券で見学することができます。

 

 

中に入ると、アッサーレ ナグム アッディーン アイユーブさんのお墓があります。

(長いので、以下は「ナグム」さんに略)

 

ナグムさんは、アイユーブ朝(1169年~1250年)のエジプトのスルタン。

ルイ9世による十字軍との戦い中、1249年11月に死亡しました。

 

ナグムさんは、十字軍を破ったことでアラブの英雄となった、サラーフッディーンの孫にあたります。

 

サラーフッディーンといえば、観光地として定番のムハンマド・アリ・モスク下差し

 

 

が、あるシタデル(城塞)は、対十字軍の拠点として、1176年にサラフッディーンが造ったもの。

 

ちなみに、ムハンマド・アリ・モスクは、ムハンマド・アリ朝時代の1857年に建てられたので、

シタデルよりもずっと新しいんです。

 

(シタデルについては、こちらで詳しくご紹介しています)

 

さて、ナグムさんに話を戻しますが、お墓(廟)がある場所は、1242年から1244年の間に、

彼が造ったマドラサ=イスラームの学校でした。

お墓は、ナグムさん亡き後、妻のシャジャラート アッ ドュールが1250年にマドラサに併設して建てたもの。

 

スルタン・カラウーンのマドラサ(1284年築)や、その隣のスルタン・バルクークのマドラサ(1386年築)など

多くのマドラサが、お墓(廟)とセットになっていますが、

マドラサとお墓(廟)がセットになる建築は、ナグムさんのアッサーレ ナグム アッディーン アイユーブ廟&マドラサが

最初だったようです。

 

スルタンのナグムさんの死後、十字軍は一気にカイロを落とすつもりだったようですが、

なんと妻のシャジャラートさんがリーダーとなり、抵抗を続けました。

短い間ですが、女性指揮官として勇敢に戦ったようです。

 

 

今までは、ナグムさんのお墓(上の写真の左の建物内部)を見て終わりだったのですが、

案内のお兄さんが、写真の右側の建物へ連れて行ってくれるというので、行ってみました。

 

その話はまた次回ウインク

 

by スタッフY

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