ねばならない
私の嫌いな言葉
働かなければならない
人に優しくしなければならない
人を裏切ってはならない
たくさんのねばならない。
ねばならない は、
ヒトという知能を持った生物が、
社会を形成していく上で、
大事なのかもしれない。
でも、あまりにもこれに縛られすぎてない?
と、自分に問いかける時がある。
私は常に ねばならない星人になってしまう
それが自分を苦しめてるんだよね
例えば
私が○○になりたいとする
それを実現させるためには
するべきことがある。
それは勉強だったり、運動だったり
するのかもしれない。
これは私の中で べきこと なのだ。
べきこと ができた時、私は「なりたい」を
叶えられる。
なら、「べきこと」と「ねばならない」の
違いはなんだろうか?と考えると
なんだろうなぁ、、、と一瞬止まる
今の私の結論は
目標が明確なのが 「べきこと」
目標が明確でないのが 「ねばならない」
なのではないかと、考えた
シンプルだね
ならば、「ねばらならない」を「べきこと」に
変えられたとしたら、
それは、素敵ではないか?
社会にいるうえで、必要とされる
「ねばならない」をストレス無く行える。
この、「べきこと」予備軍の「ねばならない」は
まだ、いいのだよ。
働かなければならない
→○○したいから働くべきだ
例)承認されたいから、旅行に行きたいから、買い物したいから
人に優しくしなければならない
→○○したいから人に優しくするべきだ
例)いい人に思われたいから、好かれたいから、頼りにされたいから
人を裏切ってはならない
→○○したいから人を裏切らないべきだ
例)大切にしたいから、信頼されたいから
簡単ではないか
今のように心に余裕がある時は
すーぐ答えが出る
でも、ねばらない病にかかると
視野が狭くなって考えが至らなくなる
人間って馬鹿だねー
こんなこと小学生でもわかるけど
目標を明確にするって大事〜
私は
「いい人に思われたいから」、「好かれたいから」
なんてあまり言いたくない
いやらしい人間だなって思ってしまうから
でも、無条件に優しくする人なんていなくね?
そんな聖母マリアンヌッチどこにおる?
みんな優しくするのには理由がある
その人が大切だからとか、ね、
いい人に思われたい、好かれたい、
っていう側面だけ見てしまうと
ん〜って思うけど
なんでそう思うのかな〜って
1歩掘り下げてみると
意外にも純粋ピュアっピュアな願いとか
隠れているかもねってことよ