2011年11月27日
朝
鎌倉の駅より、延命寺方面のカドキホールへ
昨年の朗読劇でも、何度か共演させていただいた俳優Yさんの告別式へ、行って参りました。
25日の夜、訃報が入る数時間前
朗読劇の最終稽古中に、いつもの新宿の稽古場で、ちょうどその方の話しをしていました。
後で電話をしようと、忘れないように、携帯電話の発信ボタンを押し履歴に残していました。
Yさんは、仔犬のような純粋な瞳をしていて、いつも何かにつけ、「言って~」「まかせて~」と、含み声で言うと、胸をポンと叩き、どや顔をしては胸を張り、少し斜めに下を見るようにしてあごを持ち上げ口を結ぶ。
そして、いつも、優しい微笑みを浮かべていました。
銀座で歌を歌った時などには、写真を撮ってくれたりもして
「紅美ちゃん、何かあったら言って~!まかせて!」と、撮った写真を満足げに見せてくれたりもしました。
極楽寺って、どんなところなんですかー?と、今度会ったら聞こう。と、そう、思っていました。
涙が、止まりませんでした。
告別式の後に、みなさんといろいろな話しをしました。
その後に、近くの鶴岡八幡宮へ参拝しました。
八幡さまの境内では、二組のご夫婦が結婚式を執り行っており、倒れた銀杏の大木からは新たな新芽を見つけることができました。
そして、不思議なことに、たくさんのシンクロが
本当に、無数のシンクロがありました。
まるで、何か大きな力が、大切なメッセージを、伝えようとしてくれているような、そんな感じがしています。
そう思うと、そのメッセージや、彼の目が写してくれた写真の中にも、これから先の未来へ、思いが生き続けていくのだと。
そんなふうにも感じられるのです。
その日、一緒に時間を過ごさせていただいたYさんのご友人は、「湿っぽくなってしまうよりは、楽しく笑ってくれた方がいい。と、きっと彼はそう思っているだろう。」と、話されていました。
その日はまるで、自慢の鎌倉を「ど~う!すごいでしょ~」と、Yさんが案内してくれているようにも思えました。
26日の夜、朗読劇の本番中には、今までなかなかうまく演じられなかった『存在の耐えられない軽さ』での
“重さ”“軽さ”や“命”について語る部分で
皮肉にも、本当に感じた重みを、今までよりも表現すことができた私に、いつもの“どや顔”で、いかにも自分のおかげでしょう。と、言わんばかりに、満足そうに観てくれている、彼の姿が見えました。
そんなふうに言うと、怒られるかもしれませんが…
そう感じたりすることに、きっと、Yさんは喜んでくださると、勝手ながらも、そう思うのです。
3年と半年前に、鎌倉の海から始まった“西塔紅美”
また、ぐるりと、一回りして
原点へと、返って来させられたかのよう。
先のことは、まだ、わかりませんが
いただいた思いや、優しさや、メッセージを大切にして
限られた命を、時間を、大切にして生きていこう。と、思います。
また、生まれ変わって出会える日まで…
心より、御冥福をお祈りいたします。
2011年11月30日
西塔紅美