北海道の山林で行方不明になっていた男子児童の行方を探しているニュースが連日流れていましたが、今日になって無事に見つかったというニュースが飛び交っており本当に良かった。
http://www.asahi.com/articles/ASJ6332MJJ63UTIL00H.html?ref=yahoo
人命が失われずにすみ、事件は一件落着です。
しかし"別の場所"では「一件落着、よかったよかった」だけで済ませてはいけない事が起きていた事を忘れてはいけない。
この事件、当初からインターネット上では親への批判が大きかったです。
まったく無関係な第三者による親への集中批判ですね。
最初の方は、時間わずか5分とはいえ、山林に7歳を置き去りにした しつけ の仕方に批判が殺到していました。
この点を批判する感覚はまだわかる範囲です。
事件がなかなか進展しない中、動揺や焦りから親の言動が2点3点とおぼつかない事があり
これを見た視聴者が親犯人説を疑い始めます。
親への批判の質がガラリと変化し
当初の「しつけの仕方への批判」から「親が子供殺して埋めたのでは?」
と親が殺人犯的な扱いに変貌します。
インターネット上では瞬く間に親犯人説が広がり、2ch、各種掲示板まとめサイト、ツイッター、Youtube、ツイキャス、ニコ生などの主要所のほぼ全体総評が「親が犯人」という結論を出していました。
一例としてツイキャス上では大きい影響力をもった配信者が親犯人説を唱え、約7900人がリアルタイムで見ていたようです
【 ツイキャス 】 コレコレ 北海道児童置き去り行方不明事件をネタに不謹慎配信 2016/06/03
https://www.youtube.com/playlist?list=PL0CcTzMSMQZhj4VvZQCHmcNKJqXx1D36x
真相が判明した今でこそ、こうして言えることではありますが
このインターネット全体の大きな流れが大間違いだったこと
根拠のない無責任な情報と憶測から生み出された総評だったこと
そしてそれらがどれだけ親に対して酷い事をしたことになるのか
普段イジメ反対を掲げている人がもし今回参加していたらぐうの音も言えない実例です。
これらの大きな流れに参加して、どこかに書きこんだりなど発言のように発信はしていないものの
自分自身も心の中では父親を疑っていた部分が今回少なからずありました。
その事を恥じ、自分自身も反省したいと思います。
大きな流れとは怖い物です。
その情報が間違っていたとしても、まるで正しい情報のようになってしまいます。
みんなが言っていると正しい情報のように錯覚させられてきます。
国民の総評のようになってしまいます。
そして、間違っていたと判明しても、本人・被害者にごめんなさいの声は届かないのです。
・憶測で無責任にインターネット上に発言しない(心の中で踏みとどめて置く)
・どうしても発信したい時は不確かな情報である事を明記するよう心がける
・世論に流されすぎない
こんな事を改めて感じさせてくれる出来事でした。
邦画で「白ゆき姫殺人事件」という作品があります。
今年の4月に金曜ロードショーで放送していて見た作品なのですがこの映画を思いだした事件でした。
殺人事件が起こり、SNSとTVニュースで無実の人を犯人扱いしていってしまうという内容。
映画を見てる時、いつか現実に起きそうな内容だなと思っていましたが
放送後わずか2か月で現実に起きかけた事を考えるとゾッとします。
