母の最期(2)緊急入院 | PT-PUのブログ

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高校1年生の一学期終業式。


まだ、成績表をもらう前でした。


担任の先生から呼ばれて告げられました。

「お母さんが、救急車で大学病院に入院することになったから

 すぐ帰るように。」


ーーその時から、私の生活・私の高校生活は、全く違うものになったのです。--


帰宅してわかったことは

市役所のバスでの巡回検診のようなもので

肺に何かあるのが見つかり、

病院で検査した結果、絨毛上皮腫で、

地元の病院では手におえないから、

救急車で

県外の大学病院に行くとのこと・・・。


姉が救急車に乗り込み、

私と父は、タクシーで、救急車の後について走りました。


そして、そのまま、私は、病院に泊まり込む生活が始まりました。

私の夏休みは、普通の高校生のそれとは全く違うものになりました。

毎日のように、電話や手紙で話していた親友とも、連絡さえとれなくなりました。

携帯なんてない時代ですから・・・。

突然

別世界にいったような感じでした。


大学病院に着くや否や

主治医だけでなく、たくさんのインターンの医師に囲まれて

診察や検査がありました。


そして、

その日のうちに告げられたのは、

「肺全体に癌が広がり、手遅れの状態なので、この夏が越せるかどうか・・・。」


その瞬間から

母が亡くなるまでの一年間

母の前では、私は、決して泣きませんでした。

自分の命が危ないなんて、母に悟られたくなかったのです。


私は、

母に甘えていた娘から、看病する娘に、変身せざるをえませんでした。


「モチモチの木」 という絵本があります。

1人では夜中に便所にも行けなかった臆病な豆太は

大好きなじさまが倒れた夜

はだしで、夜の山道を走って、お医者様を呼びにいくのです。

ーー人間やさしささえあれば、やらなきゃならねえことは きっとやるもんだーー


私にやさしさがあるとかいうわけではないのです。

ただ

人間って

大切な人のためになら、変われるし、強くなれるのだと思います。



その当時

実は、我が家は、色々な面で、苦しい状況でした。


父の退職金をつぎ込んで始めた商売が失敗し、借金が残りました。

駅の近くに大きな家がありましたが、駅の拡張に伴い立ち退きをしました。

近所の家は、立ち退きのお金で、立派な家を建てていましたが

我が家は、そのお金で借金の穴埋めをしたので

家は建たず

市営住宅に引っ越しました。

高校に入る前の春休みに引っ越したばかり。

自分だけで2部屋あった家から、家族四人で2部屋の家になりました。

私の勉強部屋を作ってもらう予定はできていましたが・・・。

一年前から、母が働き始めたのも、

そういう経済的な事情があったのだと思います。


そんな中での、母の発病でした。


父は、ショックでおろおろするばかり。

やがて胃潰瘍で入院しました。

6歳年上の姉は、我が家のたった一人の働き手でした。


自分が、母の看病をするしかありません。


夏休みの間は、ほとんど家に帰らず、

母の病室(大部屋)のベッドの下で寝泊まりし、

24時間、母のそばで看病しました。


お見舞いにくる母の友達や、きょうだいや、しんせきの人が

みんな、母の前で泣くのが、情けなかったです。


なんで、泣くん?!


母は、生きようとしてるのに。

なんで、もう死ぬみたいに泣くん?!


母は治るって信じて、病気とたたかってるやないか!

泣かんといて!!

母は、死なないから!


母の前で泣くんなら、お見舞いには来てほしくない!

来る人来る人に、

心の中で叫んでいました。

張り裂けそうな感じでした。


泣く人は、無責任やと、幼い私は思いました。

泣けるって、甘えている!

そう思えてしかたなかったのです。


---今は、そんな風には、思っていません。

     自分のために、泣いてくれる人がいることも

     母にしたら、ありがたいことだったと思います。

     母にとっては、大切な人たちばかりでした。----


そんな私も、

病院を出て、

母の大好きな「ししゃも」を買いにスーパーへ行く道の

歩道橋の上で、

ぼろぼろ泣きました。


思い切り泣いても、

涙は、あとからあとから出てきて、

ずっとずっと、泣きながら歩いたことが何度もあります。


でも、病院の玄関に入ると

いつも、涙は、ピタッととまっていました。

自分に

そんな強さがあることは

私自身びっくりでした。


オシッコや便をとることも

いつのまにか平気になっていました。


「娘の花嫁姿を見るまでは死ねない。」


と、母は、病室の人に繰り返し話していました。


美智子妃殿下と同じ病気で、

高貴な人がなる病気やと、自慢もしていました。


新しい抗がん剤を投与して

頭の毛がなくなり、かつらもかぶりました。

それでも、母は、絶対に治ると、治すと、強気でした。


人生で、薬など飲んだことがない母だからよくきいたのか

奇跡的に

肺全体をおおっていた癌が

少しずつ小さくなり始めました。


ーーーつづくーーーー