先日発達センターでの定期診察がありました
2ヶ月に一回の診察
久しぶりに行ったら主治医が「見違えるほど落ち着あたね」とほんとーーーーーに驚いてはりました
「余程の事がないとこれ程安定するなんてありえない」と言われるほど
「何かありましたか?」と凄く思議そうな顔で聞かれました
実際特に変わった事はなく姉達とよく交流するようになったくらい
ただ、その姉はかなりのやり手(笑)
アンチアスペなのです(笑)
(その根拠や実績は今は書かない)
その姉が言うには
「だって私は特別扱いせぇへんもん」
「対等に向かい合うもん」
「あかん事はあかんし、良いことはいい。それだけやん」
とてもシンプル
だけど以外と出来ないものです
障害があるってからっていう扱いが当たり前になっているのですが実はこれが一番厄介
障害があるから仕方ない
障害があるからこの程度でいい
障害があるからこんなんなんだ
障害があるから出来なくて当たり前
障害があるから・・・・
なんでも言い訳できるししちゃう
でも何も良いわけないんですよ
この時点ですでに自分達とは違う
自分達より出来ない等と区別しているんです
対等ではないんです
寛容ではなく除外なんです
自分達とは違うという
誤解されがちなんですが私は障害者の全て認めて受け入れろとは言ってないんです
何かしらの権限を得ようとすればかならず義務と責任が発生します
それらを担えて初めて主張が成り立つのです
つまり担えなければ権限はないに等しいのです
だって社会から守ってもらってるのに好きなことだけして責任とれない、でも、当たり前みたいな顔されたらおかしいとおもうでしょう
社会の恩恵にあやかって文句言っちゃあ駄目でしょ
それは定型、非定型関係ないのです
その責任を担わすチャンスを与えてほしいと言ってるのです
上記の言い訳ならそもそも何もしなくていいって言ってるのですから
そのいい例が・・・・
以前バスに乗った時どこの学校かは知らないけどおそらく支援級の生徒だろう数人と引率の先生が2名かな?一緒のバスに乗ってはりました
その時ソコソコバスは混んでおり座席は中途半端に空いてました
「なぜ?」と思ったら生徒数人がバラバラに立っていておそらくこの中で重症と思われるダウン症の生徒に先生二人がついてはりました
その時思ったのですが「なぜ引率の先生は生徒をキチンと集めて座らせなかったのか、拘りが強いわけでは無いようなのにきちんと席を誘導してないのか。」「最初は混んでバラバラになってしまったかもしれないがある程度動いたら声を掛けてあげるべきではないのか、二人掛けの座席になぜ一人で座らせて他の乗客が立っているのか(これによって通路が狭くなってしまっている)」
沢山の疑問と不快感がふつふつと湧いてきました
そして一番私が不快に感じたのは引率の先生の態度
ダウン症の生徒が座って足を広げもたれかかって何か話している
女生徒なのに・・・
なぜ先生は「ちゃんと座ろうね」といわないのか
障害のあるなしの前に女の子ですよ
スカートはいて足を広げたら駄目でしょ
でもどこか「この子達は見ての通りだから」と言わんばかり・・・・・
私はこういうことが嫌い
出来る出来ないではなくて
「してはいけない」のです
女の子が足を広げて座ってはいけないし二人掛けを一人で占領してもいけないのです
障害、非障害関係ないでしょ
公共のマナーです
この子達がそれを守れるかではなく守れるように一緒に努力してあげるべき
これが「特別扱いしない」ということ
「対等」ということ
「向き合う」ということ
この子達の行動は引率の先生の責任
指導しない先生が駄目、無責任
こういう時の為に引率してるはず
大人がこれでは・・・・
非常に憤りを感じました
いつの間にか息子の診察内容よりもバスでの腹立った出来事の愚痴になってた(笑)
ちょっとクールダウンしてからまた続きをまとめまーす