働くママが何もかも諦めずに幸せに生きる方法

働くママが何もかも諦めずに幸せに生きる方法

会社員辞めて40才で2人目を出産したわたしの記録。
主人は元セフレ。中学校時代のあだ名はおばちゃん。ブスの成り上がり物語。

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初めまして。数あるブログの中から、ようこそこちらへお越しくださいました。本当にありがとうございます。こんな無名ブログを見つけていただいて感謝です。このブログでは、主に私の体験談を綴っていきます。働くママやもしくは働きたくても働けないママを中心に、少しでも今の自分の在り方にモヤモヤしている人の助けになるようなことを、お伝えできれば幸いです。


私は東北在住の、アラフォー二児の母です。大学を卒業後、約17年会社員をしていました。ずっと同じ会社で働いていましたが、2000年代初頭から2023年までの間に、世界も日本も私もいろんなことがありました。


大学時代は、特に将来やりたいことも見つからず、アルバイトと飲み会に明け暮れていました。自分がどうなりたいかも就活の仕方もよくわからずあっという間に4年生になり、あと2ヶ月で卒業というところでようやく重い腰を上げてQ Jという求人情報雑誌から、その後散々な思いをしながら働く羽目になる会社を見つけて応募。まぁそこそこ大きな会社ではあったのですが、時期的に、いわゆる追加募集だったわけです。本命の人たちがそこを蹴ったのでしょうね。結果は、人事の方に最後に一言と言われて、「とっていただいて損はないかと思います‼︎‼︎」というなんの資格もないくせに就職先を決めたいというだけのパッションの押し売りをして合格。我ながらよく言えたと思います。


私が就職した先は小売業。アパレルと言えばおしゃれな感じで聞こえはいいですか、マダム向けの婦人服。そして配属先は、いわゆる「予算をするために売っている服を買う」という暗黙の独自ルール(会社自体にそんなルールはなく、店舗にあった)のあるブラック店舗でした。結局年間100万以上店の服を買い、毎月支払いはカツカツ。店の服を買うストレスで、自分の好きなブランドの服を買いまくり、給料は右から左へ。北ーへぇぇ、みーなみへぇぇえ、東へにーしぃーへぇーえええぇえー。by長渕剛

なんのために働いているかわかりませんでした。当時実家暮らしでしたが、5万を入れていたので、支払いやらなんやらで手元にはいつもほぼ残らず。仕事内容もハードで、サービス残業あたりまえ。退勤時間を偽って残業をするんです。頭おかしいですよね。閉店が当時19時とか19時半で、22時くらいまで売り場にいて、DM作業や店頭ディスプレーやロープレなどなど。そして、服を買うストレスで服を買って週5で飲みにでかけ、財布はいつもすっからかん。若き日の私には、向上心なんかよりも、その場のしんどさに耐えて働くことだけで精一杯。1年に10人くらい辞めていくような入れ替えの多い職場でした。歓迎会と送別会のエンドレスリレー。毎回そういうことするのも時代ですよねぇ。懐かしい。そんな日々が4年くらい続きましたが、とある事件をきっかけに当時の上司は左遷。環境がガラリと変わります。

プライベートでも、大学時代から6年付き合っていた彼氏とお別れして、別な方とお付き合いをすることになります。結婚、するのかなぁーくらいに思っていた当時の彼氏でしたが、男性経験がとっても少ない中、とにかく彼氏が欲しい一心で恋心とかなくお付き合いすることになった人だったので、なんていうんでしょう、このままこの人で終わっていいのか(失礼極まりなし)という思いが常にありまして。彼氏がいるのにも関わらず、常に出会いを求めてはウハウハしていた若かりし頃でした。

結果から言うと婚約破棄をして、当時セフレだった男性に乗り換えます。(最低すぎ)


仕事の話をダラダラ書き綴ってしまいましたので、彼氏の話はまた次回